7:キャベツ畑の行き倒れ
このキャベツ畑の持ち主なのかな。麦わら帽子を被り、シャツにズボンという簡素な装いで佇んでいるその人に、話を聞いてみようと私は近付いた。
後ろ姿しか見えないけれど、背が高くて体付きはずいぶん細い。肩より少し長めの綺麗な金髪を一つに結んでいるし、もしかしたら女性なのかもしれない。
貴族女性はもっと髪が長いものだけれど、平民の女性の中には少しでも収入を得るために髪を売る人もいるから。
そんな風に思いながら声をかけようとした、その時。
「すみません、あの……えっ⁉︎」
突然大きく体が揺れて、その人は顔面から豪快に畑の中に倒れ込んだ。
「大丈夫ですか⁉︎」
「う、うう……」
慌てて駆け寄り助け起こして、驚いた。女性だとばかり思ってたけれど、若い男性だったのだ。
とはいっても、土と潰れたキャベツの葉に塗れたその顔は、びっくりするほど綺麗だった。目の下に隈はあるし頬も痩けているけれど、まつ毛が長くて中性的で綺麗な顔立ち。男性に対する感想としては失礼かもしれないけれど、美人と言っていいと思う。
……って、そんな事を考えている場合じゃないわね。
「体温が高い……熱がある?」
細い体はずいぶん熱い。ここは標高が高いから、夏の始まりとはいえそんなに暑くはないけれど、日の光はしっかりと届いている。もしかしたら熱中症かもしれない。
すぐに人を呼んで日陰に運んでもらわないと、と思ったけれど、男性がゆっくりと目を開いた。
「気が付きました? 歩けそうですか?」
「……天使が見える」
「……は?」
澄んだ青い瞳に見つめられ、ポカンとして思わず見つめ合ってしまった。今この人、何て言ったの? 天使? 幻覚でも見えてるのかな。
「オレ、死んだの?」
「生きてますよ。気をしっかり持ってください!」
これは危険だ。すぐにでも体を冷やして、水も飲ませないと。
「私、誰か呼んできます」
「いや、待って。歩ける。大丈夫だから」
慌てて立ち上がろうとしたら、腕を掴まれた。細身とはいえさすが男性。かなり大きな手のひらだ。
でも力が入らないのか、掴まれても全く痛くないけれど。
「では、肩をお貸しします」
「ごめん、ありがとう」
フラフラしている男性を畑の端にある木の下まで連れて行く。木の幹に寄りかかるようにして座らせると、近くに見えた井戸まで私は走った。
「ずいぶん深いわ」
カラカラと桶を下ろしていくけれど、なかなか底に付かない。ようやくチャポンと音がして汲み上げたけれど、思ったより汲めなかった。
予想より少ないけれど、今は少しでも水を飲ませるのが先だ。とはいえ器も何もないから、仕方なしに近くの小さなキャベツを頂いて、葉っぱを重ねて器代わりにして水を運んだ。
「どうぞ、飲んでください」
「ありがとう! 助かるよ!」
よほど喉が乾いていたのか、男性はキラキラと瞳を輝かせて受け取った。そのまま一気に水を飲み干し……なぜかキャベツまでバリバリと食べ始めた。
「えっ、あの……」
「ごめん、お腹空いてて。それで倒れたんだ、たぶん」
「……そうですか」
「悪いんだけど、もう少しキャベツを持ってきてもらってもいい?」
「あ、はい」
ムシャムシャと葉っぱを食べながら言うなんて、よほどお腹が空いているみたいだ。確かに言われてみれば、もうそろそろ昼になる。この人が元気になったら、私も宿に戻って食事にしないと。
あれこれ考えながらも、私はさっき拝借したキャベツの残りを男性に渡して。ついでに水で濡らしたハンカチを、念のため男性の首元に巻いた。
「ありがとう、すごく助かった」
「良かったです」
ひとしきり食べ終えた男性は、安心したようにホッと息を吐いた。ふわりと微笑んだ窶れた顔は、儚げで美しかった。
「君、この村の人じゃないよね?」
「はい、違います。あなたはこの畑の持ち主ですか?」
「ううん、違うよ」
えっ、違うの? どうしよう、キャベツを勝手に頂いてしまった。
「あ、心配しないで。この畑はオレのじゃないけど、ここのキャベツを自由に食べていいって許可はもらってるから」
「そうですか」
良かった。キャベツ泥棒になってしまう所だった。それにしても……。
「ではどうしてこの畑に? 手伝いでもしてるんですか?」
「うん、まあそんな感じ。キャベツの育ち具合を確認しに来てたんだ」
男性の目線を追って畑に目を向ける。やっぱり何度見ても、寂しいキャベツ畑だ。
「この時期なら、もっと大きく育ってていいはずですものね」
「君、畑に詳しいの?」
「詳しいわけではありませんが、キャベツを育てたことはありますよ」
「じゃあ、どうしてこうなってるのか、分かったりする? オレ、このままじゃ困るんだよ」
縋るように見つめられて、たじろいでしまう。理由と言われても、私はこの村に来たばかりだし。
「何か例年と違うことはないんですか? 畑の持ち主は、何と言ってるんです?」
「それを聞けたら分かる?」
「ええと……もしかしたら、としか」
畑いじりが趣味だった私は、隙間時間に作物に関する本を何冊も読んできた。王宮の図書館から借りた本だったから、かなり専門的な内容のものが多かった。一応それなりに知識はあるから、約束は出来ないけれど頷きを返す。
すると男性は、キラキラした顔で私の手を取ってきて。
「それなら、午後もここに来てもらえる? 持ち主連れてくるからさ」
「それは構いませんが」
「ありがとう、よろしくね!」
「わ、分かりました」
ぶんぶんと両手を握って大きく振ると、男性は満足したのか、立ち上がって去ってしまった。まだ少しふらつきはあるみたいだけれど、足取りはしっかりしていて。ついさっき倒れた人とは思えないほど回復が早い。
本当にお腹が空いていただけだったのかな。元気になったから、まあいいのだけれど。
「あ……。名前、聞いてなかったわ」
どこの誰かは分からないけれど、午後にまたすぐ会えるだろう。私は服に付いた土を払うと、昼食を食べに宿へ戻った。