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二人の薫は生死の境をさまよっています

作者: 仲瀬充
掲載日:2025/12/23

目覚めてから起き上がるまでの時間が長くなっていく。

学歴も資格もない身に仕事は辛い。

カスタマーサポートのクレーム担当。

誰にでもできて誰もやりたがらない仕事。

電話口で一日中責められ泣きたくなる。

「お前じゃ話にならん、責任者を出せ!」

上司に電話を回せば後で今度は上司の叱責が待っている。

先日はトイレに行く回数まで注意を受けた。

涙顔を見られたくないのをただの化粧直しだと思われているのだろう。


疲れ果てて帰ったマンションのゴミ集積場。

私が出したゴミ袋だけが残されて貼り紙がしてあった。

分別(ぶんべつ)がなされていないので回収できません」

私が悪いのだけれどもう限界だった。

きっかけはたぶん何だってよかったのだ。

生きる表面張力が切れて涙がこぼれた。

この人生はきっと悪い夢なのだ、死ねば目が覚めるだろう。


「薫、たまには付き合いなよ」

誘われて同期の栄子たちとカラオケボックスへ。

「今日は楽しかった。誘ってくれてありがと」


タイプではない先輩社員の声かけにも応じた。

「ごちそうさま。とても美味しかったです」

「よかった。また誘っていいかな?」

想定外の展開だけれど慌てない。

「今度は私から連絡します」


「原野さん、最近頑張ってるね」

上司にほめられたのはたぶん初めてだ。

「ご指導のおかげです」


死を決意してから半月のあいだ、会う人がみな(いと)おしかった。

ほろりと思い出してもらえる別れもそれぞれにできたように思う。

今思えばあれが原野(かおる)との最後の会話だったと。


昨日の土曜から降り続いている雨は夕方になっても止む気配がない。

レンタカーに乗りこんで雨の中、市街地を抜けて郊外の山道を渓谷ぞいにひたすら上って行く。

途中に「ドライブイン」という文字の消えかかった食堂があった。

さらに走るとプラスチック製の赤いコーンがバーで連結されているのがヘッドライトの光に浮かび上がった。

バーの中央に「通行止め」の札が吊るしてある。

Uターンして先ほど見かけた食堂に情報収集のため立ち寄ることにした。


店内に入ると白いコックコートを着た夫婦らしい老人二人が厨房に見えた。

「すみません、まだいいですか?」

「そろそろ閉めるとこですがいいですよ、どうぞ」

食欲はないがとりあえずカレーを注文して通行止めになっていた方角を指さした。

「あの、何かあったんですか? 通行止めになってるんですけど」

「え、そうなん? そしたら崖が崩れたんかね。消防自動車とパトカーがサイレン鳴らして行きよったから」

「この先に通じる脇道とかはないんですか?」

「ないね、峠までは一本道やから」

他に客はいないが人目を避けるように私は壁に面したカウンター席に座った。

カウンターの下に作り付けの棚板があり、そこにバッグを置いた。


計画を変更しなければならない。

この先の峠で国道をそれて山頂に向かう林道に車を乗り入れる予定だった。

ゴムホースとガムテープは助手席の大きめの手提げ袋に入れてある。

窓に目張りしてゴムホースで排気ガスを車内に引きこむ。

その後は母親に「ごめんなさい。さようなら」とメールするだけだ。

この近辺でも人目につかない場所はあるだろう。


食べ終わってカウンター下の棚に手を伸ばした。

するとバッグをつかもうとした手がスマホに触れた。

客の忘れ物だろう、マナーモードにしてあるようで緑色の着信ランプが点滅している。

老夫婦に届けようと振り向くと二人は客席のテーブルに座って店の角に据えてあるテレビを見ていた。

ニュースがこの店の先の土砂崩れを報じている。

「……車1台が土砂崩れに巻きこまれたもようです。運転していたのは〇〇市の派遣社員皆藤(かいとう)(かおる)さん23歳とみられます。現在、懸命の救出活動が……」

薫? 自分と同じ名前に反応して私もテレビに目を向けた。

するとお婆さんがテレビ画面に映し出された顔写真をあたふたと指さした。

「お父さん、この男の人、5時頃ここに寄った人じゃわ!」


もしや? 私は手にしたままのスマホの電源ボタンを押した。

母親とのメールの交信画面が表示された。

 「お前の好きなちらし寿司を作ってるよ。何時に着く? 17:01」

     「既読17:03 あらー、残念。腹が減ってたんで今ドライブインで食ってる」

 「そしたら夜食に食べればいい 17:05」

     「既読17:07 分かった。1時間くらいで着く」

 「まだ着かないの? 18:31」

 「今どの辺? 18:42」

 「薫、どうしたの? 電話かメールちょうだい 18:45」

 「お前が来る道で崖崩れがあったってニュースで言ってるけど大丈夫? 19:04」

 「メールでも電話でも返事して、薫! 19:07」

スクロールするとその後はずらりと「薫!」が並んでいる。


母親のちらし寿司を楽しみに実家に向かっていた皆藤薫さんは生死不明。

死に場所に向かっていた原野薫は少しの時間の違いで土砂に埋もれることなく生きている。

私は運命の皮肉な交錯に震え、夢遊病者のように食堂を出た。

運転席に乗りこんだときスマホを持ってきてしまったことに気づいた。

改めて画面に見入った。

「薫! 19:09」「薫! 19:09」「薫! 19:10」「薫! 19:10」「薫! 19:11」

土砂崩れがなければ母へ別れのメールを送る私のスマホがこの画面になって皆藤薫さんは実家に帰り着いていたはずだった。

私は震える指で皆藤薫さんのスマホに入力した。

「20:16 ちらし寿司食べたかった」


エンジンをかけて私は来た道を街に向けて下り始めた。

皆藤薫さんが助からなかった場合、私が打った返信は母親への感動的な遺言になるだろう。

スマホ本体が発見されないミステリーとともに。

彼が生きて救出されたならば、本人に覚えのない返信は騒動を巻き起こすだろう。

どちらにしても悪夢のような私の人生のよどみを少しでもかき乱してくれる波乱になればよい。


レンタカー会社に車を返してマンションに戻った。

エレベーターを待つあいだ、壁面の鏡の正面に立ってみた。

くるくる巻いたゴムホースの端が手提げ袋の口からのぞいている。

死の手前から日常の世界に戻ってきた自分の姿はひどく間抜けに見えた。

自分の部屋に入ると電気もつけず倒れこむようにベッドに横になった。


うたた寝から覚めてスマホで時刻を見た。

テレビをつけようと思ったが日曜の深夜にニュースをやっている局はない。

今のこの時間、皆藤薫さんの母親はどうしているだろう。

私は自分の母親の声が聞きたくなった。

「こんな夜中にどうしたの?」

母親は眠そうな声で電話に出た。

「あ、母さん? ごめん、友だちと間違えた」

「なんだい、寝てたのに。全然帰って来ないけど仕事が忙しいのかい?」

「うん、時々死にたくなる」

「大げさだね、眠いから切るよ」

「あ、ちょっと待って」

「なに?」

「今度帰ったとき、ちらし寿司を作ってくれない?」

「いいよ、じゃおやすみ」

スマホの電源を落として目をつぶると閉じたまぶたの間から涙がこぼれた。

雨脚が風にあおられるたびに窓をたたく。

もう0時を回って月曜になっているだろう。

このまま眠るか、パジャマに着替えるか。

それが今はとても大きな問題のように思われた。

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