◆第八話『別れのとき』
ダリオンは狩りに行く前、ギルド本部で仲間と待ち合わせることが常だった。チームメンバーが揃ったところで2階から1階へ下りる。
と、広間に20人ほどのギルドメンバーが集まっているのが見えた。
「ジグさんたちまだいたのか」
ほぼ全員が50階突破者だ。
装備を整えて、いつでも狩りにいけるといった格好で談笑している。
ギィルが広間に顔を出して叫ぶ。
「ボスとヴァンさん、もう先に出ましたけどー!」
「おう、知ってる知ってる。俺たちもこれから向かうところだ」
返答したのはジグ。ロウがいなくなったいま、レッドファングにおいてベイマンズ、ヴァンに次いでナンバー3の実力者だ。
こちらに近づいてきたジグにダリオンは確認する。
「シーサーペントの討伐……でしたよね」
レッドファングが定期的に討伐している46階の中型レア種だ。到達していない階とあって戦ったことはないが、ギルド内でたびたび話題に挙がるので名前だけは知っていた。
「ああ。なんだ、興味あるのか?」
「そりゃあ。5等級に上がったので」
「あれは大型に近い中型とも言われてるし、俺らでもきつい相手だ。5等級に上がったばっかのお前らにはまだまだ早いな」
甘く見られたことに一瞬腹が立ったが、ジグより実力が劣るのは事実だ。ダリオンは人知れず奥歯を噛みしめて怒りを収めた。
しかし、60階突破者のジグに「きつい」と言わしめるとは。サーペントはいったいどれほどの強さなのか。参加資格に手が届くところまで来ているとあって気になって仕方なかった。
「ああ、それとダリオン。ジグさんってのは今日で終わりだ。これから俺のことはボスって呼べよ」
ジグが威張るようにそう口にした。
いったいなにを言っているのだろうか。
「……ボスはベイマンズさんでしょう」
「だ~か~ら~。そのベイマンズが今日で死・ぬ・の」
「なにを言って――」
「シーサーペントの巣はちょ~っと特殊でな。戦闘が始まると脱出できない仕組みになってんだよ。それを利用して開戦直前に俺らは撤退。取り残されたベイマンズと取り巻きのヴァンはシーサーペントに食われておしまいってわけ」
ジグが得意気に説明し終えたとき、ダリオンは思わず絶句した。なぜそんなことをするのか。理解が追いつかずに頭が混乱しはじめる。
後ろで話を聞いていた彼のチームメンバーが怪訝な顔をする。
「おい、ジグ。話しちまっていいのかよ」
「いいのいいの。こいつらが知ったってどうせ邪魔できないしな」
ジグが軽い口調でそう答えたのち、こちらに向きなおった。
「シーサーペントの火力は5等級に収まらねぇ。そのうえヒーラーが2枚いないと絶対に攻略できない。つまりベイマンズたちは確実に死ぬってわけだ」
色々と理解が追いつかない中、下卑たジグの笑みがひとつだけ明らかにさせてくれた。それは彼が本気でベイマンズとヴァンを殺そうとしていることだ。ただ、ギルドメンバー同士で殺し合うことを信じたくなかった。その想いが口からこぼれ出る。
「……それ、本気で言ってるのかよ」
「ああ?」
「本気で言ってるのかって訊いてんだよ! 俺たちのボスだぞ!」
「本気だったらどうする? 止めるってか?」
ジグは鼻で笑ったあと、おどけながらそう言ってきた。
後ろのほうで彼の仲間がけらけらと笑いはじめる。
「やめとけやめとけ。5等級に上がったばっかのお前じゃ無理だ」
「……そんなの関係ねぇよ」
ダリオンは背負った斧を手に取り、構えた。
相手は自分よりも格上の挑戦者ばかりだ。
おそらく……いや、間違いなく敵わないだろう。
それでも見過ごすわけにはいかなかった。
罠の対象には、ベイマンズだけでなく兄貴分のヴァンも対象に入っているのだ。
ただ、できれば仲間を巻き込みたくなかった。
ダリオンは後ろに向かって小声で告げる。
「お前たちは逃げろ」
「ダリオンさん置いて逃げるなんてできるわけないっすよ!」
「ギィルの言うとおりだ。それに俺だって気持ちは同じだ!」
「つ、付き合うよ。仲間だからね……!」
「お前たち……後悔しても知らねぇぜ」
本当に自分には勿体無い仲間たちだ。そう思いながら、ダリオンは彼らとともに裏切り者のジグたちに向かって武器を構えた。
「ははっ! こいつら前々から馬鹿だと思ってたけど、思ってた以上の馬鹿だったわ!」
ジグは堪えきれないといったように笑い声をあげた。
かと思いきや、すっと笑みを消して冷酷な目を向けてくる。
「いいぜ、かかってこいよ。力の差ってのを思い知らしてやる」
◆◇◆◇◆
中央広場の南側通りから海辺に抜ける林道がある。
その接続箇所の周辺にてアッシュはベンチに座っていると、目の前にひとりの男が立った。最近では毎日のように顔を合わせていた挑戦者――ロウだ。
「こんなわたしのために本当に来てくれたのか」
島を出る準備は万端といった様子だ。
背負った鞄は大きく膨らみ、口からは5本のロッドが顔を出している。
見送りに行くと伝えたはずだが、彼は信じていなかったようだ。こちらを見ながら、目をぱちくりとさせている。
「友人を見送るのは当然だろ?」
「……友人か」
「ああ、友人だ」
関わった時間は短いが、他人と言うには彼のことをよく知りすぎた。アッシュはベンチから立ち上がり、問いかける。
「島を出てからはどうするつもりなんだ?」
「まだなにも決めていない。ただ、わたしはひとりだ。考える時間はたっぷりとある」
ロウは少し困った顔で自嘲するように言った。
「きみにはたくさん迷惑をかけてしまったな、アッシュ」
「気にするな。結局、なにもできなかったしな」
「そんなことはないさ。おかげで気持ちに整理をつけることができた」
言って、ロウは自身の右腰辺りに手を持っていった。「グェッ」と声を出したガマルを掴み、こちらに差し出してくる。
「詫びといってはなんだが、わたしのジュリーをもらってはくれないか。2000万ジュリーほどある」
「……さらっと言ったけど、とんでもない額だな」
「とくに節制したつもりはないんだが、気づいたらこんなに貯まっていた」
物欲がない。そのうえ、ロウの性格だ。おそらくオーバーエンチャントといった要素にはいっさい手をつけなかったのだろう。
「気持ちはありがたいが、受け取れない」
「どうしてだ? これほどの額、欲しがらない者はいないと思うが……」
「ほかの奴はそうかもしれないけどな」
「きみは違うと?」
ロウが怪訝な顔を向けてくる。
アッシュはどう答えたものかと唸りながら答えを口にしていく。
「なんつーか……ここの塔ってただ腕力があるだけじゃ昇れないだろ。魔物は沢山いるし、種類ごとに行動パターンは違うし。そんな奴ら相手にいまあるジュリーで装備を用意してどう攻略するのか。そういうこと考えるの結構好きなんだよな」
「つまり余るほどジュリーがあればその楽しみが損なわれるということか」
「そういうことだ」
アッシュは口の端を吊り上げてにっと笑う。
初めはきょとんとしていたロウが、ふっと柔らかな笑みを零した。
「きみほど楽しんで塔を昇っている挑戦者は初めて見たな」
「ま、俺は神に願いを叶えてほしくて来たわけじゃないからな」
「……理解した。では、これは諦めるとしよう」
「そうしてくれ」
ロウの手から逃れたガマルが地面に着地。
また主人の太腿へと飛びついてその姿を消した。
「さて、そろそろ行こうと思う。……島を出る前にきみに出逢えて良かった」
そう口にしたロウは清々しい笑みを浮かべていた。
だが、どこか儚げで影があるようにも見えた。
そばを通り過ぎたロウが林道のほうへと向かっていく。
「なあ、未練はないのか?」
アッシュは気づけばそう声をかけていた。
ぴたりと足を止めたロウがこちらを見ずに応える。
「……ないと言えば嘘になる。ただ、もうわたしには手をかける場所がない」
「本当にそうなのか?」
「すまない。これは決めたことなんだ」
「ベイマンズもだが、あんたも相当頑固だと思うぜ、ロウ」
意地が悪すぎただろうか。
だが、言わずにはいられなかった。
ただ、それでも止めることはできなかった。
ついにロウがすべてを振り切るように足を踏み出した、そのとき。
ガコンッと大きな音が聞こえてきた。
音の出所を探って視線を巡らせる。と、少し離れたところで逆さになって転がったベンチを見つけた。そばには大男が倒れ込んでいる。あれは――。
「……ダリオン?」
彼がベンチに体当たりをかましただけなら放っておくところだが、遠くからでもわかるほどその体は血だらけだった。どう見てもただ事ではない。
アッシュはロウと無言で顔を見合わせたのち、ダリオンのもとへと向かった。
「おい、どうしたんだ、その傷!?」
「アッシュ……ブレイブ……」
こちらを捉えたダリオンの目が今度はそばのロウへと向けられる。
「よ、よかった……ロウさん。ヴァンさんが……ボスが……ッ!」
「待っていろ、いますぐにヒールをかける」
ロウは背中の鞄から1本のロッドを取り出すと、ダリオンにかざした。多くの属性石が装着されているからか、大量の白い燐光がダリオンを包み込んだ。
「傷が深いな……すぐに治らないかもしれない」
「俺のことは放っておいてください。それよりジグのクソ野郎が……シーサーペントでボスとヴァンさんをハメようとしてるんです……!」
その瞬間、ロウの顔が一気に険しくなった。
「それは本当なのか?」
「止めようとしたんです……! けど、このざまで……ッ!」
ダリオンが自身の拳を地面にゴンッと叩きつけた。
その切羽詰った様子から良くないことが起ころうとしているのはわかる。だが、知らない単語があるせいで、アッシュはいまいち内容を理解できなかった。
「おい、ロウ。シーサーペントって」
「青の塔46階の中型レア種だ。ただ、中型といっても大型に近い戦闘能力を持っている。いくら8等級の挑戦者でも1チームではとても敵う相手ではない」
「っても、それなら逃げれば――」
「一度戦闘が始まれば逃げられないんだ」
言って、ロウは下唇を強く噛んだ。
「つまりベイマンズとヴァンを置いて、ほかの奴は開戦前に逃げるってことか?」
「おそらくそのつもりだろう」
最悪だ。ロウの話を聞く限り、ベイマンズとヴァンが助かる可能性は低いだろう。いや、低いどころではないかもしれない。
と、ロウがいきなり鞄を放り投げると、そのまま勢いよく駆け出した。向かう先はやはりというべきか。東にそびえる青の塔だ。
「おい、ロウ!」
アッシュは制止するよう声をあげるが、彼に届くことはなかった。
相手はシーサーペントとやらだけではない。
ベイマンズたちをはめようとした挑戦者たちもいるのだ。いくら70階突破者のロウでも厳しいはずだ。このまま放っておくわけにはいかない。
アッシュは舌打ちしつつ、あとを追いかけんと走り出そうとする。と、ダリオンから大声で「アッシュ!」と呼び止められた。彼はまだ完治していない体でふらふらと立ち上がると、その顔を悔しさで歪めた。
「俺はまだ46階に行けねぇ……だからボスを……ヴァンさんを頼む……!」
本当は自分で行きたいが、行けない。
そんな想いが滲み出た言葉だった。
……俺に頼むなんて死んでもいやだろうに。
ダリオンの男気に答えるよう、アッシュは力強く頷いた。
「ああ、任せとけ!」





