彼女の瞳に映るのは
「ありがとうございましたー」
僕が一日の中で一番言う言葉だ。
お客が帰るときには必ず言わねばならないと教わった。
これをいうとお客さんはニコッと笑って帰ってくれることが多い。
最近はご飯と奈々ちゃんの次に好きな言葉だ。
「クロバくん、まかないできたよ」
あと好きなものと言えば、颯太の叔父さんだ。
颯太の叔父さんは、色んなことを優しく教えてくれる。
その上に賄いで美味しいご飯を出してくれたりする。
奈々ちゃんには敵わないけど、大好きだ。
そろそろ、スノーリーフでアルバイトとして働き始めて1週間が経つ。
叔父さんのおかげで、掃除や皿洗いなどはマスターした。
だいぶ人間としての生活にも慣れてきた。
ただ字を書くことと読むことが未だに出来ない。
そのせいで注文を取ったり、レジをやるのは厳しい。
叔父さんに一度「注文とってみるかい?」と聞かれたことがある。
試しにやろうとして、メニューが読めずにいると、「大丈夫だからね」と涙ぐまれてしまった。
「まずは出来ることを磨いていこう」
それから裏方の作業をメインにして、休憩時間に字を教わったりしている。
猫なら書いたり、読んだりしなくていいのに人間は煩わしい。
「手紙とか書いてみたら?」
休憩時間に字の練習をしていると、奈々ちゃんが前に座るとそう言った。
「てがみ?」
「小さい頃にね、手紙を書くことで字を覚えたんだよ」
奈々ちゃんはメモにサラサラと字を書いた。
その姿が可愛くて、今日も胸がドキドキと休めない。
「はい」
差し出されたメモを開くと、字が書いてある。
「クロバくんへ…えっと、いつもよくがんばつてるね…へんじをかいてね。なな」
「返事待ってるね」
そう言って女神の微笑みで奈々ちゃんはバイトに戻った行った。
「おてがみ…へんじ…」
(こんなに手紙ってもらえたら嬉しいんだ)
「がんばる」
手紙を大事にポケットにしまった。
「こんにちはー!」
奈々ちゃんが笑顔でやってきた。
(今日は火曜なのにな)
奈々ちゃんは月、水、金、土日のどちらかにはくる。
シフトはもちろん把握済みだ。
ただ最近は雑誌でお店が紹介されたとかで、混む日も増えてきて、他の日にも来てくれることがある。
そんな日は嬉しすぎて、皿をいつもより割ってしまう。
どうやら今日も特別に来てくれたようだ。
「クロバくん、もうここの仕事慣れた?」
「うん、慣れた」
「それは良かった。お皿洗いも上手だもんね」
奈々ちゃんが褒めてくれる。
それだけで僕は幸せだ。
「クロバくん・・?なんで頭を向けてくるのかな?」
奈々ちゃんが笑いながら、頭をポンポンと撫でてくれる。
つい猫の時の癖で褒められると頭をなでてほしくなってしまう。
「別にいいけど。クロバくんは面白いね」
奈々ちゃんの笑顔が満開に咲くと、胸がどきどきしてしまう。
この気持ちは何なんだろう。
猫でいた時には感じたことない感情だ。
人間は本当に面倒な生き物だ。
ランチの時間になるとたくさんの人がやってくる。
配膳は、叔父さんや奈々ちゃんに「これをあのテーブルに」と言われると持っていくことはできるので、忙しい時間はホールにも出る。
奈々ちゃんは仕事をこなしつつ、僕のサポートもしてくれる。
その上にどれだけ忙しくても、笑顔を絶やさずに接客し、もちろん僕にも微笑んでくれる。
窓から差し込む光が奈々ちゃんにあたって、奈々ちゃんがキラキラ光って見える。
僕の目は何をしてても、奈々ちゃんを追ってしまう。
(どうしてだろう)
胸は手を当ててみる。
ドクドクドク…と鼓動が手に伝わってくる。
何とか気持ちを抑えて、問題なくランチの時間を終えると少し落ち着いてきた。
でも、1時間もすれば今度はカフェタイムで人が増えるので、結局大体どの時間も割と忙しくなる。
「ちょっと落ち着いたね」
「奈々ちゃん、クロバくん、休憩とっていいよ」
店長にそう言われて、奥の休憩室に奈々ちゃんと一緒に入る。
忙しい1日の中で、1番の至福の時間だ。
「ねぇ、クロバくんは、好きな人とかいる?」
突然聞かれてドキっとする。
奈々ちゃんを見ると、少し恥ずかしそうにしてこちらを見ている。
「・・・大事な人はいるよ」
(奈々ちゃんのことだよ)
「そっか」
奈々ちゃんが頬杖をつきながら、コップのふちをなでている。
その姿は奈々ちゃんの目に僕は映っているのだろうか。




