SECT.9 苛立チノ正体
次の日もその次の日も、ねえさんはずっと少女に様々な話を聞かせていた――いや、もうガキと呼んでいいだろう。
グリモワール王国のこと。初代国王ユダ=ダビデ=グリモワールが召還した悪魔のこと。稀代の天文学者ゲーティア=グリフィスの武勇伝。
レメゲトンの長であるねえさんの知識量は半端ではない。話が尽きることなど考えられず、ガキはひたすら昔話に興じていた。
今日は10番目の悪魔ブエルの話から始まった。第10番目の悪魔ブエルは治癒の力を持つ。そこから100年前流行した疫病の話とそれを収めた当時のレメゲトン、ウェルギリウス=アリギエリの勇姿へと話が進み、さらにはウェルギリウスの妻で第4番目の悪魔サミジーナを使役したミリアナ=アリギエリの生い立ちにまで及んだ。
「ミリアナは天文学とは全く無縁の小さな村で、一般家庭に生まれたの。彼女は小さな村で優しい人たちに囲まれて幸せに暮らしていたわ。でも彼女が5歳になる頃に第15代ヒゼキヤ王の命令で彼女の村近くの湖から水路をひくことになったの」
「何で?」
「当時グリモワール王国は農地を拡大するために王国全土で灌漑工事を行っていて、その工事の一つがミリアナの村の近くで行われたのよ。そしてその水路は彼女の家をちょうど通るコースに作られることになっていた」
「えっ! ひどいよ!」
「いいえ、よくあることよ。ちゃんと王国から資金が出て、違う場所に家を構えることになるはずだったわ。でも……」
「でも?」
「引越しを行う前に、工事に参加していた彼女の両親が事故でなくなったの」
「えっ!」
「ミリアナは家を失い、両親も失ってしまった。その灌漑工事の責任者をしていた若きアリギエリ侯爵は5歳のミリアナを不憫に思い使用人の娘として引き取ったの」
「あれ、アリギエリって後で結婚するヒトだよね?」
「そうよ」
ねえさんはにこりと笑った。
よくできたわ、えらいわと子供を褒める親の顔だった。
「最初は使用人に育てさせていたのだけれど、ある時侯爵はミリアナに天文学者の才能があることに気づいてヒゼキヤ王に申告したらしいわ。当時サミジーナのコインを所有していたアルマデル家は衰退していて次代のコイン所有者がいない状態だったらしく、12歳になるミリアナは異例の若さでレメゲトンの地位を戴いたわ。そして、アリギエリ侯爵はミリアナを引き取って自分の養女にしたの」
「えっ、んじゃあアリギエリさんは娘と結婚したってこと?」
「ええ、そうなるわね」
ねえさんは苦笑した。
有名な話だ。その後いくつも侯爵家のしがらみや嫉妬、親類の反対など、どろどろとした事情が挟まっている。が、ねえさんはさすがにその話を省くようだ。
「すごいね! だってすごーく歳が離れてるんじゃない?」
「そうよ。結婚した当時、ミリアナは18歳、侯爵は37歳だったわ」
「5歳で拾ったんだから……侯爵はそのとき24歳?」
「そうね。もう結婚していてもおかしくはない年だったのだけれどずっと独り身だったわ。もしかすると、ミリアナが美しく成長するのを待っていたのかもしれないとも言われているの」
「そうかあ。それで夫婦でレメゲトンだったんだね」
「今でも、第10番目の悪魔ブエルのコインと第4番目の悪魔サミジーナのコインをどちらもアリギエリ家が所有しているのはそのためだ」
ついでに情報を足してやると、ガキは嬉しそうにこちらを見た。
「それじゃ、今でもレメゲトンにはアリギエリさんの子孫がいるの?」
「ああ。ベアトリーチェ=アリギエリ女爵。王族の専属医師も勤めている方だ」
「お医者さんなんだ」
「そうだ。俺が騎士の位を、ねえさんが書記官の位を持つようにアリギエリ女爵は医師の資格を持っている」
「え、アレイさん、騎士なの?」
「……それがどうした」
「かっこいい!」
ガキは目をいっぱいに見開いた。
いったい騎士であるからどうだというんだ。
「そうよ、アレイは王国最強の炎妖玉騎士団に所属しているのよ」
「すげえ! やっぱ強いんだ!」
目をキラキラさせて近寄るガキから逃れようとしたが、このガキはあろう事か自分の左腕をがっしと掴んだ。
驚愕に思わず身をひいたが、ガキはますます顔を近づける。
「ね、ね、炎妖玉騎士団の団長さんて、どんなヒト? 強い? どんな剣を使うの? アレイさんは?」
「こら、ラック。アレイが困ってるわよ? ……あ、ごめんなさい、喜んでるのかしら?」
「誰が喜ぶか!」
ねえさんに言われてガキはやっと手を離した。
すかさず座る場所をずらして距離をとる。
「あ、ひどいやアレイさん! 今おれから逃げたでしょ!」
「当たり前だ、ガキがうるさいからな」
「おれは聞きたいことを聞いただけだよ」
「それがうるさいと言っているんだ」
「んじゃ何を言ったらいいんだよ」
「黙っていろ」
「そんなの無理だよ! 退屈すぎる!」
本気で困った顔をするガキにはもう付き合っていられない。
窓の外の景色に視線を移した。
「あっ、ひどい! 無視した!」
「もう、やめなさい、ラック。アレイもいい大人なんだからラックで遊ぶのはやめなさい。素直じゃないんだから」
答えられず顔が引きつった。
どうやらねえさんの中で、俺はこのガキをとても大切に思うようになっているようだ。が、それは断じて違う。
確かに見た目はかなり惹かれるものがあるが、それは万人に共通だろう。
とてもじゃないがこのガキのおしゃべりとよく分からないオーバーリアクションにはついていけそうもない。しかも鳥頭の阿呆だ。
しかしながら、ガキがねえさんと話すたび、二人が楽しげに笑う度になぜか心のどこかで苛立ちが募っていく。
本当にいったいこの苛立ちは何だというんだ。
分からない。
分からない事がさらに苛立ちを加速させていく。




