15 橋本
仰向けに倒れている若い女性の胸には、おそらく心臓を貫いているであろう包丁が深々と刺さっていた。
靴が埋まりそうなほど毛足の長い絨毯は赤く染まっており、相当な出血量であることが見てとれる。それ以外の血痕は見える範囲にない。刺されてそのまま倒れたと考えていいだろう。
そんな様子で一条が室内を見回していると、奥からスーツ姿の男がコツコツと足を鳴らして近づいてきた。
黒い蓬髪に黒縁メガネが特徴の男。170cmほどの一条に引けを取らない長身が、緑がかった灰色のダブルスーツに身を包んでいる。
「異常に早かったな…って、なんだその格好?!」
男は,目を白黒させて一条を二度見、三度見すると、指に顎を乗せ,一人納得したように言った。
「女装の趣味があったんだな。ああ、うん、まぁ、いいと思うぞ、似合っている。ただ胸は少し主張を抑えるべきだと思うのだが。痴漢されるぞ」
「失礼だなあ、これでも立派なレディーだよ。普段は動きやすいから男装してるだけで」
「えっ」
「え」
「え」
男は驚きの声を上げ、一条は男が驚いたことに驚いた。
そして水無瀬は二人が驚いたことに驚いた。
「この人も知らなかったのですか?」
水無瀬はそっと耳打ちした。
「みたいだね。全く橋本くんは刑事のくせに頭がないから困るよ」
「聞こえているが?」
地獄の底さえ震撼させる声で言った。
二人は目を逸らしてプロ並みの口笛を吹いた。
「ま、まあ落ち着きなって」
「そうですよ、えっと…塚本さん?」
「橋本だ。言っておくが高校時代のテストはオール赤点、通知表は体育以外全て1だからな。覚えておけ」
「それ自分から堂々と言うもんじゃないです…」
なぜか誇らしげに胸を逸らしている橋本に,水無瀬は少々顔をひきつらせた。
「え、えーっと、僕は水無瀬と言います。そこの一条さんと同様、非合法組織‘残影’の一員。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼まれた。いやしかし、お前が噂に聞く相棒か。一条の過酷な試験をクリアしたやつだと聞いて、もっといかつい奴かと思っていたんだが」
「試験?」
水無瀬は小首を傾げた。試験など受けた覚えがないからである。いつの話だろうかと唸り声をあげながら考えていると、一条が口を挟んだ。
「水無瀬くんね、手間暇かけて作った落とし穴に落ちなかったんだよ。十メートルも掘った上、落ちた瞬間点火したガソリンが降ってくる仕掛けも施したのに。しかもだよ、私特製の永眠薬効かなかったんだ。どんな体質しているんだ本当に」
一条は外国映画の俳優のようにやれやれと肩をくすめた。
ふと橋本の方に目をやると、顔を真っ青にしながらガタガタと震えている。一条が想像以上に恐ろしい人物であったからである。
「よく生きていたな…」
「僕もびっくりですよ」
そう言って二人で苦笑いした。
「ねえ、そろそろ本題に入らないかい?夏帆さんの親友とやらに話を聞かせてくれ」
部屋の隅にある小窓から夜景を眺めて言った。
「え?死体は調べなくていいんですか?」
「あーうん、橋本君さえ居なければ床に這いつくばってでも手がかりを集めたいところだけれど…」
一条は横目で橋本を見た。
「駄目だ、鑑識が撤収するまで我慢しろ。と言うか本来なら私人探偵は部屋にすら入っては行けないんだぞ、裁判で不利になるからな。」
橋本は意味ありげな視線を向けた。
一条はその意図を理解すると、部屋にいる警察関係者全員に聞こえるような声で言い放った。
「デモー!ワタシタチー!コエヲー!キキマシター!」
「ソウデスー!キキオボエノアルーコエデシター!カオヲミタラーオモイダス、カモナー!」
二人は合成音声のような棒読みの台詞を口にした。
要するに、橋本は何か手がかりを掴めるかもしれない重要人物として二人に死体を見せようと言う考えである。
「警察関係者以外に死体なぞ見せられん」
…既に目の前にあるのだが。
「エー!ワタシタチ、ケイジデスヨ!」
「ソウデスホラ!ミテクダサイ!」
懐から偽の警察手帳を取り出し、橋本に突きつける。
かなり雑なつくりであったが、橋本以外の警察の距離から見れば、本物と見分けはつかないだろう。
「ア、ホントウデスネ、ドウゾ」
ありえないほどあっさり許可を得られた。
一条は触れてしまいそうなほど顔を近づけ、死体を観察した。近くにいた鑑識はとても心配そうな目を向けている。
橋本は鑑識の肩をぽん、と叩くと、死体に近づいて、言った。
「ガイシャが所持していた学生証によれば、山田夏帆,17才だそうだ。死因はおそらく出血多量。これもまあ司法解剖を待たなければ分からんがな」
「ふうん、じゃあ何も不思議なことなんてない、一緒に居た誰かが殺したんだよ。それで一番怪しいのが、そこの彼女って訳だ」
思ったより面白くなかったねと呟き、出口のノブに手を掛ける。
「おいおい待て,まだ話は終わっていない。確かに死因は包丁を刺したことによる出血だが、他にも頭部の頭蓋骨にヒビが入っていた。何故かは分からないがな」
橋本は眉間に皺を寄せ,腕を組んだ。
「…それにあと一つ、不可解な点がある」
すぅーっと息を吸い、吐く。深呼吸を数回繰り返し、口を開いた。そして、一条に向かってとんで喜べと呟くとー
「彼女が死んだ時、この部屋は密室だった」
小学生の頃無くしたと思っていた黒歴史の小説が友達の家に保管されていたそうです。シュレッダーにかけている動画をノーカットで送ってくれと頼みました。
あと8日も投稿しなくてすみませんでした。




