35:収穫祭へ
突然の兄様の訪問から三日後、私たちは小屋という名の新しい家に引っ越した。ようやく私も温泉を楽しめるようになったけれど、実はまだのんびり入れてはいない。というのも、隣町で行われる収穫祭の日が間近に迫っていたからだ。
以前、カークが元気になったら一緒に行こうね、と約束していたけれど、カークはそれをしっかり覚えていて。二日かけて荷物の片付けを終えた夜、カークは「明日の収穫祭には、みんなで行こう。ダンの馬車に乗せてもらえるよう頼んでおいたから」と、楽しげに笑った。
そんなわけで私たちは今、ダンが育てたキャベツ満載の荷馬車に乗っている。クロムはダンと一緒に御者台に座り、私とカークはキャベツの入った籠の隙間に寄り添って座っていた。
「カーク、大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが」
「大丈夫……。ちょっとこの揺れに慣れないだけだから」
「それって大丈夫とは言わないんじゃ」
収穫祭に出かけるのを楽しみにしていたカークは、昨夜あまり眠れなかったそうだから、寝不足の身にこの揺れは辛いのだろう。
この所カークの体調は良かったから、馬車移動にも耐えられると思ったけれど、そもそもカークは王子だし荷馬車に乗るなんて初めてに違いない。カークの知る馬車とは違うのだと話して、止めるべきだったかもしれない。
けれど村はとっくに出てしまったし、こんな所で降りても困るだけだ。心配ではあるけれど、どうにか耐えてもらわないと。
「お水を飲みますか?」
「今はいいよ……。ごめん、ラクリス。心配かけて」
「いいんですよ。いつものことですから」
「……そうだよね」
ガックリと項垂れてしまったカークの背をそっとさする。本来なら男性に触れるなんて恥じらうべき所なのだろうけれど、こういう弱い一面を見てばかりだからか、こうしてお世話するのに躊躇いはない。
カークは王子だし年上でもあるけれど、むしろ弟とかがいたらこうだったのかな、とすら思う。母性愛ってこういう事なのではないだろうか。こんな考えは不敬だと思うし、決して口には出来ないけれど。
とはいえ色々心配な事はあったけれど、幸いな事にカークは吐くこともなくどうにか隣町まで耐え切って。ダンがキャベツの露店を開く頃には、ようやく気持ち悪さも治まったみたいだった。
「カーク、調子が戻ったんなら出かけてきたらどうだ?」
「そうさせてもらうよ、ありがとう」
「ダンはずっとここにいるんですか? 私、店番代われますけど」
快く私たちを送り出そうとしてくれるダンに申し出れば、ダンは愉快げに笑った。
「それはクロムに頼んであるから大丈夫だ。昼過ぎにキャベツの品評会があるから、そこだけクロムを借りるよ」
「クロムをですか? でもクロムはカークのお世話がありますし、店番なら私の方が」
「いや。むしろお嬢さんには、カークと一緒に品評会の方に来てもらいたいんだ。今年は優勝出来るかもしれないからよ」
「そうですよ、ラクリス様! 店番は僕に任せてください。僕、一度やってみたかったんです!」
「そうなの? それなら分かったわ」
必死になって言うぐらい店番をしてみたいなんて、クロムは不思議な子だ。でもそこまで楽しみにしているのに邪魔をする気はないから、大人しく引き下がる。
カークがどこかホッとしたように見えるから、カークはクロムの店番への熱意を知っていたのかもしれない。
「でもお昼まではクロムも一緒に回るのよね?」
「はい、そのつもりです。師匠のお弁当もありますし、お昼まではご一緒させてください」
「もちろんよ」
収穫祭では食べ物の屋台がたくさん出ているけれど、カークがそれを食べて体調を崩したら困るから、今日もしっかりお弁当を用意してきている。
私が持つと言ったのだけれど、師匠の食事を運ぶのは弟子の務めだと言って、クロムが背負い鞄に入れているのだ。カークは本当に良いお弟子さんを持ったと思う。
「あ! そういえば師匠、これを」
「ああ、そうだね」
クロムは小さな包みを背負い鞄から取り出して、カークに渡した。包みの中には、可愛らしいピンクの花飾りが入っていた。
「ラクリス、帽子を貸して」
「え? ええ」
日除けに被っていた帽子をカークに渡すと、カークは花飾りを帽子に差し込む。それを私の頭に乗せて、満足そうに頷いた。
「うん、似合ってる」
カークの笑った顔が眩しく見えて、胸がドキドキしてくる。いつもは私が守ってあげなきゃと思うのに、こうして時々カークは急にカッコよくなるから心臓に悪い。
「ありがとうございます。でも、どうして突然?」
「女の子はみんなこれを付けるって聞いたから」
どうにか平静を装って問いかけてみれば、カークは周りを見回しながら教えてくれた。目線の先を辿れば、確かに女性は帽子や服のどこかに花飾りを付けている。見た感じ、年配の方は赤か黄色を。若い子たちはピンクか白を付けているみたいだ。
事前に調べてわざわざ用意してくれたのかと思うと、嬉しくて仕方ない。
「これ、大切にしますね」
「……ああ」
感謝を込めて伝えると、カークは照れくさそうに笑った。それはとても嬉しそうで。今まで見た事のないカークの笑みに、私まで何だか気恥ずかしくなってしまうのだった。