4:変わらぬ優しさ
「ラクリス! ようやく会えた!」
「おかえり、ラクリス」
「ただいま、兄様。父様も」
二歳年上の兄様はすっかり背が伸びて、声も低くなっていた。離れていた年月の重さに、自然と目頭が熱くなる。
すると兄様は、昔と同じように私の頭を優しく撫でてくれた。
「長い間、大変だったね。後のことは僕と父様に任せて、お前はサインだけしたら自由に過ごすといい」
「ありがとう、兄様。でも、サインって?」
「さっき本店に、殿下の側近の方がいらしてね。ラクリスのサインが欲しいと言うから、代わりに預かったんだ。これ以上、お前に負担をかけたくなかったから」
気遣うように兄様が言うと、父様が一枚の紙を取り出した。それは聖女として知った神殿に纏わる様々な事柄を他言しないという誓約書だった。父様は労るような目で、私をじっと見つめた。
「本当は殿下が直接話したかったそうだよ。これだけでなく、これまでの働きに対する感謝の言葉と手当も渡された。よく頑張ったな、ラクリス」
母様は私が帰ってきた事を、城にもすぐに知らせていたらしい。それを聞いて本店を訪れた殿下の側近は、誓約書や慰労金を渡すと共に、婚約解消に至った経緯を詳しく説明していったそうだ。
そして側近の方によると、城にあった私の部屋を殿下ご自身が訪ねられていたらしい。
婚約解消を告げられたあの場がお目見えする最後だと思ってたけれど、よく考えてみれば殿下は元々そういう方だった。誠実で尊敬出来る方だったから、政略結婚だとしてもそれなりに幸せになれると思ってたし、受け入れる事が出来たんだ。
オルカと違って殿下は最後まで変わらずにいてくれたのだと、胸が熱くなった。
「手当と言っても、手切れ金や口止め料のようなものだと僕は思うけど」
「そんなことないわ。殿下は優しい方だったんだから、悪く言わないで」
誓約書を私が確かめるのを、兄様は不機嫌そうに見つめていた。サインをしつつ兄様を窘めると、兄様は小さくため息を漏らした。
「ラクリスこそ優しいよ。十年も尽くしたのに、こんなあっさりと追い出されたんだ。もっと怒っていいと思うけど」
「仕方ないのよ。私の力はなくなったんだから」
「そうか。でも我慢はするなよ」
「うん、ありがとう」
長い間離れていても、家族の温もりは何も変わらなかった。オルカや城の人たちが態度を変えた事で人間不信になりそうだったけれど、こうして変わらないものもあるんだと分かって。帰ってきて良かったとつくづく思った。
そうして久しぶりに家族みんなで夕食を取りつつ、これから失った時を少しずつ埋めていこうと考えを巡らせていたのだけれど。
「ねえ、あなた。ラクリスが聖女じゃなくなったなら、あの話を進めてもいいんじゃないの?」
「母様、あの話ってなに?」
「実はね、そろそろ他の国にも手を広げようって考えていたのよ」
母様は言いながら、意味ありげな視線を父様と兄様に向けた。すると二人は、ハッとした様子で微笑んだ。
「そうだな。本店も人材は揃ったし、誰かに任せても良い頃合いだろう」
「昔みたいに家族みんなで行商してもいいしね。急げば半年後には出発出来るんじゃないかな」
急に旅に出る話になっていて何事かと思ったけれど。「半年後」という兄様の言葉に、何を心配されてるのか分かった。
半年後には殿下の成人の儀が行われる予定で、そこで殿下の婚約者も発表される。それはつまり、これまで表舞台に一切出てこなかった聖女のお披露目にもなるという事。そしてそこに立つのは私ではなく、新しく聖女になったオルカだ。
十年間頑張ってきたのは私だけれど、私の存在は一切表に出ていないからこれまでの成果も全てオルカのものになってしまう。それを王都で私が見るのは辛いだろうと、父様たちは心配してるんだ。
実際私は素直にそれを祝うなんて無理だと思うし、お祭りになる王都に留まるのはすごく辛いと思う。でもだからって、そんな急に旅立ちを決めなくてもいいとも思う。
だってみんなは十年も王都で暮らしてきたんだ。兄様はもちろん、父様と母様にだって親しくなった友人もいるはずなんだから。
「私を心配してくれるのは有り難いけど、兄様は恋人とかいないの?」
「あ、いや……」
「あらやだ、いつの間に?」
「どこの娘さんなんだ?」
案の定、兄様は口ごもって。母様と父様が驚いて身を乗り出す。やっぱりなぁと思いつつ、私は笑ってしまった。
「ラクリス、僕は」
「別に私は気にしないから大丈夫よ。でも、そうね。もし出来るなら私一人で旅に出ようかな」
「一人で⁉︎」
「うん。ずっとお城に閉じこもっていたし、元気になったこの国を色々見てみたいなって思っていたの。だからちょうど良いかなって」
心配してくれるみんなの気持ちも汲めるし、私はやりたい事を出来る。良い案だと私は思ったんだけど。
「それはダメだ。女の一人旅など危険すぎる」
当然の事ながら、父様には反対されてしまって。母様と兄様も賛成してはくれなかった。
でも私は、どうしても諦めきれない。だから……。
「じゃあこうするのはどう? 棒占いで決めるの」