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16:キャベツ王子と弟子(カーク視点)

 森の小道を去っていくラクリスの姿を、複雑な気持ちで見送る。

 まだ日は充分高いから、日暮れ前には宿へ帰れるはずだ。森には獣も出るが、明るい時間には出て来ない。だから心配する必要はないと思うが、それでもやはり彼女を送りたかったとつくづく思う。

 これまでにも色々あったが、自分の体がこうなってしまった事をこれほどまで悔しく思ったのは初めてかもしれない。


 気落ちしながら家の中へ戻ると、ふわりと漂うスープの香りが美味しそうだった。

 そう、彼女のおかげで美味しそうだと思えるようになったんだ。もう無理だと思っていたのに。


「やっぱり天使だったな、ラクリスは」


 昨日、初めてラクリスに会った時を思い返す。

 いつもなら日が高くなる前に家へ戻るのに、どうにも育ちの悪いキャベツが気になって、昨日は水撒きを終えても畑に居座っていた。

 そうしたら、急に頭がフラフラし始めて。倒れたオレを助け起こしてくれたのがラクリスだった。


 心配そうに見つめる琥珀色(アンバー)の瞳と、帽子からさらりと零れ落ちた若葉色(スプリンググリーン)の髪が綺麗で。可愛らしいワンピースが土で汚れるのも気にせず、オレに手を差し伸べてくれたから、天使か妖精かと思ったのだ。

 結局彼女は人間だったが、キャベツ栽培に助言もくれたし、彼女のおかげで普通の食事も食べられるようになった。オレが感じた第一印象も間違いではなかったと今は思う。


 テーブルの上には、畳まれた洗濯物と一緒に彼女が書き残してくれたレシピが置かれている。一人きりになった部屋で椅子に腰を下ろし、彼女の美しい文字を指でなぞった。

 畑に詳しく料理や洗濯も出来るが、この文字だけでなく彼女の所作もとても綺麗だった。おそらくラクリスは、ただの平民ではない。

 あまり裕福ではない男爵家か子爵家あたりの娘か。もしくは、大きな商家の娘かもしれない。友人に奪われたという婚約者が貴族だったから、花嫁修行であの気品を身につけたという線もある。


「もっと知りたいな、ラクリスのこと」


 彼女の料理をこれからも食べたいと思ったのは本心だが、キャメリオットへ誘ったのはほんの思いつきだった。だからあんな誘い方をしたが、料理人として求められていると受け取られた時、どうにも胸が騒ついた。

 昨日出会ったばかりの彼女に、オレはどんな関係を求めているのだろうか。まだ出会って二日目だというのに。


 日が落ち始め、薄暗くなった部屋にランプを灯す。そうしてボンヤリしていると、外から馬の嘶きが響いた。

 程なくして扉が開き、黒髪の少年が顔を出す。


「クロム、おかえり」

「師匠、ただいま帰りました! ……って、何ですか、この匂い」


 帰ってきて早々、スープの匂いに気づいたか。もうだいぶ消えたと思っていたが、十二歳になったばかりの弟子は鼻がいいな。


「スープだよ」

「スープ⁉︎ 師匠が作ったんですか⁉︎」

「そんなわけないだろう。ラクリスが作ってくれたんだ」

「ラクリス? 昨日会ったっていう、天使みたいなキャベツの先生ですか?」

「そう、そのラクリス。レシピを残していってくれたから、明日はこれと同じのをお前が作ってくれ」

「……はい?」


 ポカンとしたクロムにオレは、ラクリスの作った料理なら食べられた事。彼女が作っていってくれた夕食を、クロムと一緒に食べるつもりである事も話した。

 話を聞いたクロムは目を丸くした。


「師匠が、キャベツ以外も食べたんですか?」

「ああ」

「体調は⁉︎ 吐き気やお痛みはありませんか⁉︎」

「ない」

「発疹や火照り、息苦しさは⁉︎」

「ない。この料理なら大丈夫だったんだ」


 いくら話して聞かせても、クロムは信じられないと唖然としたままだ。仕方がないので台所へ移り、クロムの目の前で鍋からスープを掬って飲んでみせた。

 すっかり冷えているが、これはこれで美味しい。ラクリスは天才かもしれない。


「本当に師匠が食べてる……」

「うん、これなら平気なんだよ。だから、明日からよろしく頼むね」

「うぅっ、良かった……。良かったですね、師匠。ししょおー!」


 涙ながらに喜ぶクロムに苦笑が溢れる。


「泣くな。食べられるようにはなったが、治ったわけではないんだ」

「それでも! それでも奇跡ですよ! 僕、ラクリスさん……いや、ラクリス様のこと尊敬します! どんな方なんだろう。僕もお会いしたいなぁ!」


 クロムは涙を拭うと、キラキラと瞳を輝かせたまま(かまど)に火を入れ、スープを温め始めた。

 よほど嬉しいのか鼻歌を歌い出す弟子の姿にホッとすると同時に、チリリと胸の痛みを感じた。


「……ダンの畑に行けば会えるよ。明日晴れたらお前も行くか?」

「はい、ぜひ!」


 見た感じ、ラクリスは恐らく十五、六歳といった所だろう。天使か妖精かと思うような可愛らしい彼女と会ったら、クロムの気持ちは尊敬に留まらないかもしれない。

 クロムは彼女より年下。そして今年二十歳になったばかりのオレは、彼女より年上だ。

 果たして彼女は、年下と年上のどちらが好みだろうか。


「……何を考えてるんだ、オレは」

「なんですか、師匠?」

「いや、何でもない。服を片付けてくる」

「あ、僕やりますよ!」

「いい。早く食事にしたい」

「師匠からそんな言葉を聞けるなんて! すぐ用意しますね!」


 雑念を振り払い、オレはテーブルにあった服を手に寝室へ戻った。棚の上に適当に乗せると、傍らの姿見に自分の体が映り込む。

 たった半年ほどで見る影もなくなってしまった細い体と不健康そうな顔に、思わずため息が漏れた。


「これでは、年齢以前の問題だな」


 今のオレはまともな食事を食べられるようになっただけで、根本的な問題は何一つ解決していない。この体を早くどうにかしたいと思うのと同時に、諦めかけていた心に希望の光が差した事に気が付いた。


「ラクリス。やっぱり君はオレに魔法をかけたよ。それも、とびきりの」


 あの事件以降、このまま静かに朽ちていくしかないと思っていたオレが、未来に希望を持てるようになった。これは単に美味しい食事が出来るようになったからだけではなく、ラクリスと出会ったからだろう。


「師匠、出来ましたよー!」

「ああ、今行く」


 出来る事は限られているが、まだ解決していないからこそオレはこの村に居続けられる。その間に少しでもラクリスと距離を縮めていけたら。

 そんな事を考えながら、オレは半年ぶりに弟子と楽しい夕食のひと時を過ごした。

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