23:帰ってきた護衛
出来上がった井戸をカークと見に行ってから、あっという間に十日が経った。あれからも私は毎晩お祈りを続けているし、雨も夜毎降っている。おかげで畑のキャベツも瑞々しく育っているらしい。
けれどあの日以降、私とカークは森から出ていない。というのも、夏の暑さが本格的になってきたからだ。
小屋は森にあるから比較的涼しいけれど、日の当たる場所はかなり暑い。室内が暑くならないようにと、クロムが小屋の周りに水を撒くほどだ。
こんな暑さの中で畑に行ったりしたら、カークは倒れてしまうだろう。
そんなわけで、カークはクロムから外出禁止を言い渡されている。クロムの努力の甲斐あってか、カークの食欲は暑さで減退する事もない。キャベツと一緒に夏野菜をたっぷり使った料理を、カークは喜んで食べてくれる。
元気になってきたカークは暇だと文句を言うから、どちらが師匠なのか分からなくなりそうで笑ってしまう事も多かった。
そうして過ごしていたある日の昼下がり。私はカークに見守られながら、野菜の下処理を進めていた。暇を持て余したカークは、お茶を飲みながら私の作業を見る事が多いのだ。
手伝いたいと言われても、これは私の仕事だからと断っている。雇い主で隣国の王子様なのに、野菜の筋取りをさせるのはちょっとね。
クロムはというと、乾いた洗濯物を綺麗に畳んでいたのだけれど、何かに気づいたように、ふとその手を止めた。
「あれ、珍しいな。こっちに誰か来るなんて」
クロムに言われて耳をすませば、馬車の走る音が外から聞こえてきて、ほどなくしてピタリと止まった。そうして、滅多に人の訪れない小屋の扉がトントンと叩かれた。
「誰かしら?」
「分かりません。とりあえず僕が出ますね」
クロムにお任せして、私はお茶を飲むカークの向かい側で野菜の下処理を進める。
けれど玄関から響いた声に、私もすぐ手を止める事になった。
「どちら様ですか?」
「すまない。ここにお嬢様がいると聞いたんだが、家を間違えたみたいだ」
聞き覚えのある声に、ハッとして立ち上がる。急いで向かえば思った通り、私の旅に同行してくれていた護衛のおじさんがいた。
「間違ってないわ。おかえりなさい、ビル」
「お嬢様! 良かった、ここで合ってた。旦那様から返事をもらってきたんですが……これはどういうことなんです?」
私は宿の女将さんに、私を訪ねてくる人がいたら森の小屋に住んでいる事を伝えてほしいと頼んでいた。父様たちに手紙を届けに王都へ行ってくれた護衛の彼、ビルは、その伝言を聞いて訪ねてきてくれたのだ。
そこに出てきたのがクロムだったから、家を間違えたと思ったのだろう。私の後ろからカークも顔を出したから、なぜ男性が二人もいるのかと言いたげに私を見ている。
そして疑問に思うのは、当然クロムとカークも同じだろう。突然現れた初老の男性に、カークは首を傾げた。
「ラクリスのお客さんなの?」
「ええ。旅の間、護衛がついてたって話したでしょう? それがビルなんです。家に上げても構いませんか?」
「もちろん構わないよ。クロム、お茶を淹れてあげて」
カークとクロムはすぐに納得してビルを受け入れてくれた。クロムが用意してくれたお茶を飲みながら、私はビルにこれまでの経緯を話した。
男性の家に住んでいるなんて、良い顔はされないだろうと思ってはいたけれど。案の定、ビルは苦い顔で私の話を聞いた。
「お嬢様が料理人ですか。しかも住み込みの」
「ええ。でもね、とても良くしてもらってるの。だから父様に、あなたからもうまく話してもらえないかしら」
「俺からですか?」
「もちろん手紙も用意してあるわ。また王都と行き来させて申し訳ないのだけれど」
父様に説明する手紙はすでに書き上げているけれど、カークたちの事をその目で確認したビルからも話してもらった方が、父様たちは安心出来るだろう。
それに反対されたって、私はカークの料理人をやめるつもりはなかった。カークには元気になってほしいし、まだクロムにも料理を教えている最中だ。関わったからにはきちんと約束を果たしたい。何より、私自身が今のこの生活を気に入っているのだから。
「私ね、今とても幸せなのよ。だからそれを、あなたからも伝えてほしいの」
暑さをやり過ごしながらカークとのんびり過ごす日々は、とても幸せな気持ちになれた。こんなに安らかな気持ちで過ごすのは十年ぶりだと思う。
思い返せば、聖女として城にいる間は心のどこかで常に気を張り続けていた。聖女の力を失って城を出されてからは家へ帰ったけれど、すぐに旅立ちを決めてしまったから、その準備で慌ただしかった。旅は楽しかったけれど、行く先々で色んな人を助けて回っていたから、ゆっくり休んだかというとそれも違う。
カークと過ごす今の時間は、私のどこにも気負いがない。雇われの料理人なのにこれでいいのかと思ってしまうけれど、穏やかに流れる時間は心地よく、満たされた日々なのだ。
そんな想いを話すと、ビルは諦めたようにため息を漏らした。
「旦那様に怒られそうですが……そこまで仰るなら、分かりました。俺からも伝えておきます」
「ごめんなさい、手間をかけて」
「いいんですよ。確かにお嬢様は、前よりずっと生き生きしてますから。ここがどれだけ楽しいのかはよく分かります。それにお嬢様がまだこの村に留まるようなら、手紙の返事をすぐにもらって来いって言われてるんですよ。だからどっちにしろ、俺は王都にまた行かなきゃならないんです」
ビルは苦笑しつつも、とても優しい目で話してくれた。私がどんな気持ちで働いているのか分かってもらえたのだろう。
父様たちが納得してくれるかは分からないけれど、きっとビルはきちんと話してくれると思う。私はホッとして、ビルに手紙を預けた。