68:続・豊穣の聖女
「……聖女として輿入れ?」
思いがけない提案に、思わず呆けてしまう。神務長は柔和な笑みで頷き、カークを見やった。
「キャメリオット王国の第四王子殿下と、聖女として婚約を結んで頂きたいのですよ」
「ええと……それは嬉しいのですが、そのようなことが可能なのでしょうか。それに、その腕輪は……?」
「それは私から説明しよう。実はカークレイ王子とアズラム殿のおかげで、知の神子からアーティファクトを借り受ける許可を頂いてね」
戸惑いつつ問いかけた私に、フェルシオン殿下が話してくれた。
知の神が守護する国は海を渡った別の大陸にある。この短期間でそこから許可を得るなんて普通なら無理な話だけれど、偶然にもアズラムを訪ねてキャメリオットの城に知の神子の使者が訪れていたそうだ。
アーティファクトに関する事を神子から全権委任されていたその使者は、数日前にハーウィル王国へ入り、アズラムから話を聞いてアーティファクトの貸し出しを許可してくれたらしい。
元々国宝として借りていたキャメリオット側も、カークの説得で了承してくれたそうだ。
「今この腕輪に残っている聖女の力は、歪んだものになっているらしい。だからこれの力を一度君に戻して、改めて加護を腕輪に分けてもらう。そしてその腕輪を神務長に使わせるんだ」
ラシュフォードと繋がっていた神官たちも、軒並み神殿から排除したそうで。神務長は近日中に新しい大神官になるそうだ。
正しく聖女の力を込めたアーティファクトを、大神官となる神務長が使えば、私がキャメリオットに行っても大丈夫という事らしい。
「ですが、あの……それなら私を改めて聖女にする必要はないのでは?」
「もちろん無理にとは言わない。密かに力の受け渡しだけ助けてもらうだけでも充分だ。ただ、この十年聖女としてハーウィルを守り続けたのは君だ。一度はオルカの影に隠そうとした私たちが言えることではないが、君の働きをきちんと民に伝えたいとも思ってるんだ」
聖女として過ごした十年が報われるのは、確かに嬉しい。けれど実際に祈るのは新しい大神官になるのに、それを素直に受け取っていいのかしら。
「ラクリス。君さえよければ、オレはこの話を受けて欲しいと思ってる」
「カーク……?」
「この話は、オレたちにとっても都合が良いんだ。聖女にならなくても、もちろん君を守るつもりではいるけれど、聖女として妃になってくれれば、キャメリオットの貴族たちも余計なことは言わないはずだから」
聖女でなければ、ただの平民で商人の娘が第四王子妃になる。いくらキャメリオット国王の許しを得たとしても、カークの言う通り良く思わない者もいるだろう事は、私にも分かった。
でも本当にそれで良いのか、すぐには決められない。
「この話をお受けしたら、ハーウィルが困るのではないですか?」
心配なのは殿下の事だ。聖女を他国に出すなんて、ハーウィルの貴族が黙っていないだろう。ハーウィル国王だって反対するだろうし、説得に当たるだろう殿下の負担が大きいはずだ。
そう思って問いかけると、殿下は穏やかに微笑んだ。
「私のことなら心配しなくていい。実は国王陛下にも、内々に許可は頂いているんだ。同盟を結ぶのに、聖女の婚姻を使えると陛下は乗り気だった。聖女は王族と婚姻する習わしだが、他国とはいえカークレイ王子も王族なのだから問題ないしね」
「それは……さすがに強引過ぎないですか?」
「はは。そうだね。だが、貴族たちだって文句は言わないはずだ。何せ私の婚約者に娘を送り込む機会を得られるのだから」
すでにハーウィル国王の説得を終えているなんて、驚いたけれど。貴族の説得にも目処が付いているなら、私としては何も言う事はない。
となると後は気になるのは……。
「神務長。神殿もそれでいいのでしょうか」
「もちろんです。女神様の許しも得ていますから」
「女神様の?」
「実は神託を頂きまして」
神託は大神官にしか授けられないと聞いていたけれど、今は不在だから神務長に下ったのだろうか。それとも、女神様も神務長が大神官に相応しいとお認めになられたの?
困惑している私の前に、神務長は布の包みを取り出し、そっと開いて見せた。
「これは……」
「聖石の片割れです。ラクリス様が隣国へ行かれるなら、これをお渡しするようにとお告げを頂きました」
差し出されたのは、女神像が持っていた聖石を一回り小さくしたような乳白色の丸い石だった。
神務長の話によると数日前、夢に女神様が現れたそうで、お告げに従い祈りの間に向かうと、女神像の持つ聖石が二つに分かれていたらしい。
「腕輪に力を移して使ったとしても、今聖石にある力を維持するのが精一杯だと女神様は仰っておられました。その聖石にキャメリオットでラクリス様から祈りを込めて頂き、女神像の聖石と定期的に交換すれば、魔物はともかく大地の恵みが減る事はないと女神様は仰られまして」
「女神様は、私たちを見てくださってるのですね」
「ラクリス様には幸せになってほしいと、女神様から伝言も預かっております」
神務長の夢に現れた豊穣の女神ルギアリアは、時を経て忘れられてしまった自身の想いを改めて語ったそうだ。
加護持ちは、神の愛し子とも呼ばれる存在だからだろう。そのルギアリアの話は、親心のような複雑な想いだったらしい。
ルギアリアは、聖女一人に加護を集中して与える事で王族に守護させ、聖女の幸せとハーウィルの土地を守ろうと考えていたそうだ。聖女誕生を百年に一度としたのも、聖女の有り難みを人々が忘れないようにするためだったとか。
けれどその事で、聖女自身の幸せに制限が付いてしまった事は心苦しく感じていたようで。今回、私がカークと恋仲になったのを見て、引き離すのは可哀想だと考えて下さったそうだ。
「女神様は、あくまでもラクリス様の心のままに過ごすことを望まれていました。ですから、聖女とならなくても構いませんし、聖石を持たなくても構わないそうです」
「私の心のままに? でもそれでは、もし私が断ったら、この分かれてしまった聖石は」
「その場合は、この聖石はまた一つに戻ると伺っております。魔物対策はキャメリオットの協力でどうにかなりますし、土地の恵みも多少は減るでしょうが腕輪があれば立ち行かなくなることはないでしょう。皆で協力して乗り越え、次代の聖女の誕生を待つことになるかと」
また聖女になっても、以前と違って失うものは何もない。殿下や神務長、女神様にまで気遣って頂いてるし、再び聖女となる事でカークやキャメリオット王家の方々に迷惑もかからず、ハーウィルのためにもなる。
それなら私が望むのは、たった一つだ。
「……分かりました。もう一度、私を聖女にして頂けますか」
「ええ、喜んで」
「よろしく頼むよ、ラクリス嬢」
「はい。謹んでお受け致します」
神務長と殿下は、ホッとしたように微笑んだ。改めて大役を仰せつかってしまった事に緊張もするけれど、カークに目を向けると、カークも柔らかな笑みを浮かべていたから。その笑顔に元気付けられて、私も自然と笑みがこぼれた。




