◆第六話『芳醇な香りとともに』
翌日。
朝から夕方まで存分に塔での狩りを堪能したあと、アッシュはロウとともにある酒場の前に来ていた。
アッシュは身を隠しながら、窓から店内の様子を窺う。
隅の席で、丸テーブルを囲んで酒を飲み交わす2人組みが映り込む。ひとりはヴァン。もうひとりはベイマンズだ。ベイマンズのほうはこちらに背を向ける形で座っているので姿を見られる心配はない。
――いいっすか。まずは俺がボスに酒を飲ませまくります。いい感じになってきたら便所に行くって席を立つんで兄貴は中に入ってきてください。ボスのことっすから、兄貴を見たら一緒に飲めって言うと思うんで、そしたら待ち合わせの人物――ロウさんが来るって感じでお願いします!
それが、ヴァンの立案した作戦だった。
「けど、本当に大丈夫なのか……」
「ベイマンズの思考なら、ヴァンの言った流れのとおりになるはずだ」
ベイマンズのことならロウとヴァンのほうがよく知っている。2人が言うなら間違いないだろう。ただ、話し合わせるところまでは良いとして、問題はそのあと。ロウとベイマンズが和解できるかどうかだ。
「ひとまず機嫌は良いみたいだな。酒も進んでるようだし。ん、あの瓶は……ワインなんて飲むのか」
意外だった。こう言ってはなんだが、ベイマンズには味わって飲むワインは似合わないと思っていたからだ。その巨体や男らしい姿から、エールを喉が痛むぐらい浴びるように飲む印象しかなかった。
そばでロウが「あんなものまで用意していたのか」と呟いた。
「あれは《ベヌスのワイン》。飲めば活力が漲り、翌日最高の状態で狩りに臨めると言われている。この島で最高のワインだ」
「あ~……ちなみにいくらなんだ?」
「10万ジュリーだ」
高価なことは予想がついていたが、まさかそれほどとは。毒の強化石を2個も買えるじゃないか、とアッシュは思ってしまった。
「お、ヴァンが席を立った」
わざとらしく股間を押さえながら立ち上がり、席を離れるヴァン。店の奥にあるトイレに向かう際、こちらに向かってウインクを何度もしてきた。合図のつもりだろうが、気持ち悪いので程々にしてほしい。
「それじゃ行ってくる。少ししたら来てくれ」
「あ、ああ……頼んだ」
ロウからは不安な気持ちが滲み出ていた。
ヴァンと話し合うための手伝いはするが、あとは彼次第だ。アッシュは無言でロウの肩を叩いてから、店内へと入った。
相手に反応がなければこちらから声をかけようと思っていたが、杞憂に終わった。
「おお、アッシュ・ブレイブじゃねぇか!」
ベイマンズはこちらを見るなり、即座に声をかけてきた。彼がここにいたのはずっと前から知っているが、あくまで偶然を装って話を進めなければならない。
「ベイマンズ……だったよな」
「おお、覚えててくれたか。どうだ、あの件。考えてくれたか?」
「ギルドに入れって話なら変わらないぜ。誘いはありがたいけどな」
「そうか。まあ、気が変わったらいつでも声かけてくれ。うちは歓迎すっからよ」
会話を交わすのがこれで二度目という感じがしない。
この人懐っこさが彼の人柄であり美徳なのだろう。
「今日はひとりで飲みに来たのか?」
「ちょっと人と待ち合わせしててな。そっちはひとりか?」
「いや、ヴァンと飲んでる。あ、良かったらどうだ。なんならその待ち合わせてる奴ってのも一緒に飲んだらいい」
本当にヴァンの言ったとおりの流れになった。
アッシュは少し考える素振りを見せてから返答する。
「そうだな。相手もあんたなら問題ないはずだ」
「そうかそうか。じゃあ決まりだ。ほら、座れよ」
促されるままベイマンズの対面に腰を下ろした。
「ここってワインも売ってるんだな」
「ああ。結構色んなのがあるぜ。けどな、これはそんじょそこらのとは違う。聞いて驚け。ベヌスのワイン。この島で最高のワインだ」
ベイマンズはエールを入れていたカップにそのまま注いで、ごくりと喉を鳴らして呑んだ。
「くぅ~~ッ。この芳醇な香り、甘味! たまんねぇぜ!」
エールと変わらない飲み方にアッシュは思わず苦笑してしまう。
「グラスでも用意してもらったほうがいいんじゃないか」
「どっちだって一緒だ。それよりアッシュ、お前も飲んでみるか? 美味いぜ」
試しに飲んでみたいところだが、いまのベイマンズを騙しているとも言える状況では、さすがに気が引ける。
「いや、遠慮しておく。それより相手が来たみたいだ」
アッシュは店の入口へと手を挙げた。
そちらにはすでに店内へと入ってきたロウが立っていた。
彼は重い足を踏み出すようにゆっくりこちらに向かってくると、そばに並んだ。またもワインをカップに注いでいたベイマンズだったが、ロウの顔を見た途端に手を止めた。先ほどまでの朗らかな空気をぶち壊すように、その顔から笑みをすっと消す。
「待ち合わせってのはこいつのことか? アッシュ」
「ああ。2人はよく知ってる仲だし、紹介はいらないよな。座れよ、ロウ。ベイマンズが一緒に飲もうってさ」
「あ、ああ」
ロウが戸惑いながら席につこうとした、瞬間。
「……なるほどな。そういうことか」
ベイマンズは荒々しくワインの瓶を机に叩きつけると、「ヴァンッ!」と声を張り上げた。店内に響き渡るほどの声で周囲の喧騒も一瞬にして収まる。店の奥から恐る恐る出てきたヴァンがそばに立つ。
ベイマンズがヴァンを睨みつける。
「これはどういうことだ?」
「そ、それはその~……」
偶然にしては出来すぎたこともあって、ベイマンズもさすがに仕組まれたことだと気づいたようだ。ヴァンが返答に窮する中、ロウが割って入る。
「ベイマンズ。すべてはわたしが頼んだことだ。ヴァンは悪くない」
「違うんす! 俺が2人に仲直りしてほしいって思って、それで!」
庇いあう2人の意見を聞きながら、ベイマンズは落胆したように息を吐いた。
「俺がこういう回りくどいのが大嫌いだってこと、お前らはよく知ってると思ってたんだがな」
そのまま静かに立ち上がり、こちらに背を向ける。
「せっかくの良い酒もこれじゃ台無しだ。俺は帰る」
「待ってくれ、ベイマンズ!」
ロウが慌てて呼び止めると、勢いよく頭を下げた。
「すまなかった。わたしはメンバーである彼らを殺そうとした。いかなる理由があってもそれは許されないことだ。もう一度、謝る。……わたしが悪かった」
ロウは両手に拳を作りながら、震える声でそう吐露した。
レッドファング幹部の騒ぎとあってか。周囲の客も会話を止め、酒を飲むのも忘れて騒動に注目している。
ほとんど物音がしない中、ベイマンズが背を向けたまま話しはじめる。
「お前が言ってたことが本当だってのは俺もわかってる。それでも最後にはあいつらもわかってくれるって思ってるんだよ。仲間との絆って奴をよ」
彼は続けて、肩越しに振り返りながらぼそりとこぼした。
「過去に囚われてるのはどっちだよ」
それを最後にベイマンズは今度こそ店を出て行った。
カランカランと扉の鐘が鳴り終えたあと、ヴァンが頭を下げる。
「すんません。俺のせいっす。俺がこんなことを考えたから……」
「いや、ヴァンは悪くない。そもそも、この問題はわたしがひとりで解決すべきものだった」
ロウはそう答えたものの、ヴァンは納得していないようだった。
「俺、ボスのところに行って謝ってきます」
そう言い残して、ベイマンズのあとを追いかけて店を出て行った。
当事者の半数が店を出たこともあってか、ほかの客たちは興味を失ったようだ。一気に活気が戻り、気づけば何事もなかったかのように騒がしい声で店内は満たされる。
そんな中、ロウはひとり俯いたままだった。
彼にとって協力者であっても結局のところ部外者でしかない立場だ。アッシュはかける言葉が見つからなかった。
「過去に囚われている……か。まさしくその通りだ。どこかでわたしは他人を信用しきれていなかった。ギルドメンバーの彼らだけでなく、あのベイマンズでさえも」
ロウは自嘲するようにそう言うと、全身から力を抜いた。「これで決心がついた」と零したのち、晴れやかな顔を向けてくる。
「わたしは島を出ようと思う」





