人類最良の友【犬の日記念番外編】
九州上空 高度10000m
久しぶりの空の旅
これが快適な旅客機であれば言うこと無しだったのだが、航空部のC-130である。
機内食も無ければリクライニングシートも無い。
おまけにフリーフォール用の装備のせいでまともに身動きすらとれないと来ている。
帰りたい……
「博士! あれ見て下さい!」
「元気だねぇ……どしたのさ」
薄暗い機内、皆一様に張り詰めた空気だがうちの小笠原ちゃんだけは例外の様だ。
「あそこの調査員さん、お腹に犬付けてますよ!」
「ああ、K9の人でしょ?」
『機構』の仕事は、簡単に言ってしまえば『事案』を探し出してふん捕まえて研究する事だ。
その『探し出す』と言う部分において各種センサー以外にもあらゆる手段を用いる。
探知犬もその内の一つであり、人間を遥かに凌駕する嗅覚と対超常感知能力を活かして活躍している。
ジャーマンシェパードをベースに独自の品種改良と遺伝子操作を行った独自の犬種を用いている。
「あ、私知ってます! 『ワンワン』ですよね!」
思いの外大きな声の小笠原ちゃんの言葉に、機内の何人かが小さく吹き出し、空気が少し弛緩する。
「あー……うん、まあそうだね」
『ワンワン』は旧軍時代から脈々と引き継がれてきた重要なプロジェクトの賜物である。
徹底的な品種改良と大胆な遺伝子操作によって、最早『イヌ』ではないとも言われる品種だ。
数十年前完成に至った時に名付けられた『Wonderful One』という正式名称を略して『ワンワン』である。
歴史ある重要なプロジェクトの成果物に名付けるにしては中々に可愛らしい感じになってこそいるが、当時の開発チームの天才達ですらそこまで舞い上がらせてしまう程の傑作でもある。
「可愛いですねぇ……この案件が片付いたら撫でさせて貰えないか聞いてみます!」
「ははは、構いませんよ、撫でてみますか?」
機内でも聞き取れる程の大声での会話である。
苦笑いしながらK9の職員が歩み寄ってきた。
「え! 良いんですか?」
「どうぞどうぞ」
嬉しそうに『ワンワン』を撫でる小笠原ちゃん
しかし『ワンワン』はK9ハンドラーさんの身体にハーネスで固定されているため、彼は中腰である。
「なんか……すいません」
「いえ、相棒がモテるのは自分も嬉しいですから」
いい人だ。本当に『機構』の職員だろうか?
K9チームのハンドラーはうちの羽場君達と同じDS職種の調査員である。
しかし、この彼をはじめとして私が今までに出会ったハンドラー達は冷徹な殺人マシン然とした普通のDS調査員とは違って穏やかな人々ばかりだった。
やはり毎日動物とふれあっているからだろうか?
『機構』の研究者達の元にも『ワンワン』を配備すれば少しは平和に……いや、独自の『改良』に着手しそうな人格破綻者達のところに動物を与えるのは適切では無いな
「この子、名前はなんて言うんですか?」
「ベルナールです」
「ベルナール……? 『機構』にしては珍しいセンスですね」
「そうなんですか?」
「そうだよ、犬でベルナールと言えば聖ベルナールだとかグラン・サン・ベルナール修道院とかバリー号とかその辺だろうしね」
「ぐら……はい?」
キョトンとした顔のがっさん
偶然だろうがベルナールが呆れた様にあくびをした。
「詳しいですね、そこまで知っている博士は珍しいですよ」
「あはは、まぁ私も犬は好きですから」
軽くベルナールを撫でる。
撫でられ慣れているのかこちらに頭を寄せてきた。
人懐っこく大人しい。
手入れの行き届いた毛並みは犬種独特の堅さこそあるが非常に滑らかな手触りだ。
「元々こいつと自分は航空部所属だったんです」
「というと……救難員ですか?」
ハンドラーが首肯する。
航空部で『ワンワン』を使用するのは航空救難課だけだ。
航空事故において乗員の捜索と救助を行う部署であり、戦闘救難業務における武器使用以外は他人に危害を加える事がほぼ無い。
その出自からすればこの穏やかな人柄にも納得がいくというものだ。
「へえ……こんなに可愛いのに凄いんですねぇ……」
実に和やかな空気の中、機内のランプが点灯する。
機内の減圧が開始される合図だ。
「よし、マスクつけるよ」
甲信研に所属する私達が九州くんだりまで空輸されてきたのはこれが理由だ。
仕事自体は逃げた『キスチョコ教授』の捕獲という『機構』職員であれば殆ど全員が経験する恒例の行事だが、今回は少し厄介だ。
いつも通り反社会勢力構成員やら浮浪者やらを手駒にしているが、今回はそれらの精神汚染によって配下に収めた連中を連れて壱岐の属島である小さな無人島に籠城した。
下請けの例外に漏れずキスチョコ教授は超常戦に精通している。
そんな相手が離島に籠城となると色々苦労が多い。
そのためDS調査員の部隊とともに『事案』対応要員として私達もこの作戦に参加している。
島への上陸はHALO降下をもって行い、島内を殲滅しながら安全化する。
調査職種であればほぼ全員が習得しているフリーフォール技能ではあるものの、研究員でそれを身につけている者は稀だ。
そんな中で私は冷戦期に訓練を受けさせられているし、小笠原ちゃんは『楽しそう!』と言う理由でこの夏に訓練課程を修了している。
私が訓練を受けた時に想定されていた全面超常戦における長躯浸透ではない分マシだが……
そうこうしている間に後部ハッチが開いた。
降下準備は完了だ。
ペンギンの様にヨチヨチとした歩みで調査員の皆に続いて飛び降りる。
うーん……私はただの研究者なんだが……
降下は恙なく終了した。
制圧作戦も概ね順調に推移していた。
周辺海域は海洋部の船と五島研究所の無人機がしっかりと封鎖してくれているお陰で、最大の懸念事項であるキスチョコ教授の朝鮮半島への亡命もまずもって不可能とみていい。
アメリカ寄りの韓国はもとより、中国の超常管理機関が所管する北朝鮮もまずい。
連中は分不相応な超常武装を目論んでいる節があるからだ。
一応九重理事が中国の五岳党に警報とともに協力要請をしてくれてはいるが、破れかぶれになった小国と被害妄想過剰な陰謀論者の取り合わせはかなりよろしくない。
たかが下請け一人にこれ程の規模の追捕の手を差し向けたのはそれが理由である。
だが、とりあえず目下の終末事態危機を招きかねない政治的局面は終わったと見て差し支えないだろう。
しかし、戦術的局面ということであれば割と厄介な状況である。
一瞬の隙を突かれて小笠原ちゃんが拉致され、膠着状態に陥ってしまっている。
幸い小笠原ちゃんは研究職だ。
調査職種の皆の様に口内に青酸系毒物のカプセルを仕込んでいたりはしないのではやまった事になる危険こそ無い。
それでも私の手元の端末には小笠原ちゃんの装備のバッテリーパックをショートさせるリクエストが矢継ぎ早に送られてくる。
情報漏洩を防止する為の機能であり、装備された電子機器の回路と使用者を破壊するための機能だ。
間違ってもそんなものを承認などするはずも無いが……
「博士! 構いません! 撃って下さい!」
「馬鹿! 構うし撃たないよ!」
実に潔い事だ。
昔ならそれは美徳だったろう。
だが今は21世紀である。滅私奉公なんざ流行らない。
殺気立つ調査員の皆を制しつつ、打開策を考える。
距離は概ね100m……小笠原ちゃんを拘束する敵を狙撃したところで周辺にはまだかなりの量の敵がいる。
おまけにキスチョコ教授は更に後方で遮蔽物に隠れていると来ている。
どうしたものかと悩んでいると、K9ハンドラーに肩を叩かれる。
「博士、連中の注意を引けますか?」
「出来るとは思いますが……どうしました?」
彼の傍らに控えていたベルナールの姿が無い。
「現状を打開できるかも知れない案があります」
彼の話を聞き、実行可能かを思考し、判断する。
リスクは高い。
だが、やれる……!
袖口に仕込んだ自決用のスイッチをいくら押しても反応が無いことに、小笠原調査員は苛立っていた。
何も出来ない己の無力さに絶望しているということもあるが、何よりも現状で最も効率的な行動が己の自決であるという確信のもと、それを渋っているだろう上司に対してのそれである。
(……博士は優し過ぎるんです)
時間は精神に対する強烈な酸化剤であろう。
確と固めた覚悟すら鈍の如く錆びさせてしまうのだから。
覚悟を込めて押し込んでいたはずの指は震え、結唇は確と結んでおかなければ歯の根すら合わぬ様な有様である。
「おーいっ! 聞こえますかぁ!」
耳障りなハウリング音と共に鳴り響いたのは千人塚博士の間延びした様な声
「私は『機構』の千人塚です! 文明的に話し合いをしましょう!」
声が全方位から聞こえるのは五島の無人機のスピーカーから放送しているからだろうと小笠原調査員は推測する。
だが、手段が分かったところで意図が余りにも不明瞭だ。
追い込まれたキスチョコ教授が話し合いに応じるとは到底思えないうえに『機構』側が得るメリットが余りにも小さすぎる。
職員を粗末に扱う様な組織では無いが、業務の性質上損耗は日常茶飯事である。
圧倒的優位を保持しているとはいえ、何をしでかすか分からない相手に対するにしては行為の方向性が長閑に過ぎる。
彼女の推測したとおり、キスチョコ教授からの返答は無い。
それでも途切れること無く呼びかけを続ける千人塚博士……
(一体何を……)
十数分続く不思議な膠着状態、それを破ったのは彼女の耳元で発した銃声だった。
続いて衝撃と共に突き飛ばされた彼女は、何かが自分にのしかかってくるのを感じた。
「よしっ! 突入!!」
目論見があたったのを確認して調査員の皆に指示を出す。
人質を盾に体勢を立て直そうと人員を集結させていたのが運の尽きだ。
おまけに自我をほぼ失っている敵には自発的に撤退するという選択肢は無い。
瞬く間に制圧は進み、インカムからはキスチョコ教授確保の報が聞こえてくる。
「ふう、終わったみたいだね」
「一体何がどうなって……」
行儀良く伏せたベルナールの下敷きになった小笠原ちゃんは事態が飲み込めていないのか目を白黒させている。
今回の殊勲は間違いなく彼だ。
それを讃える為に撫で繰り回すと、迷惑そうに顔を背けた。うん、かわいい!
「私達ヒト猿より犬の方がよっぽど優秀なハンターだからね」
小笠原ちゃんを人質にされてしまった以上、正面から叩くわけにはいかない。
であれば正面以外から叩けば良いというのがハンドラーの提案だった。
私が拡声器で敵の注意を逸らしつつ敵の聴覚を阻害、その隙にベルナールが要所の敵を隠密裏に排除する。
開けたこの場所では『機構』の特殊部隊の人員でも厳しい作戦だが、ベルナールはそれを成し遂げた上で小笠原ちゃんの安全の確保までしてのけた。
強靱な身体機能もさることながら、一般的な犬を遥かに凌駕する脳機能をもった『ワンワン』が高度な訓練を重ねた上で漸く辿り着ける境地だろう。
「なんか犬派になりそうです……」
「あはは『ねこです』の担当者が何を言ってるんだか」
ベルナールの下から這い出してきた小笠原ちゃんは彼を抱き締める。
「ありがとうございます」
答えるようにベルナールは小さく「わふっ」と声を出した。
福島県南会津郡
環境科学研究機構探知犬センター
壱岐でのキスチョコ教授捕獲作戦から数週間後、犬の日ということにちなんで小笠原ちゃんと共にK-9部隊の根城を訪れた私達は、人懐っこい探知犬達に囲まれて至福の時を過ごしていた。
「甲信研から博士達が来るって聞いて何事かと思いましたよ」
今日私達を案内してくれているハンドラーが呆れ半分に言う。
彼は小笠原ちゃんの恩犬、ベルナールのハンドラーだ。
滝谷主任調査員というらしい。
「折角犬の日なんで、観光のついでに視察をしようと思いまして」
「博士……逆です……」
「おっと、つい本音が!」
「ははは、相変わらず変わった人ですね」
そう言いながらもここの人々が歓迎してくれるのはひとえに自分達の相棒に感心を持たれるのが嬉しいからなのだろう。
ハンドラーと探知犬の関係はそれこそ親子以上のものだとも言われる程だ。
ここに来て最初に案内された探知犬慰霊塔は常に花や供物が絶えないし、参拝するハンドラーも途絶える事が無いのだそうだ。
最高級品種である『ワンワン』はそこまで損耗率が高いわけでは無いとはいえ、探知犬には他にも様々な犬種がいる。
人に代わって危険な業務を遂行する都合上、殉職する探知犬は多い。
残酷で非人道的にも思えるが、人類社会を裏から守る英霊達を相棒であるハンドラーは忘れない。
一説には40万年以上前には犬の祖先である人間と共生する狼がいたと言われる程、相互に影響を与え合ってきた人類最良の友である。
探知犬にとっての幸福を推し量る事こそ出来ないが、少なくともハンドラーと出会えた彼らは幸せな日々を送っているものだと信じたい。
「恨まれているのは覚悟の上です」
私の思いを聞いた滝谷調査員は言う。
「地獄で見送ってきた相棒達に食い殺されるんなら本望ですよ」
その言葉は本心からのものなのだろう。
それは目を見れば分かる。
しかし、仮にそういう地獄があったとしても、彼にその責め苦は訪れないのでは無かろうかとも思う。
それはベルナールが彼に向ける信頼の眼差しからひしひしと感じられる。
「虹の橋っていうネットミーム、ご存知ですよね?」
「ええ、勿論です」
沢山の愛を受け、先立った動物は天国の入口にある虹の橋のたもとで飼い主を待っているという話だ。
それがあるかどうかは分からないが、あるべきだとは思う。
そしていつか彼が旅立つ日には今まで見送ってきた多くの相棒達と賑やかに虹の橋を渡って行くべきだ、と
「買いかぶりすぎですよ」
「そうでも無いと思いますよ?」
幸福、信頼……結局それらの形は不定形だ。
探知犬の一生が傍目に残酷なものに写ったとて、外野がそれを断じるなんて出来よう筈も無い。
「まあ、湿っぽい話はこの位にしときましょうか……うちの子もそろそろヤバそうですし」
大小さまざまな探知犬に囲まれた小笠原ちゃんが溶けかかっている。
勿論比喩だ。
「そうですね、じゃあ次はこいつらの訓練風景を『視察』していって下さい」
「ええ、よろしくおねがいします」
愛玩動物としてでは無く、お互いに無くてはならない相棒として
太古から連綿と続く営みの形を久し振りに見たような、そんな気がした




