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41:溶ける心

 数ヶ月前まで肋骨が浮いていたのが嘘のように、分厚くなったカークの胸板からトクトクと心音が響く。

 なぜ優しくするのかと尋ねたけれど、本気で答えを知りたかったわけじゃない。だって私が返事を先延ばしにしている間も、カークが私をどんな目で見ていたのかはちゃんと知っていたし、今だってカークの鼓動はこんなにも速いのだ。

 改めて返事を聞くまでもなく、それが好意から来るものだと私も分かっていた。ただ私が知りたかったのは……。


「どうして私なんですか。料理が目当てなら、なにもそんな」

「料理はもちろん好きだけど、それだけじゃない。初めて会った時から君に惹かれてて、天使みたいだと思ってたんだ。君の優しさも、笑顔も、泣き顔も、君の全てが好きなんだよ」


 温かなカークの腕の中で伝えられる想いは、どこまでも柔らかく心地良い。この優しい声に身も心も任せてしまえたら、どれだけ幸せだろう。

 けれどカークの好意を素直に受け取るには恐怖が勝る。半年前に負った心の傷は表面上消えたように見えて、実際は内側で膿のように巣食っているから。

 カークは王子で、私は王族に関わりたくない。私たちの想いは、決して交わる事が出来ない。


 ずっと先延ばしにしてきたけれど、カークは真摯に気持ちを伝えてくれた。それなら私は……きちんと断らないと。

 カークは「答えを聞きたくない」とも言ったけれど、それはつまり私がどう答えるか予想がついているという事だろう。

 それでもどちらにせよいつかは言わなければならないし、これから先、答えが変わるはずもないのだから。


「ありがとうございます、カーク。あなたの気持ちはよく分かりました。でも私は」

「それ以上は言わないで」


 尻込みしていた自分を叱咤して、ようやく口を開いたのに。カークは私の言葉を止めて、私を抱く腕にギュウと力を込めた。


「聞こえなかった? 答えは聞きたくないって言ったよ」

「それは聞いてましたけど……」

「今はまだ、断らないでほしいんだ。本当のオレは、こうじゃない」

「カーク?」

「元のオレを、オレ自身を見て返事をしてほしいんだ。こんな弱くて、呪われてるオレじゃなくて」


 私の肩に頭を寄せたカークの声は、ひどく怯えたものだった。

 やはりそうだったのか、と思う。

 何となく気付いてはいたけれど、やはりカークは呪われた事を気にしていたのだ。だから私は、カークの背に手を回した。


「私は好きですよ。今のカークも」

「え……」


 顔を上げたカークの瞳に期待が滲んでいるのが分かる。でもカークの温もりを感じられるのは、間違いなく今だけだ。逆に言えば、私の温もりをカークに分けられるのも今だけ。

 だからこそ、これから突き放すというのに、この人の苦しみが少しでも和らいでほしいと願い言葉を紡ぐ。


「呪いに負けないで頑張るあなたを素敵だと思います。弱っているあなたを助けたいと思いましたし、それでも私を守ろうとしてくれるあなたをカッコいいと思っています。それに今は、こんなに元気になったじゃないですか。だからそんな風に卑下しないで下さい」

「ラクリス、それなら……」

「でもごめんなさい。カークのことは好きですけれど、ずっとそばにはいられないんです」

「なぜ?」


 整ったカークの顔が苦しげに歪む。こんな顔をさせてしまう事に罪悪感を感じるけれど、この答えだけは変えられない。

 私に出来るのは、全てを明かすだけ。


「カークが王子だからですよ」


 生まれついた血筋とそれに伴う地位は、努力ではどうにもならない。それを理由に突き放せば、どれだけカークを傷付けるだろうか。そう思って、覚悟を決めて言ったのに。

 意外にもカークは、ホッとしたように微笑んだ。


「……なんだ、そんなことか」

「そんなことって」

「身分の差なんて気にしなくていいんだ。確かにオレは王子だけど、王子じゃないから」

「……どういうことですか?」

「呪いのせいでいつ死ぬか分からないから、王位継承権を放棄してここへ来たんだ。これから先の人生は好きに生きるよう言われている。だから妻に誰を望んでも、誰にも文句は言われないよ」


 思いがけない話に戸惑ってしまう。誰からも文句は言われないって、本当に?

 受け入れ難い話に困惑する私に、カークはさらに驚くような事を話した。


「それにね、この前ラゼルにも許可をもらったんだ」

「兄様に?」

「もちろん、ラクリスの気持ち次第とは言われているけどね。もしラクリスがオレと行くなら、本店をキャメリオットに移してもいいと言ってたよ」


 何てことだろう。すでに兄様とも話をしていたなんて。

 唖然としてしまうけれど、同時に腑に落ちた。兄様が来た時、帰り際に「何を決めても応援する」と言われたのはこの事だったのだ。


「だからオレが王子だなんて、気にしないで。ね?」


 優しい笑みで、カークが見つめてくる。本当にこの人の手を取っていいのだろうか。


「オレは裏切ったりしないよ。君を捨てた婚約者とは違う。何があっても、君の手を離さないと誓うから。オレを信じて」


 何も言わなくても、カークは私の憂いを汲み取ってくれる。きっとこんなに想ってくれる人なんていない。ここまで言われたら、もう拒む事なんて出来なかった。


「本当に私でいいんですか」

「君が良いんだ。ラクリスじゃなきゃ嫌だ」

「……私もカークがいいです。あなたが好きです。絶対離さないって約束してくれますか」

「絶対だ。約束するよ。ラクリス、ありがとう」


 私の頬を涙が伝う。カークはそれを吸い取ると、そのまま瞼にも唇を寄せてきた。

 冷えていた額に唇に、温もりが灯る。土の香りが残る中、生まれて初めて交わした口付けは、ほんの少し塩辛くて、どこまでも甘かった。

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