テュリプ〜望みの無い恋〜
友人達や同僚は口を揃えて同じ事を言う。
「顔だけの男なんてやめときなって」
わかってる。
「都合のいい女にされてるだけじゃん」
そんな事、わかってるわよ!
私だって、彼女達の立場なら同じ事を言うと思う。
でも、わかっててもどうしようも出来ない想いがある。
心の奥底から湧き上がってきて、押さえ切れない恋情。
まるで、初めて恋を知った少女のように、熱に浮かされ、周りが見えなくなっている。
そんな自分を自覚している。
これまで、恋愛をしたことが無いわけじゃない。
それなりに……んーん、きっとそれなり以上に経験してきた。
ハッキリ言えば、今まで男に苦労した事なんて一度も無かった。
そう、彼に出逢うまでは……
彼――三ツ谷正吾は、半年前に若干29歳にしてうちの会社の営業部長に抜擢されたやり手の営業マンで、私と4つしか違わない直属の上司だった。
ずっと営業畑にいる私にとって、一番恋愛対象外なのが、同業者の男。
営業の男達って、嫌になるくらい口が上手くて、話しも面白い人が多い。
でも、そんなのはただの職業病みたいなもので、社交辞令でしかないこともわかってるから。
それなのに、初めて彼に会ったとき、私の心は一瞬にして奪われてしまった。
モロタイプの顔だったっていうのもあったけど……それよりも惹かれたのは、彼がまとった独特の雰囲気だった。
危険な感じ……絶対に惚れたらいけない類の男。
いかにも遊びなれていそうで、近づいたら痛い目を見る。
そう頭の中では警鐘が鳴ったのに、私は自分の気持ちを抑える事が出来なかった。
絶対に、惚れちゃいけない男に惚れてしまったんだ。
仕事が終わるのを、見計らったように鳴り出す携帯電話。
――今夜、うちに来る?――
正吾からの、呼び出しのメールだった。
いえ、正確には呼び出しじゃなくて『お伺い』メールね。
彼が私に指図する事はない。
全部、私の意志で決めさせるのが、彼のやり口。
「もう、勝手なんだから……」
私から会いたいって言っても、なんだかんだと理由を付けてはぐらかすくせに……
そう呟きながらも、自然と頬が緩んでいくのを感じた。
私と正吾は、別に付き合ってるわけじゃない。
彼の歓迎会の日に、そのままお持ち帰りされて、自然の成り行きで関係を持ったけど、ただそれだけ。
次の日の朝、彼が私に言ったのは「俺は誰とも付き合う気は無いから」だった。
そうなるだろうって事はわかっていた。それでも彼の魅力に逆らえずに、ずるずると続く関係。
ただの遊びよ。
何度、自分に言い聞かせたかわからない。
割り切った関係なら、辛くはないから。
それなのに、彼はとことんずるかった。
私に合鍵を持たせて「いつでも自由においで」なんて、嘯くのだった。
期待なんてしない。
そう誓ったのに、徐々に悲鳴を上げ始める心。
もしかして本当は……
この半年で、そんな想いを何度奥底に押しやったかわからない。
メールがきてから1時間ほどで、通いなれた彼の自宅の前に着いた。
渡されている合鍵で玄関の鍵を開けた私の目に、まず飛び込んできたのは、見慣れない女物のサンダルだった。
「……」
一瞬で、状況を把握した私は、ただその場から立ち去る事しか出来なかった。
なにあれっ! 有り得ないでしょ?! 自分から呼び出しておいて、他の女を連れ込んでるとか!
あんな男に惚れた自分が馬鹿みたいで、涙が溢れた。
次から次へと零れ落ちる雫を拭いもせずに、ただひたすら歩いた。
歩いて、歩いて、歩き疲れて辿り着いた公園のベンチに腰掛ける。
頭の中は真っ白で、何も考えられなかった。
ただ、自分の愚かさと、彼の無神経さに腹が立って、涙は止まる事がなかった。
見上げた夜空が嫌味なほどに綺麗で、また泣けた……
どの位そうしていたのか、一生分泣いたんじゃないかと思うほど出尽くした涙は止まっていた。
本当に私って、バカだなぁ……
冷静になってみて、初めて自分が本気で彼を愛しているんだと痛感した。
こんなに酷い仕打ちをされても、彼を憎めない。
好きになってしまった自分が愚かなんだとしか思えなかった。
あんな男、こっちから願い下げよ……
そう決意して立ち上がり、駅に向かおうと歩き出したとき、バックの中で携帯が鳴り出した。
液晶画面には、憎くて愛しい人の名前……
出る気にもなれなくて無視していると、呆気なく途切れる着信音に、ズキっと胸が痛んだ。
また溢れ出してしまいそうな涙を堪える。
「私、いつからこんなに泣き虫になったんだか……」
思わず自嘲気味な笑みがこぼれた。
重い足を引きずるように歩き出すと、再び鳴り響く携帯の着信音に、私の決意は脆くも崩れ去った。
もう、無視する事の出来ないその音に、震える手を押さえながら通話ボタンを押す。
「由佳? 今どこにいる? さっきはごめん」
「バッカじゃないの?! よく電話してこれるわね! 自分がした事考えなさいよっ!」
半分涙声になっってしまった。
「これから、うちに来る?」
相変わらずな彼の態度に、私はもう諦めた。
この人には敵わない。惚れた時点で私の負けだったんだ。
どんなにバカな女だって思われてもいい。少しでも彼の側にいられるなら。
私は、タイミングよく近づいてきたタクシーに乗り込んだ。
憎くて愛しいあの人に会いに行くために……