第1話 謎の女
ほたるに初めて会ったのは、夕暮れ時。朱く染まった空を暗闇が追い立てていた。太陽に変わって月は白く光りを放ち出し、暗闇の指針となる。だが、五月蝿いネオンの街に、月の明かりは届かない。欲望の渦巻く人間の小さな世界を形作る街。月は黙って、そんな街を冷たい瞳で見下ろしていた。
僕はいつも通りその街を抜け、明かりのない、悪臭が鼻につく薄汚れた通りへと歩いていく。
ゴミ袋を猫と一緒に漁る浮浪者。ぼろ布をただ纏っただけの孤児。眼の見えない少女。ここは、華やかな街とは裏腹な世界だった。僕もこの世界の住人だ。
「ねぇ、待って」
突然、声をかけられた。立ち止まり、振り向いた。通り過ぎた路地から、一人の女が出て来た。
亜麻色の髪に、黒い瞳。その瞳は、不思議な、人を引き付けるような力を持った瞳だった。
女は僕を見て、にっこりと笑った。薄暗い道に、ぱっと光りが灯った。僕はその光におののいた。近づいてはいけないと、直感的に感じた。
「あなたをずっと捜してたの」
でも、彼女から逃れようと思っても体が石のように動かない。彼女の瞳のせいだとその時思った。
「…待ってたって?」
自然と口から言葉が零れ落ちた。自分の言葉なのに、自分以外の誰かが発したような錯覚を起こしていた。彼女は、何者なんだ?
「あなたに御礼がしたいと思ってたの」
ほのかに赤い唇が、笑みを零しながら動く。
彼女の存在は、僕にとって恐怖だった。彼女から柔らかな光の粒が溢れ出し、この世界を照らし出す。僕の居場所が無くなる…。
「僕は君を知らない」
僕の表情は固く、月の明かりで普段よりも冷たさを増していた。