61:元聖女と偽聖女
王城裏の聖なる森には聖神殿へ繋がる特別な道があり、神官たちだけがそこを通れる。城とは違う門を通り、馬車は神殿前でゆっくりと止まった。
久しぶりに訪れた聖神殿は、以前と同じく荘厳な佇まいだけれど、肌で感じる雰囲気はだいぶ違う気がする。なぜか神官たちの姿が見えず、どこか冷え冷えとした張り詰めた空気を感じるのだ。私がいた頃も静かで厳かだったけれど、包み込むような温かさもあったのに。
「ずいぶん人が少ないんですね」
「ああ、魔物が出るようになってから私たちも忙しくてね」
「神官様たちも戦ってるのですか?」
「いや。原因の調査をして対策案を上げるよう王太子殿下から言われているから、それぞれ動いているだけだ」
淡々と答えた神官に続いて、聖神殿の奥へ向かう。大神官の部屋へ通されたけれど、そこにいたのは私の想像した人物とは違っていた。
「ラシュフォード神官長?」
「久しぶりだな、ラクリス。だが今の私は大神官で、お前は聖女ですらないただの平民だ。態度を改めてもらおうか」
豊穣の女神ルギアリアに仕える神官たちには、明確な序列がある。ハーウィル各地に存在する全ての神殿と神官を束ねる最高責任者が大神官で、その補佐をするのが神務官。神務官の下に神殿ごとの責任者である神官長がいる。
だから私は、神務官が新しい大神官になっていると思っていたのだけれど違ったようだ。
私が聖女だった頃、ここ聖神殿の神官長をしていたのがラシュフォードだ。ラシュフォードは公爵家の出身で権力志向が強く、亡くなられた大神官様とは距離を置いていた。
女神に仕える身として神殿では清貧を求められるけれど、ラシュフォードは貴族だった頃の暮らしを忘れられず、大神官様と口論になる事も多かった。それでも聖神殿の神官長になれたのは、実家の力が大きいため圧力がかかったからだと噂されていた。
そんなラシュフォードが、新しい大神官となったらしい。大きなお腹を揺らして私を見る目は、ひどく冷たいものだった。
「……失礼しました。大神官となられたのですね。おめでとうございます」
「分かればいい」
「それで大神官様が私に何のご用でしょうか」
私を呼んだのがラシュフォードだと知っていたら、ここには来なかった。商人の娘として育ち度々家に帰りたがった私を、ラシュフォードは昔から嫌悪していたからだ。亡くなられた大神官様に目をかけて頂いていたから、それも気に入らなかったのだと思うけれど、どちらにせよ好んで会いたくはない。
きちんと確認しなかった自分の迂闊さを苦く思いつつ問いかけると、ラシュフォードはフンと鼻で笑った。
「私がお前などに用があるわけないだろう。お前を呼んだのは、聖女様が望まれたからだ」
「オルカが?」
「口を慎め。聖女様の御名を気安く呼ぶな」
「申し訳ありません」
「行くぞ。大人しくついてこい」
オルカは私をあんな形で追い出したのに、今更何の用だというのだろうか。嫌な予感を感じるけれど、私を連れてきた神官もそばにいるし帰る事は出来ない。
ラシュフォードと神官に挟まれて仕方なく歩いて行くと、女神像のある祈りの間へ連れて行かれた。
「聖女様、ラクリスをお連れしました」
「来たのね」
聖女が祈りを捧げている間、基本的に神官は祈りの間に近づかない。聖女のローブを着て、たった一人で女神像に祈りを捧げていたオルカが、ゆっくりと立ち上がる。
私たち三人に振り向いたその顔は何だか疲れているように見えたけれど、私を見るとオルカはニヤリと口角を上げた。
「探したわよ、ラクリス。まさか王都から出ていたなんて」
「オルカ……いえ、聖女様。私に何のご用でしょうか」
「あなたも知ってるでしょう? 魔物が出て大変なのよ。元聖女として、試しに祈ってみてくれないかしら」
オルカは何を言ってるのだろうか。私が聖女の力を失ってしまった事は、オルカだって確認しているのに。
「なぜですか。私はもう聖女ではありません」
「そんなことは分かってるわよ。念のため、やってみてほしいだけ」
「……分かりました」
全く意図が読めないけれど、よく見てみれば女神像の手にある聖石の光は記憶にあるよりずっと小さくなっている。状況も切迫しているようだし、何でもいいから試してみたい気持ちなのかもしれない。もしくは、祈りの手順を確認したいとか。
手を貸す理由なんて何一つないけれど、やらなければ帰してもらえないだろう。私は久しぶりに、冷たい石床に両膝を突いた。
両手で印を組み、力を聖石に渡すのを想像しながら祈りを捧げる。けれど聖石は、やはり光らなかった。
「お分かり頂けましたか? 私では見ての通り、お力になれません」
「本気で祈ったのね?」
「ええ、そうです。ですのでもう帰らせてください」
改めて確認して気が済んだろうと思ったのに、なぜかオルカは私ではなく、私を連れてきた神官に語りかけた。
「ザグレダ、まだ呪いは効いてるのよね?」
「はい、聖女様。しっかり感じられます」
「それなら、腕輪もまだ使えるということかしら」
「そうですね。力が残っていることになりますから、やり直すことは可能かと」
「やり方は以前と同じでいいの?」
「いえ、前と同じではまた不充分な結果になるかと。ここは一度解いてから別の方法を……」
呪いだなんて、オルカは何の話をしているのだろう? 分からないけれど、話しながらオルカが触れた銀の腕輪を見たら、何となくここにいてはいけない気がした。
止められても困るから、ザグレダという名前らしい神官とオルカが話し込んでいる間に出て行った方がいいだろう。そう思って、扉へ向かおうとしたのだけれど。
「聖女様の話はまだ終わっていないぞ。どこへ行く気だ」
立ち塞がったラシュフォードの声に、オルカが振り向いた。
「またこっそり逃げる気だったの?」
「逃げる? 私は帰りたいだけです」
「それは無理ね。あなたにはここにいてもらうわ」
きっとオルカは、私が何も言い返さずに、また泣くだけでここにいるしか出来ないと思っていたのだろう。何をする気なのかは分からないけれど、呪いという言葉もあったし物騒な事に違いないはず。今更私に拘るのは、魔物出現の責任を負わせるためなのかもしれない。
でもそんなの、黙って受け入れる気はない。今の私は昔とは違う。待っていてくれるカークの元に、必ず帰るんだから。
「お断りします」
余裕の表情で笑うオルカに決意を込めて言い返すと、オルカは目を眇めた。
「生意気ね。平民の分際で逆らうなんて」
「何と言われても私は帰ります。それに、私に手を出せば問題になりますよ」
「あら、どうして? わたくしは聖女で、あなたはただの平民なのに」
「教えるつもりはありません。大神官様も、そこを退いて下さらないと困ったことになりますよ。せっかく上り詰めたのに、落ちたくはないでしょう?」
私はカークの婚約者だ。まだ正式なものではないけれど、キャメリオットの陛下から許可だってもらってるのだから、内々には決定している。
私が帰らないと知ったら、きっとカークは外交問題に発展させてここに乗り込んでくるだろう。私を大事にしてくれるカークを信じているからこそ、真っ直ぐに言う事が出来た。
ラシュフォードを睨み上げると、私の真剣さが伝わったのか僅かにその目が揺らいだ。その隙に扉に手をかけようとしたのだけれど。
「ザグレダ」
「はい、聖女様」
「……っ!」
なぜか急に体が動かなくなった。声も出せないまま、何が起こったのか分からず固まっていると、扉の向こう側からバタバタと複数の足音が響いた。