1. 十分後、またね。(2)
「陽菜さん、三分前です」
「わかりました」
ADさんの声に返事をしながら、わたしはコンパクトを閉じました。草壁さんに指摘された目元を見てみると、しっかり見なければわからないとはいえ、思ったより出ていて少しショック――慌てて大修正。
しかし、顔に出るほどの寝不足はダメだな、と溜め息を吐いた。今作っているものが終わればしばらくは仕事だけになるから、そうしたらゆっくりしたい。少なくとも夜は、しっかりと眠りたい。
空調と緊張とで、カラカラになった喉をペットボトルの水で癒しながらふと目を外に向けると、ガラス窓にかかったブラインドの隙間から中をのぞき込もうとする人影が見え隠れするのがわかった。
……ふふ、わかるわかる、覗き込みたくなるよね、中。
そういえばメンバーと話しているときに、金魚鉢というかショーケースの中にいるみたいだね、と言っていたのをふと思い出した。ショッピングモールの中に設けられたこのサテライトスタジオは、放送中のわたし達を大きな窓越しに見ることができるので、目当てに駆けつけたファンだけではなく、通行人がふと足を止めて見入ることも多い。
ウィンドウショッピングで通りかかった店先で、わたし達という商品を品定めして、大抵はお気に召さずに去っていく。でもたまに興味を持って残ってくれたりすると、やった、と心の中でガッツポーズを取ってみたりして。
「二分前です、陽菜さん」
ADさんの少し焦った声が聞こえた。おっといけない、そろそろ始めなくては。わたしは席から立ち上がると、窓の前に立つと小さく深呼吸。そしてブラインドを操作できる紐に手をかけた。
放送が始まる前、窓に掛かったブラインドを自分の手で上げる――その儀式めいた行為はプロデューサーの指示だ。その目的までは教えてくれなかったけれど、きっと自分がファンに見られていることを意識させるとか、そしてファンの顔を見て気を引き締め直せ、とか大方そんな意図なのだろうとわたしは思っている。
もう何度と行ってきた行為だけど……ああ、わたしはいつもこの瞬間が緊張する。
最初の頃は外に誰もいなかったらどうしようとか、逆に大勢の人が詰め掛けてたらどうしようとか――もちろんそんなことは一度もなかったけれど――そういうことを心配したこともあった。けれど放送を十回を越えた頃から不安は消えてなくなった。ファンの皆が暖かい視線が迎えてくれること、それを身に染みて知ることができたから。
ではわたしが一体何に緊張しているのかというと――
「――一分前です!」
声と共に、わたしは勢いよくブラインドを一気に引き上げた。
外から差し込んでくる光に一瞬顔をしかめながら、ガラスの向こうで待っていたファンの皆を一瞥する。さほど奥行きはない、けれど窓の前を埋め尽くす様々な体格の男性に混じって、最前列の端にある少女を見つけたわたしは、小さくほっと息を吐き出した。
彼女はわたしにとって数少ない、女性ファン。背は低くて小柄で長くて綺麗な黒髪をした女の子。見かけるときはいつもスーツなので社会人なのかな。俯きがちな顔はいつも前髪で隠れていてその瞳は見たことはないけれど、きっと小さくて可愛い目をしているのだろうと、勝手にわたしは思っている。
その子の名前を……わたしは知らない。
ファンレターやメールの類には一通り目を通しているけれど、彼女からとわかるものは一つもない。CDの発売に合わせたキャンペーンや、定期ライブの物販の特典で行われている、写真撮影や握手会に来てくれたら間違いないのだけど、そういう機会に彼女が来てくれたことは一度もない。もしかしたらライブには来てくれているのかもしれないけれど、まだ観客席のすべてを見通せるほどの余裕がわたしにないということもあって、彼女を見つけたことは一度もない。
彼女とわたしが会うのは、いつも決まってこのスタジオの、ガラス窓を挟んでだけ――だからずっと気になっている。果たして彼女は、一体わたしのどこを好いてくれるのか、と。
「――三十秒前」
ファンの皆の視線を浴びて緊張が解されていくのを感じながら、そのお礼にと皆に向かって笑顔を投げかけると、大きく手を振って席へと戻り、こほんと一つ咳払い。……さあ、今週もみんな見ててね、わたしのステージを。
わたしは速水陽菜、駆け出しの五人組アイドル、Pola☆staR――と書いてポーラスターと読む――のメンバー。そしてこれから始まるのは、Pola☆staRの冠がついたラジオ番組。
カウントダウン、そして聴き慣れた時報が終わると、わたしはマイクのスイッチを押し上げた。
「Pola☆staR、速水陽菜の――スターライトステージ!」




