◆第九話『大海蛇の巣』
湿った地面や岩肌。
少しばかり肌寒い空気。
幾度も経験した環境に緊張感がいやおうなく高まっていく。これからなにと戦うのか、体と心が反射的に理解しているのだ。
ベイマンズはギルドメンバー約20人でシーサーペントの巣に来ていた。
広さは試練の間を遥かに上回る。ただ、足場は広間の手前半分しかない。奥側は濁りのない綺麗な水で満たされている。まさに湖といった様相で底が見えないほど深い。また、ほかの区域と同様にほのかな青い光が漏れている。
ベイマンズは背負った2本の斧を両手に持った。ツインアックス。1本の大きさは一般的な戦斧よりもわずかに小さい。その分一撃の威力は落ちるが、両手に持つことで隙を最小限を収められるので愛用している。
天井から落ちた雫が湖面にぽつぽつと落ちはじめた。
広がる波紋を目にしながら、ベイマンズは声を張り上げる。
「そろそろだな。お前ら、いまのうちにかけられる魔法はかけとけよ!」
参加者全員がシーサーペントとは何度も戦っている。にもかかわらず、やけに反応が悪かった。いや、それどころか補助魔法をかける素振りすら見せない。
「おい、早く準備しないと奴が来るぞ!」
「その必要はないっすよ、ボス」
そう意見してきたのはジグだ。
なにやらやけに落ち着き払っている。
「なに言ってんだ、ジグ。何度も戦ってるんだから、お前も知ってるだろ。舐めたら全滅する相手だって」
「ええ、知ってますよ。知ってるからこそ、こうして今回の作戦を考えたんすからね」
ジグがにやりと笑った直後、空洞内が大きく揺れはじめた。さらに奥の湖に巨大な影が映り込む。紛れもなく、あれはシーサーペントだ。
「おい、お前ら早く準備を――」
急に足が重くなった。
見下ろすと、影の手が大量に纏わりついていた。《ゴーストハンド》だ。
「なっ」
隣にいたヴァンにも同様に《ゴーストハンド》がかけられている。シーサーペントはこんな魔法を使ってこない。つまり――。
慌てて顔をあげて視線を巡らせると、魔術師型のギルドメンバー2人がこちらに向かって掌を向けていた。
「おい、なんのつもりだ!」
「なんのつもりって、これでわからないなんて。ほんっとーに脳筋なんですね」
嘲り笑うジグの後ろでは、ほかのギルドメンバーが次々に入口のほうへと走っていく。
「おい、ジグ急げ! ゲートが閉まるぞ!」
「わかってる、いま行く! ……それじゃボス――いや、ベイマンズ。ここでお別れだ」
そう言い残して、ジグもまたほかのメンバーと同じく入口に向かい、姿を消した。
「あんの野郎、俺らをハメやがったのか!」
ヴァンが怒りの声をあげながら、ジグを追いかけようとする。が、その足は凄まじく遅い。あれほどの移動速度低下となると、装着した黒の属性石は6つか。いや、7つかもしれない。おそらく、このときのためにオーバーエンチャントをしたのだろう。
《ゴーストハンド》の効果が切れたとき、ベイマンズは大声で咆えた。ジグたちに向けたものではなく、自分への苛立ちから出た声だった。
「俺が甘かったってことか……っ」
いつかはジグたちもわかってくれる。
そう信じて決断したロウのギルド追放。
その結果がこれだ。
情けないことこのうえなかった。
とてつもない破裂音とともに湖面から大量の水が噴き上がった。それらが周囲に飛び散ると、ソレは姿を現した。
「ボス……やばいっすよ」
顔を引きつらせるヴァンを横目に、ベイマンズは覚悟を決めた。
◆◇◆◇◆
アッシュは青の塔46階をひた走っていた。
不気味なほど静かで魔物の気配すらない。
おそらく先行したロウが殲滅しているのだろう。
しばらくして、奥のほうから轟音が聞こえてきた。
角を曲がって開けた場所に出ると、ようやくロウを見つけることができた。すでにこの場所の殲滅は終わったようで、あちこちにジュリーが落ちている。
「ロウ!」
「どうしてきみが……」
こちらを向いたロウが目を見開いた。
アッシュは手に持ったスティレットを軽く持ち上げて答える。
「加勢しに来たに決まってるだろ」
「だが、きみがそこまでする必要は――」
「命が関わってんなら話はべつだ。ヴァンもあんたも、もう俺の友人だからな。手伝う理由はそれで充分だろ」
アッシュはそう言いながら、ロウの横を通り過ぎた。
「それから魔力は温存しとけよ。これから裏切り者とも戦わないとだろ」
「だが、道中の雑魚はどうする。きみひとりではとても――」
「問題ない。初めは手こずったが、もう大体動きは掴んだ」
正面の通路からドスドスと重々しい足音が幾つも聞こえてくる。敵の増援だ。現れたのはやはりシレノス。数は5体だ。
アッシュはスティレットで虚空を斬り裂いた。出現した白の斬撃が飛んでいく中、あと追いかけるように駆け出し、敵との距離を一気に詰める。
シレノスは手に持った瓶――酒を飲むことで強くなる。だが、酒を飲むのは一定時間、静止していたときだけだ。その間隔は何度も戦ったことで完全に把握している。
アッシュは標的1体を相手取りながら、ほかの個体に斬撃を放って牽制。走らせ続けた。それを繰り返しながら1体ずつ、1度の交差で首を飛ばして仕留めていく。
ほとんど時間をかけずに敵を処理し終え、アッシュはふぅと息をつく。振り返ると、きょとんとしたロウが映り込んだ。
「……きみは本当に5等級に上がったばかりなのか?」
「ああ。ついこの間な」
幼い頃から魔物と戦い続ける日々だった。
その甲斐あってか、幾度か戦えばその魔物の動きをほぼ読めるようになった。もちろん、相手によって予測しやすいものとそうでないものもいるが……シレノスは比較的、読みやすい相手だった。
アッシュは奥を指差しながら、いまだ呆けたままのロウに向かって言う。
「急いでんだろ? ぼさっとしてないで、さっさと行こうぜ」