【100話到達記念番外編】諏訪光司の優雅な休日
マッドサイエンティストの朝は早い。
この日彼が自宅を出発したのはまだ日も昇る前だ。
「特にこの歳になると意識的に身体を動かすようにしないと……何しろ命と向き合う仕事ですから常に万全の状態で臨みたいのです」
そう話す彼の瞳は強い輝きを宿していた。
ランニングと入念なストレッチを終えた彼は一度家に戻る。
車の準備をするためだ。
「いい仕事は入念な準備から」
そう話す彼は慣れた手つきで車の点検を進めていく。彼の自宅のガレージには複数の高級車が並んでいるが、今日使うのはNISSANのキャラバンだ。
「今日の仕事には一番ピッタリな車です」
ただ好きな車を集めるだけではない。
それぞれの機能性を把握した上でそれぞれの状況に最適な選択を行うことのできる準備……流石である。
ただ一点気になることがある。今日は彼にとって休日のはずだ。
そんな中行う仕事とは?
「いや失礼、言葉は正確にしなければいけませんな。まあ、有体に言えばハンティングといったところでしょうか? 折角の平日休み、これを利用しない手はありませんから」
言葉の真意はわからないが、我々は彼の車に乗り込んだ。
着いた先は市街地のはずれだ。
「ここは人目が少ない上に周囲に監視カメラもないので最高の猟場です」
彼が多趣味なことはよく知られているし、射撃の名手であることも有名だ。だが、こんな市街地で行うハンティングとは一体?
「おっと、説明していませんでしたね。ははは、別に特別なことなどはありませんよ」
彼がいうにはここは通学路なのだという。
『機構』でも入手の難しい天然物の子供の被験者を獲得するためのハンティング……彼は良い素材を座して待つだけではなくこのように自らの足で集めているのだ。
調理の技術だけではなく素材からこだわり抜いた彼の『チャッピー』こうして考えればまさに三つ星と呼ぶべきその素晴らしさにも納得がいくというものだ。
「事前の調査ではもう十分程度で数名の小学生がここを通るはずです」
彼の言葉の通り通りかかった小学生を拉致、走り出そうとした時車体に強い衝撃がはしった
「おっと……もう嗅ぎ付けられてしまいましたか」
前後を塞ぐように衝突してきたのは灰色のTOYOTAハイエース……『保全財団』やテロ組織の襲撃?
「そうであれば容易かったのですが……私の知る限り世界で最も厄介な相手です」
あの諏訪光司をしてそこまで言わしめる相手とは一体……
『あーあー、諏訪先生! 言っても無駄だと思うけど抵抗しないで投降しなさい!!』
側面から接近してきたクラウンから降りてきた一人の女性が拡声器を手に呼びかける。
甲信研究所の千人塚由紀恵博士
『機構』で最も広範な事態に対応するプロフェッショナル中のプロフェッショナルであり彼の上司でもある。
「……しっかり捕まっていてくださいね?」
言うが早いか前後を狭窄して来ていたハイエースを押し退けてキャラバンの巨体が急加速していく。
カタログスペックではキャラバンの動力性能でできる芸当ではない。
それでもなおこれだけの事を成せたのは彼の運転技術の妙、と言うだけの話ではない。広範な知識と技術を有する彼がこのような事態に備えて改造を施していた成果なのだろう。
「各個射撃! 殺すつもりでいい!!」
対する千人塚博士の率いる部隊の対応も早い。
サイドドアを開いたハイエースからは小銃や機関銃での射撃、明らかな致命射撃を行う彼らはおそらくは千人塚博士子飼いのDS職種調査員だ。
「残念ですが仕方ありません……」
しばらくのカーチェイスの後、どこか楽しげにも聞こえる声音でいった彼は折角捕まえた獲物を車外に放り出した。
ここまで苦労したというのに良いのだろうか?
「幸いあの年齢層なら幾つかストックがあります。あれほど本気の博士相手に数体の子供ではあまりに割が合いませんよ」
この状況でも冷静さを失わず最良の選択をできるというのは並大抵の事ではないだろう。
彼が世界にその名を轟かせた諸国漫遊の--
「ごめん、何見せられてんの? これ」
「いや、博士が見せてくれって言ったんじゃないですか……」
キョトン顔の梓ちゃんは私の言葉の意味を全く理解していないようだ。
私が見せてくれと言ったのは彼女が参加する医療研究員の勉強会の資料であってこんないかれた仕事の流儀ではない。
「もしかしてその勉強会ってこんなことばっかりしてんの?」
「うーん……確かに諏訪先生のファンクラブ的な面はありますけどちゃんと勉強もしてますよ?」
「ん……?」
なんか今聞き捨てならない文言が聞こえたような気がするのだが……
「おや、あの時の密着取材ですか」
「あ、はい! 再編集版の休日編です」
とりあえず梓ちゃんからイカれ映像を回収するのは決定として……
「藤森ちゃん! 宮田くん!」
「「アイマム!!」」
子供のストック云々については詳しく話を聞かなければならないだろう。
件の襲撃阻止が三週間ほど前なので、いつもの諏訪先生のパターンなら今頃は東南アジア辺りのゴロツキの元から密輸船で日本にもどされているだろうからまだ助けられる可能性が高い。
「博士、先生、雨傘に注文する薬品なんか追加があれば……なんですかこれは」
「猪狩さん!! 拘束具お願いします!」
「なるほど! わかりました!!」
プロフェッショナル然として密着取材を受けていた諏訪先生ではあるが、その諏訪先生の取り扱いにかけてはうちの研究室の面々もまたプロフェッショナルである。
最初はびっくりしていた猪狩くんもすぐに状況を理解してくれたようだ。
「そんで、今のうちにどこにいるか吐いてくれれば東医研の尋問屋呼ばなくていいから私としても楽なんだけど」
東医研の尋問屋こと司法医療研究科は医学・生理学的な情報収集の手法の研究と実践を行う拷も……尋問のプロフェッショナル集団だ。
「やれやれ……私としたことが迂闊でした。密着されているからとついつい余計なことまで話してしまうとは」
猪狩くん謹製の対諏訪先生用拘束具でガッチガチに固められた諏訪先生は諦めたように言う。
「明後日の深夜に男鹿市の海岸に荷揚げ予定です」
「男鹿……諏訪先生北朝鮮とかにパイプあるんだっけ?」
「いえ、北ではなくウラジオ経由です」
ロシアということならまあ結構裏社会にコネがあるだろうが……諏訪先生に悪用されそうな反社は結構前に『アカデミー』と共同で殲滅したはずなんだけどなぁ
「大嶋くん達、明後日出張と夜勤いける?」
「行けます。サクッと片付けてきますね」
「ごめんね、ちゃんとマシマシで手当てと代休つけるから」
反社相手だ。彼らに任せておけば何ら問題はないだろう。
ただそれでも情報収集やら統制業務やらで秋田支部の協力を要請しなくちゃだろうなぁ……
「……なんていうか、諏訪先生がお休み取るたびに私たちの仕事が増えてるような気が……いえ、まあもう慣れてるんでいいんですけど」
「いや、がっさんが正しいよ……これに関しちゃ慣れちゃう方が異常なことだもん」
ともかく、ささっと片付けてしまおう。
秋田県男鹿市北浦入道崎上中野 県道121号線近傍海岸線
見るからにガラの悪い日本人とロシア人が仲良く、音も無く斃れていく。
どうやら目的の積荷は武器の密輸とバーターで行われているようで、真夜中のこんなクッソ田舎の海岸線がこの日ばかりはかなりの人手である。
「相変わらずすごい手際ですね……」
修くんが簡単の声をあげる
「大嶋くん達のレベルが高いのは確かだけど今回に関しちゃカテゴリーが違うからね。あの程度の非戦闘員相手なら何人いたって敵わないよ」
大嶋くんの本隊が陸上から攻撃、同時に海中から隠密裡に密輸船に乗り込んだ川島くんの別働隊が船内の掃討と諏訪先生の荷物の捜索にあたる。
治安組織の様に捜査やら逮捕やらを目的にしていない分シンプルな攻撃だ。
大嶋くん達からすれば生地で実際の行動を確認できるので訓練としては悪くないという話ではあるが、こうもスピーディに済んでしまうと果たしてその役に立ったのかすら疑問である。
「せ、折角……あの、ドローンに、えっと……ミ、ミサイルとロケット、積んできた……けど……」
「うん、だから言ったでしょ? 燃費悪くなるからカメラだけでいいよって」
片切くんが過剰に準備をしすぎて残念がるというのもいつものことだ。
彼のこの感じのおかげでいざという時には「こんなこともあろうかと!」してもらえるのはありがたい事だが『事案』対応でもないのにいざもクソもないだろう。
『リンドウ00 リンドウ40 対象確保 これより離脱を開始する』
「リンドウ40 リンドウ00 了 ピックアップに向かう」
窓から身を乗り出して待機中のみんなに腕をぐるぐる回して合図する。
待機中のハイエース及びマイクロバス、4t車のエンジンに一斉に火がはいり煌々とヘッドライトが灯った。
『リンドウ00 リンドウ30 当該地域の制圧を完了 安全確保の為リンドウ30αを残し40の援護にあたる』
「リンドウ30 リンドウ00 了」
大嶋くん達も予定通りに進めてくれているみたいだ。
「それじゃ修くん、責任重大な車列の先頭! やってみようか!」
「い、行きます!」
秋田県秋田市 環境科学研究機構 秋田支部
「みんな、こっちのおじさんについて行ってね! 大丈夫だよ、すぐ帰れるからね」
子供達……まさかの26人、今の時代ならひとクラス分相当と言ってもいいほどの人数を秋田支部に引き渡す。
支部には鳥医研から医療チームが来てくれているので超常医療・生理学上の検査をした上で記憶処理を施して親元に返す手筈になっている。
「なんだか……」
「とんでもなく大事ですね……」
双子ちゃんはここまで本格的な諏訪先生対応は初めてなのでそう思うのも無理はない。
「規模感的にはかなりだね、ただこれでも諏訪先生が自由になってるよりはマシだから上もまあ黙認はしてくれてるんだよ」
「流石諏訪先生!」
「ろくでもないですね諏訪先生……」
おお、珍しく双子ちゃんの意見が真逆に別れた。珍しいもの見た気がする。
「そういえば例の勉強会ってあのビデオみたいなことばっかりしてんの?」
「え? あ、いえあれは勉強会の開催100回記念ってことで作ったものみたいですよ?」
「100回記念……これまた……」
比較的高頻度で開催されている勉強会だというのは梓ちゃんからの申請書のおかげで知ってはいたがそれでも年に十数回程度だ。そう考えればかなり歴史のある勉強会だということになる。
「というかプライベートの諏訪先生に密着なんて危ないからやめな? あの時だって危うく諸共撃っちゃうとこだったんだからね」
「あ、それに関しては大丈夫です! 本職のテレビクルー使ってますんで」
「は……?」
こんだけのモノを外部の人間の手を借りて作ったとなれば事態はいつもの諏訪先生対応の枠外だ。
明らかに黙認される線を越えてしまっている。
「……梓ちゃん、申し訳ないけど」
「え……?」
手錠を取り出すと彼女は状況を理解できていないのかぽかんとした表情をしている。
こうなってくると私でも揉み消しは不可能だし所管するのもうちのような研究所ではなく統制本部だ。
彼女のような天才をこんな馬鹿げた話で失うというのは残念でならないが……
「ちょっと待ったー!!」
その時響いたのは静代さんの声だ。
部屋の入り口の方を見ると静代さんと佳澄さんが喪服姿で連れ立って立っていた。
佳澄さんには件の勉強会構成員の調査及びビデオ作成に伴う情報漏洩の有無についての調査をお願いしていたし、静代さんはそれに伴う事情聴取の支援で出てもらっていたのだが
「博士、安曇さんが言ってるのは違うんです! あれです! えーっと……とにかく大丈夫です!」
「ん……?」
「そうですね、元々は本職のキー局の報道系職員ですが、こちら側に踏み込み過ぎたので特定調査員として特別雇用された方々です。どうやら記憶改竄して使用した様ですが規定上問題なく手続きを踏んでいますから」
静代さんの……天才肌な説明にキョトンとしていると佳澄さんが補足してくれた。
「なんだ……びっくりしたぁ……それなら最初から言ってよ」
まあよく考えてみれば楡原先生をはじめとした高位の医療研究員達が揃っている件の勉強会、態々自分達の立場が危うくなるような事をするはずもないか……彼らの憧れの人物と違って彼ら自身はいたってまともだ。
しかし、例のビデオ……100回記念特別番組『諏訪光司の優雅な休日』とでも言ったところだろうか? あれは功罪いずれのものか……
私の気持ち的にはもちろん罪だが、あれのおかげで芋づる式に諏訪先生の起こした事態が明るみに出た訳だし、何よりも梓ちゃんをはじめとした『機構』の若手医療研究員達の学びに対するモチベーションが高まったのも事実なわけで……
そもそも高い熱意で100回にわたって専門知識を共有し続けてきたんだから何かしらのご褒美はあってもいいのではないかとも思う……うーん悩ましい……
「まあ、あれだね……折角節目を迎えたわけだし、一層気合い入れて勉強しなね?」
「はい! もちろんです! 今まで以上に気合い入れて頑張ります!!」
私に言えるのはこれくらいだろう。
「一応、100回到達おめでとう」




