私だけの箱庭
私はとってもきれいなお庭がこの町の中にあることを知っている。あの紅茶とケーキの味。あの花々が揺れるきれいな景色。あれらは他の人たちはきっと知らないんだろうな。
町の大通りのとある路地。行きかう人が見向きもしないその路地を、あえて中へと進み行く。狭い路地は薄暗いようで、意外にもところどころに光が入り、飛び飛びに明るいところがある。
その路地を奥へと進むとだんだんととおりのにぎやかさが遠のいていって、それを気にすることなくさらに奥へと進むと、ほら、見つけた。
突き当りに、分かれ道。そこに建物の隙間から差し込んだ光に照らされた、鉢植えが二つ置いてある。
どうしてかいつも光に照らされたその二つの鉢植えには、どちらにも同じ花が植えてあって、いつ来ても花を満開に咲かせている。
そこはT字路の分岐点。左を向けば、道がまっすぐ伸びていて、反対を向いても同じように道は続いている。
どちらに進めばいいか、私は知っている。赤い花を、数えるのだ。鉢植えに植わったその花は、赤い花と青い花を咲かせている。二つの鉢植えには同じ花が植わっているけれど、咲いている花の数が違う。
赤い花の多い方の道に進むのだ。つまり、このT字路でいえば左だ。私は左の道へと進む。
しばらく進むと、またT字路にぶつかり、そこにはまた二つの鉢植えがある。今度は右だ。右へと進む。
このことを知っているのはきっと私しかいない。だから、あの場所は私しか知らない。
左、右、また右、次は左……何度も道を曲がって進む。何度目かの角を曲がり、そのまま進んでいくと、道の先が明るくなり、ようやくその場所に到着する。視界が一気に開ける、開放感には私は思い切り伸びをした。
庭だ。道を抜けると、そこには庭がある。周囲が建物に囲まれているから、ここは箱庭だ。
とても不思議なところだ。庭は丸い形をしていて、周囲の建物は、上に行くにつれて真ん中へと反り返り、空はそれによって、まんまるく切り取られている。でも、そこから差し込む陽の光は、箱庭の隅から隅まで照らしていて、気持ちのいい明るさで満ちている。
大きな木とたくさんの色とりどりの花。それらがそよ風に揺れている。風が吹くと、葉のこすれ合うサワサワというざわめきがして、時々鳥のさえずりがその中に混じる。
「あら、またまた来てくれたのね」
女の人の声がする。声のした方を向けば、お姉さんがきれいな笑みを浮かべながら花を摘んでいた。
「うん、また来たよ。もう迷うことなんてない」
「フフフ、迷ったらまた最初からだものね」
「あれ、どういうことなの? 一度でも間違ったら、入ってきた入り口に戻っちゃうんだもの」
「全部の道は、つながっているということよ」
「ふうん、変なの」
お姉さんについて、一緒に歩く。箱庭の真ん中には東屋があり、椅子と机が置いてある。
そこに座ると、目の前にいつの間にかケーキと紅茶が用意されていた。さっきまでなにも机の上には無かったのに、瞬きをした次のときには、底に美味しそうな匂いと湯気を立たせて、その二つが置かれていた。
「さあ、召し上がれ」
彼女がそういうので私はさっそくケーキを運んだ。美味しい。これまでケーキは食べてきたけど、そのどれよりも美味しい。紅茶も飲んでみれば、これまた美味しくて、紅茶とケーキを交互に食べてしまう。
「ふふ、慌てなくてもいいわ。好きなだけ食べていいから。ほらっ」
そういう彼女の手には、新しいケーキが乗っている。きらきらしてとても美味しそうなケーキ。
三つも食べちゃって、さすがにお腹いっぱいの私は、イスに深く座り、一息つきながら庭を見渡した。
「いつ来てもきれいだね、ここは。花は満開で、色とりどりで、とってもきれい」
「そうでしょうとも。ここは、いつだってきれいな場所なのだから」
「いつだってきれいな場所? そんなことができるの?」
「できるわ。あなたが望むのなら」
「そうなの? それはすごいなあ。なら私、ずっときれいでいてねってお願いする!」
「フフ、嬉しいわ」
この庭はいつでもきれいな景色をしている。私の家の庭では、寒くなって花たちがみんな枯れちゃっても、この庭は花で満開だ。
お花がみんな枯れちゃってさみしい季節でも、ここはいつも賑やかだ。枯れて茶色になって、クシャクシャになっちゃった花を見るのは悲しい。ここはそんな悲しさが無くて大好きだ。
ただ、ボウっと眺めているだけでも心地いい。風がさわりと吹くと、花々が風に揺られ、風の通り道をみんなで教えてくれる。さらさらと葉っぱのこすれる音は、私の内側を優しくなでていくみたいだ。
「私、もうここに住んでいたいわ」
ぽろりとそう言ってみたり。
「なら、住んだらどう? ワタシの家にはお部屋も空いているし、歓迎するわ」
「だめよ、お父さんもお母さんも許してはくれないわ。住みたいけど、できないもの。きっと怒られてしまうわ」
お前はまだ子供なんだ、まだ早い。そういうに決まってる。
「まったく、許してくれてもいいじゃない。私はもう子供じゃないわ」
「あら、子どもでいるのは不満?」
「当たり前でしょ? 子供だと、お父さんお母さんにすっごく叱られるんだもの。あんなに怒ってたら目がどんどん吊り上がっちゃうわ。
ああ、早く大人になりたいわ。そうすれば怒られなくてすむのに」
思わず大きなため息を一つ。紅茶があまっていたので、一息で飲み干してやる。冷めていたけど、変わらず美味しかった。
「……でも私は、あなたに子供のままでいた方がいいと思うわ」
「お姉さんまでそう言うの? 私はもう大人よ」
そう言ってお姉さんをにらんでやろうかと思ったけど、お姉さんがどうしてか悲しそうな顔をしているので、にらむことはできなかった。
「……見て、あそこ」
彼女が指さした先には、一本の大きな木がある。
「ワタシはあなたのお母さんを知っているわ。あの木の下で、一緒に紅茶を飲んだわ。あなたと同じように」
「お母さんを知っているの?」
「見て、あそこ」
お姉さんは、今度は向こうの方にある東屋を指さす。
「ワタシは貴方のお父さんを知っているわ。あの屋根の下で、一緒にケーキを食べたわ。貴女と同じように」
「お父さんのことも知っているの?」
「あなたの両親だけじゃないわ。あなたのおじいさんおばあさん、お友達の家族、近所の人たち。はたまた知らない誰か……ワタシはその全員を知っているし、一緒に過ごしたことがある。あなたのように」
お姉さんは、いつの間にか持っていた紅茶を一口飲んだ。
「みんなステキな子たちだったわ。優しかったり、楽しかったり。いろんな子がいたけど、みんないい子だった。そのままでいてくれたらと思ったわ」
でもね、とお姉さんは続ける。
「誰一人、子どものままでいることを望まなかった。みんな大人になりたいと言っていたわ。あなたと同じように」
「大人になることは悪いこと?」
「そんなことはないわ。でも、確かなことが一つあるの。子供の世界は、子どものときにしか過ごすことができない。大人になったら、もうそこには行くことができないのよ」
お姉さんがあまりにじみじみと語るのが、私にはよく分からなかった。
お姉さんは紅茶を飲み干すと、私を見つめて微笑んだ。どこか、悲しそうな表情を混ぜ込みながら。
「あなたは、この庭が好きかしら」
「うん、大好き! こんな素敵なところ他にはないわ」
「そう。ならいっぱい楽しんでいってね。思いでに残るくらいに」
写真を見ると実感する。あれからもう十年以上経ったのだ。
あの頃から変わったものはたくさんある。街並みや人間関係その他いろいろ。
変わらなかったものもたくさんある。相変わらずの友人たち。お気に入りのお店。その他いろいろ。
そして、写真を見て思いだす。あの庭は、今も変わらずきれいなままなんだろうかと。
確かめたいが、確かめられない。あの庭に、私は行くことができないから。
そもそもあの庭は、本当にあったのだろうかと最近は思ってしまう。何かの記憶と記憶度が混ざり合って、あたかもあの庭があったかのように私が勘違いしているだけかもしれない。
あの、庭へと続く路地はいったいどこだったのか、もう私は思いだせない。町のどこかだったのだが、いったいどこだったんだろうか。
いつもきれいなお庭。風がさらりと吹けば花々が揺れて風の通り道を教えてくれたあのお庭。そして、そこにはお姉さんがいて、美味しい紅茶とケーキをいつも出してくれていた。
あそこはいったいどこにあるんだろうか。誰か、私に教えてはくれないだろうか。
お父さんやお母さんに効けばわかるだろうか。近所の人や、友人に聞いたら分かるかもしれない。
でも、やっぱり聞かずにいたい。あそこは私しか知らない庭であってほしいから。もしかしたら他の人も知っているかもしれないけど、知らないと私は思いこみ続けたい。
……あのお姉さんが微笑んでくれるあの庭は、私だけが知っている秘密の場所なんだ。
私はとってもきれいなお庭がこの町の中にあることを知っている。あの紅茶とケーキの味。あの花々が揺れるきれいな景色。あれらは他の人たちはきっと知らないんだろうな。