三、下の名前
「「「くしゅんっ!」」」
私と恭士さん、そして茉恋さんの3人のくしゃみが見事にシンクロしたのは、4月の頭。『申』と陰陽師探しのために、中部地方の北を訪れていた時のことだった。
「なんや。第一子トリオは揃って花粉症か?」
「第一子トリオて。」
「はは。そうですね。」
紡さんのそんな一言に。マスクをつけた3人で苦笑した。
今は、4月の上旬。例年通りであれば、関東は桜が満開になる季節だが、まだこの街では桜が咲いておらず、杉花粉症の人間だけが春の到来を身に染みて感じていた。
「それにしたって、くしゃみのタイミングまで一緒とは、仲が随分よろしいでございますね。」
「仲いいと言えば、生見さん。最近千晶のこと、下の名前で呼ぶようになりましたよね。何かあったんすか?」
「えっ…。」
「あ、いや…それは…。」
「拳心君。ちょっと。」
「ん?うおっ!」
私と恭士さんが返答に困っていると、茉恋さんが拳心さんを手招いて、そのまま脇道へと連れ去った。
…なんだろう。すごく気まずい。
「私たちこっち側から調査しますです!行きましょ紡さん!」
「やれやれ。」
茉恋さんと拳心さんが消えた道に、後から、若葉ちゃんと呆れた様子の紡さんが後を追って入っていった。
元々口数が少ない仙太郎さんと、恭士さんと共に取り残され、微妙な雰囲気のまま道を歩く。
「…なぁ。」
「はい!?」
何とも言えない空気が漂う中、突然声をかけられたことに驚き、声が裏返った。
「ぷっ。何緊張してんねん。」
私のその声を聞いて、恭士さんが笑った。
「…嫌やったら、元に戻すで。呼び方。」
かく言う恭士さんも気恥ずかしくなったのか、目を合わせないまま控えめにそう言ってきた。
「いえ…全然嫌じゃないです。呼びやすい方で呼んで下さい。」
「そか。」
そもそも恭士さんが、私のことを名前で呼び出したのは、橋姫との戦いの中で、流れでそうなってしまっただけだ。
多分…状況的に千紘さんの姿が私とダブった見えたとか、そういう理由だろう。
勢いで、私のことを千紘と呼びそうになり、それを誤魔化した結果に過ぎない。一度下の名前で呼びはじめてしまった以上、苗字での呼び方に戻すのも不自然な気がして、下の名前で呼ぶことにした。そんな所だろう。
しかし、それが一部のメンバーからは、突然特別な意味で仲が良くなったように見えていたらしい。
気まずい雰囲気に耐えられなくなって、仙太郎さんに話題を振る。
「そ、そういえば、仙太郎さん。今回はどうして、『申』の式神がここに出ると思ったんです?」
「お前には…アレが見えるか?」
「あれ?」
仙太郎さんが、少し離れた山の方を指差した。その方向を見て目を凝らすと、強風によって巻き上げられた、杉花粉と思しき黄色いものが宙を舞っていた。
「うわぁ。やば。」
「見てるだけで目ぇ痒くなりそうやな。」
「花粉はともかくとして、だ。あの風はおそらく、自然現象によって生まれたものではない。」
「えっ?」
どういうことですか?と、私は仙太郎さんの方をみた。
一呼吸置いて、仙太郎さんは言葉を続ける。
「昨日、この街で1人の少女が行方知れずになった。数百年前、俺がここへ来た時も若い女の失踪事件が相次いでいたことがある。その原因は…。」
「原因は…?」
「中国から伝来した、大型の猿に酷似した妖怪。」
ごくりと息を呑む。
「狒々《ひひ》だ。」