第五章 クレイジー・カイン
第五章 クレイジー・カイン
私が二人の会話に聞き耳を立ててじっと見ていると、気になったのか、アベルが私の方を見た。
「カイン、悪いんだが、宿の手配をしてくれないか?支払いはこれで。」
アベルがそう言って自分の革の財布を寄越して来た。私を小間使いのように追い払うつもりか。いいだろう。この男の方が王子との付き合いが長い。この場は私が身を引いてやる。
「分かりました。」
私は革財布を受け取ると、言われた通りに宿屋の主人を探した。
「すみません。部屋を借りたいんですけど、空いていますか?」
私は入り口付近にいた宿屋の主人らしき男に尋ねた。
「お嬢さん、俺はここの主人じゃないよ。主人はあっち。」
男はそう言って階段から我々を見下ろすまだら模様の猫をさした。
「おや、お泊りのお客さんかい。見慣れない顔だにゃん。」
猫はしゃべった。驚いてはいけない。ここは魔界。猫はしゃべるものだ。
「旅の途中でして。開いているお部屋はありますか?」
私がおずおずとそう尋ねると、猫は二本足で階段を下りて来た。こっちに来る!平常心!平常心!
「俺はこの宿屋クレイジー・キャットの主人、ブチだにゃん。部屋なら空きがある。でもタダでは泊まれねえ。」
ブチはそう言った。近所の野良猫にしか見えないのに偉そうだ。
「お金ならあります。」
私はそう言った。
「チッチッチッ。金は食堂で稼いでいる。宿に泊めるかどうかは金じゃない。あんたがどれだけクレイジーな話を俺に聞かせられるかで決めるにゃん。」
ブチは楽し気に言った。
「クレイジーな話?」
「そう。俺は頭のイカれた奴が大好きさ。だからクレイジーな話を聞かせてくれた奴だけ、泊めてやることにしている。」
ブチはなぜか得意げに言った。
「そう言われましても・・・」
困った。魔界の猫が訳分からないことを言って来た。二本足で歩くお前がクレイジーだと言いたいところだが、何かないだろうか。考えあぐねていると、私の後ろに誰かが立った。
「クレイジーな話なら僕・・・いや、私ができる。」
もたもたしている私を見かねて王子が助けに来た。
「おや、そちらのお嬢さんが聞かせてくれるのかい?」
女装した王子を見て、ブチが可愛らしいものを見るように言った。
「ああ。どことは言えないが、とある国の王子の話しだ。」
王子はニコッと笑った。ブチの心臓がキュンっと鳴るのが聞こえた。可愛いだろう。このフリフリのドレスにこの愛らしい顔はベストマッチだ。私の見立てに間違いはない。
「話してみるにゃん。」
ブチにそう促されて、王子が話し始めたのは聞き覚えのある話だった。
「ある日、宰相が謀反を起こしました。」
おっ、冒頭からパンチがきいているな。ってか自分のことを話すのか。
「その時、王子はちょうど家庭教師と勉強中でした。その家庭教師というのが、絶世の美男子で、いつもすました顔をしてニコリとも笑わないので絶対零度と異名をとるほどでした。」
カインってそんな感じのキャラだったんだ。まあこの顔なら愛想をふりまかなくても生きて行けるか。
「しかし、その日に限って家庭教師は川に落ち、頭を打って記憶喪失になっていました。」
「にゃんとまあ、運の悪い・・・」
ブチがつぶやいた。話に入り込んでいるようだ。
「そこへ王子を捕まえようと兵士が二人のもとへやってきました。すると、一緒にいた家庭教師が壺で兵士を撲殺しました。」
「にゃにゃっ!」
「家庭教師は勝手に城の外につながる隠し通路を作っていて、そこから二人で城の外に逃げるのですが・・・城の工事を許可なく行うのは重罪です。王子は頭が痛い・・・」
おっと、そうでしたか・・・。
「馬で近くの町を目指し、険しい山道を抜けるのですが、道中、兵士が追ってきて、それを家庭教師が底なし沼に誘い込んで沈めたり、断崖絶壁を走り抜けて撒いたり、激流に突っ込んで泳いで対岸に渡ったり・・・馬が助けてといななくのを初めて聞く王子なのでした・・・」
王子が悪夢を思い出すように語った。
「その家庭教師ヤバいにゃあ。」
ブチが言った。
どこがヤバい?正当防衛だ。しゃべるお前の方がヤバいだろう。
「それで王子はどうなったにゃん?」
「無事近くの町に辿り着き信頼できる家臣に会えました。」
王子はそう言ってアベルに視線を送った。
「良かったにゃあ。そのサイコ家庭教師に連れまわされてバッド・エンドかと思ったにゃあ。」
ブチがホッとして言った。サイコ家庭教師だと?失礼な猫め。
「どう?私たちは泊まれるのかな?」
王子がブチに尋ねた。
「合格にゃあ。二階の部屋を好きに使っていいにゃあ。」
ブチが満足気に言った。
「お見事です。王子。」
アベルがこちらにやって来て言った。
「僕もなかなかやるだろ?」
王子が得意げに言った。
「ところで、その話の家庭教師とはもしかしてカインのことでしょうか?」
アベルが恐る恐る尋ねた。
「そうだ。」
王子がそう答えると、アベルが悪魔を見るような目で私を見た。確かに吸血鬼ですけど、お互い魔族でしょうが。
「カイン、私は警護のために王子と同室に泊まります。君は隣の部屋で休むといい。」
アベルが貼り付けたような爽やかな笑顔で言った。こいつは私のことを信用していない。
「王子のお世話なら私が・・・」
「いえ、結構。」
アベルがきっぱり言った。
何だろうこの感じ。ゼロから企画して、根回しして、仕事が軌道に乗ったところで新人男性社員にバトンタッチ。こいつはその時の男性社員と同じ顔をしている。表面上、礼儀正しくしているが、心の中では私を下に見ていて、当たり前のように手柄を持って行く。
冗談じゃない。命がけでここまで王子を守って連れてきたのは私だ。
「王子に決めてもらいましょう。」
私はアベルに言った。実績があるのは私だ。お前は身軽にここまで来ただろう。王子は私を選ぶはずだ。
「いいでしょう。」
アベルは受けて立った。
「マリウス王子、私とカイン、どちらと同室がいいですか?」
アベルが王子に尋ねた。
「え、ああ、どちらでもいいけど・・・じゃあ、アベル。」
王子はアベルを選んだ。