34:兄とキャベツ王子
「ラク、リス……ぶじ」
「カーク、無理して話さなくて大丈夫です。まず息を整えて」
「でも」
小屋の前に見慣れない馬車が止まっていたから、慌てて駆けつけてくれたのだろう。さらにカークにとっては見知らぬ男が家の中にいたのだから、よほど驚いたに違いない。
カークは頽れて咳混じりの荒い息を吐いていたけれど、私の事を心配してくれて。なんだか胸がギュッとなる気がした。
「本当に大丈夫なんです。私の兄ですから」
「あ、に?」
私がカークを見ている間に、クロムが水を汲んできてくれた。怪訝そうにしつつも、カークは水を飲み息を整える。
そんなカークを兄様は引きつった顔で見ていたけれど、ようやくカークが顔を上げた瞬間、兄様はハッとした様子で目を見開いた。
「……カークレイ殿下?」
「ラゼル?」
「ええと……二人とも知り合いなの?」
カークが王子だと伝えていないのに、なぜか兄様は一目で分かって。その上、カークまで兄の名を口にしているから驚いてしまう。戸惑いつつも問いかければ、兄様は慌てて膝を突いた。
「大変失礼いたしました。殿下の許可も得ず、勝手に上がり込んでしまい」
「いや、いいよ。それよりラゼル。昔みたいにカークと呼んでくれないか」
「カーク様……よろしいんですか?」
「もちろんだよ。まさか君がラクリスの兄だったとは。こんな偶然もあるんだね」
遅れてやって来たビルも交えて、私たちはテーブルを囲んだ。話によれば、カークと兄様は昔キャメリオットで会った事があるのだそうだ。
「僕がカーク様とお会いしたのは五年前なんだ。カーク様のお師匠様に、水のアーティファクトの製作依頼に伺ったんだよ」
世界には、神から与えられる加護の力を様々な道具を用いて行使出来る物が存在するけれど、その種類は大きく分けて二つあった。
一つ目は、王都の聖神殿にあった女神像の聖石のように、神から与えられた神器と呼ばれる品。
二つ目は、加護持ちの人間が作り出すアーティファクトと呼ばれる品だ。
アーティファクトは、魔法師がいなくとも加護の力を扱える特殊な品々の事で、その形状によって魔道具や魔石など様々な呼び名で呼ばれている。カークに使われた呪いのアイテムも、このアーティファクトの一つだ。
各国の守護神によって加護の力は変わるけれど、自国にはない力が必要になる事も多い。そういった際に、加護持ちを派遣する代わりにアーティファクトを取り引きしたりもするのだ。
うちの商会は五年前の時点でかなり大きくなっていたそうで、国から依頼を受けた父はアーティファクトの取引のために隣国まで直接赴いたんだそうだ。当時十三歳だった兄もその旅に同行していて、独立間近だったカークと知り合ったらしい。
二人の関係を説明してくれた兄様は、心配そうに眉尻を下げた。
「妹はお力になれてますでしょうか。この子が料理を出来るなんて僕は知らなかったのですが……。カーク様は体調を崩してらっしゃるんですよね?」
「助かっているよ。ラクリスは命の恩人なんだ。良かったらラゼルも食べていくといい。ラクリスの料理は絶品だから」
兄の前でもカークは真っ直ぐに褒めてくれるから、照れくさくなってしまう。とはいえ、期待を込めた眼差しを向けられれば俄然やる気が出るというものだ。
互いの近況を語り合う二人を放置して私は台所へ向かう。すると、クロムとビルまでついて来た。
「すみません、お嬢様。俺の説明じゃ安心してもらえなかったみたいで、押しかけてしまいまして」
「いいのよ、気にしないで」
「若旦那が知り合いだったみたいでホッとしましたよ。それにしてもまさかあの人が王子殿下だとはなぁ。俺なんかがご一緒させてもらってもいいんですかね」
「ビルったら、今さらよ。この前もお茶して帰ったでしょう?」
「それはそうなんですが……」
「ビルさん、そんなに気になるなら一仕事して行きませんか。僕たち引っ越しの準備をしてたので」
「なんだ坊主。引っ越しなんかするのか?」
「温泉を見つけたんですよ。ラクリス様のお兄様と一緒に、ビルさんも入っていったらどうです?」
「いやぁ、若旦那と一緒はさすがに気まずいな」
クロムとビルは何だかんだと話をしつつも、引っ越しに向けた片付けを請け負ってくれた。おかげで私は料理に専念出来たから、とても助かった。
そうして迎えた昼食の時間は、和やかなものとなった。
「どうだい、ラゼル。ラクリスの料理は美味しいだろう?」
「ええ。こんなに上手だとは思いませんでした」
この小屋でこんなに大勢で食事をするのは初めてだと思うけれど、出来上がったキャベツ料理の数々を兄様とビルも美味しく食べてくれた。
なぜかカークが自慢げにしているのが、どうにもおかしくて。つい笑ってしまうぐらい、楽しい時間を過ごす事が出来た。
「若旦那、お嬢様たちは近いうちに引っ越すらしいですよ」
「ああ、そうそう。温泉のそばに新しく小屋を建てているんだよ。ほぼ出来上がっているから、ラゼルも見て行くといい。案内するから。ラクリスも一緒にね」
食後のお茶を飲みながらビルが言った一言をきっかけに、カークは立ち上がる。後片付けはクロムに任せて久しぶりに温泉への道を行くと、やがて現れた完成間近の小屋に、目が点になってしまった。
「カーク……作るのは小屋だと言ってませんでしたか?」
「そうだよ。でも今度は、ちゃんとしたラクリスの部屋も用意してあるから」
目の前にあったのは、小屋というよりしっかりした一軒家で。私とカーク、クロムの部屋はもちろん客室まであるし、台所も今の小屋より広くて立派で、パン焼き専用の石窯まで付いている。
家の裏手には家庭菜園も出来そうな畑まであって、村まで出なくても充分自給自足出来そうな家に仕上がっていた。
「どうかな、ラゼル。この家なら君にも安心してもらえると思うんだが」
「ここまでして頂けるなんて、何も言うことはありませんよ」
カークと兄様は、一体どんな話をしていたのだろうか。引っ越し先まで確認した兄様は、なぜか感激した様子でカークに応えると、真剣な眼差しで私の手を取った。
「ラクリス、お前が何を決めても僕は応援するよ。父様たちにも話しておくから。心のままに過ごしなさい」
「兄様?」
「カーク様、妹を末長くよろしくお願い致します」
よく分からないけれど、兄様の不安は晴れたという事だろうか。カークに深々と頭を下げた兄様は、満足げに微笑んでいた。
今夜は村の宿に泊まって、明日には国境の町へ向かうという兄様とビルを見送って。不思議に思いつつもカークを見れば、にっこりと笑みを返されたのだった。