◆第五話『楔と枷』
ロウは夢の中で過去を思い出していた。
南西大陸を支配するニィルザール王国の王立魔術学院。そこでアロー、レイ、ピラー、ヒールなどを習得し、通常30歳で卒業のところをわずか16歳で卒業。実戦魔術師として王国が誇る第一強襲部隊に配属されることになった、あの日の頃を――。
当時、ニィルザール王国は急速な発展を遂げていた。その勢いたるや、西の強国ライアッドに迫るほどだった。王国も本格的にライアッドに匹敵する力をつける方向で考えを固めていた。
だが、それには邪魔になる存在があった。
南のシャダルムンド王国だ。
古より対立し、隙あらば攻撃をしかけてくる厄介な国だった。一度、侵攻作戦を展開したが、森や渓谷といった天然要塞を前に敗北。以来、長く放置してきたが……。
シャダルムントを討たずしてニィルザールの発展はない。
ニィルザールは軍の人員を大幅に増加。大規模な部隊を編成し、ついにシャダルムンドを攻め落とすことを決意した。
そして開戦した直後――。
問題が起きた。
ニィルザール王国軍内に敵国の兵士が紛れこんでいたのだ。それもひとりではなく、数百単位だ。
所属していた部隊内にも内通者はいた。それも歳が近く、親しくしていた人物だった。ロウは深い失望感を覚えると同時、フロストレイでその者を射抜いた。
ほかの場所でも内通者は速やかに排除されたようだが、混乱に乗じて敵軍に強襲され、被害は甚大。撤退を余儀なくされた。
満を持しての大規模作戦が失敗に終わり、周囲の者たちは悲しみや悔しさを覚えているようだったが、ロウはなにも感じなかった。
そのとき、思ったのだ。
自分はなんのために戦っていたのだろう、と。
その日を境に王国を抜け出し、旅に出た。
国では天才魔術師とも言われた力。
それを生かせる場所を捜し求めてからジュラル島に辿りつくまで時間はかからなかった。
初めの頃、人間不信に陥っていたこともあり、ひとりで塔を昇っていたが、ひっきりなしに襲いかかってくる魔物を前に早くも苦戦していた。火力に余裕はあるが、不意打ちや処理漏れでどうしても攻撃を受けてしまうのだ。
そして、赤の塔9階。
ダイアウルフに背後をとられ、一巻の終わりだという瞬間。ひとりの男に助けられた。それがベイマンズであり、彼と出逢った瞬間だった。
初めは彼の慣れ慣れしい態度に戸惑ったものの、その裏表のない性格は心地良く、打ち解けるまでに時間はかからなかった。
いつしかともに行動するうちに思うようになった。
――わたしの力はこの男に捧げるためにあったのだ。
この男を塔の天辺に連れて行きたい、と。
だが、その結果……。
ふいに背後から腹に痛みが襲ってきた。
見下ろすと剣が刺し込まれていた。
夢であるとわかっているにもかかわらず凄まじく不快な気分だ。振り返った先、ベイマンズを裏切り、自身をハメた男――ジグがいた。
彼が醜悪に笑った瞬間、ロウは噴き上がる怒りに悶え、夢から一気に覚醒した。
寝る前のことをよく覚えていないが、どうやらベッドに背を預ける形で寝てしまっていたらしい。体の節々が軋むように痛い。
いつの間にやら息が荒くなっていた。
冷や汗もだらだらと流れている。
胸元に手を押さえながら、ゆっくりと深呼吸をする。
「……最悪な夢だ」
なんでこんなときに見るのかと自問したが、こんなときだからだろうとすぐに自答した。
ふと話し声が聞こえてきた。
扉の向こう側からのようだ。
いったい誰だろうか。
ロウはのそりと立ち上がり、扉へと向かった。
◆◇◆◇◆
「蹴破るか」
「いや、でもこれ壊したらミルマに怒られないっすかね……」
「ロウの命がかかってるかもしれないんだぜ?」
「それはそうっすけど」
アッシュはヴァンとともに、ロウの部屋前で話し合っていた。
ロウは8等級の挑戦者だ。ジュリーにも余裕があるだろうし、どれだけ豪華な宿に泊まっているのかと思っていたが、意外にも質素なところだった。ヴァン曰く、ロウはあまり物欲がないらしかった。
ヴァンが覚悟を決めたように力強く頷いた。
「わかりました。壊しましょう」
「じゃあそうと決まればさっさとやろうぜ。……せーの――」
2人して足を上げた瞬間、カタッと扉が開けられた。
隙間からロウがぬっと顔を出してくる。
昨日より見るからに顔色が悪い。
「頼むから壊さないでくれ」
「ロウさん……! マジで死んじまったかと思ったじゃないっすかっ」
ヴァンが嬉々とした声をあげると、ロウがすっと視線を落とした。
「試したが無理だった。いざ死のうとすると怖くなって無理だったんだ……ということでヴァン。俺の代わりに俺を――」
「い、いやっすよ! いくら頼まれても絶対にやらないっすからっ」
ヴァンがロウから逃げるよう大げさに距離をとった。
この調子なら当分は放っといても大丈夫そうだ。
「どうしてここに来たかはなんとなく察しがついている。……あがってくれ」
言って、ロウは扉を開け放つと、中へと入っていった。
◆◆◆◆◆
部屋の広さはブランの止まり木と同程度といったところか。ベッドにデスク。ほかには収納用の家具が2つあるだけでなにもない。綺麗に片付いていることもあり、まさに殺風景といった感じだった。
「適当に座ってくれ」
ロウはベッドの上に腰を下ろした。
言われたとおり、アッシュはヴァンとともに床に座り込んだ。
「アッシュ・ブレイブ。昨夜は迷惑をかけた」
「気にしないでくれ。まあ、さすがに一口で倒れるとは思わなかったけどな」
「ここにはわたしの様子を見に来たんだろう? きみも面倒な性格をしているな」
「あんな話を聞いたあとだ。死なれると寝覚めが悪いからな。それで気分はどうだ?」
「あまり良いとは言えないな」
言って、ロウはかすかに苦笑した。
昨日と変わらず、その顔には生気がほとんど感じられない。髪はくしゃくしゃだし、その身を包むローブも皺だらけ。わずかに漂う汗のにおいからも、おそらく昨夜から風呂に入っていないのだろう。
「ロウさん……」
ヴァンが痛ましげな顔でそう漏らした。
「すまないな。今回の件で一番の被害者はきみだろう」
「俺のことはいいんすよ。でも、ボスもやりすぎだと思うんすよね。ずっと一緒にやってきたロウさんを追放なんて……」
「いや、わたしはそれだけのことをした。自覚もある」
ロウは悟りきった顔をしたかと思うや、「ただ、譲れないこともあった」と付け加えた。
「ベイマンズにとってギルドは枷になっている。それさえなければ、あいつはもっと上にいけるはずなんだ……!」
「それについては俺もちょっと思ってたりします」
ヴァンも同意見だったようでそう続いた。
――ギルドが枷になっている。
その意味がわからず、アッシュはひとり首を傾げていると、気づいたヴァンが説明してくれた。
「ボスってメンバーのために色々やってるんすよ。ギルドでレア種を討伐して戦利品を自分の取り分なしで分配したり。詰まってるメンバーにほぼタダに近い額で強化石を売ったり。あとは稼いだジュリーで大人数の飲み代を払ったりなんてこともっすね」
面倒見が良いと言えば聞こえがいいが、少々どころかやり過ぎだ。
「まあ、ボスらしいっちゃらしいんですけど」
そう言ってヴァンは締めくくった。
こちらが思ってる以上に複雑な事情があるらしい。
少なくとも単純に謝って済む話ではなさそうだ。
「やっぱり一度ちゃんと話し合ったほうがいいんじゃないか?」
「だが、話し合ったところで互いに意見が変わるとは思えない」
「つっても長い付き合いなんだろ。このまま終わっていいのか?」
「いいわけがない」
ロウは自身に言い聞かせるように続ける。
「わたしはベイマンズを塔の頂まで連れて行くと決めたんだ……っ」
「だったら、ぶつかるべきだと俺は思うけどな」
ロウの様子を見る限り、軽い気持ちでないことはよくわかる。ならば、諦める選択肢はないはずだ。
「……わかった。一度、ベイマンズと話してみようと思う。だが、いまのわたしに会ってくれるだろうか」
「問題はそこだよな……」
アッシュは腕を組んで考えてみたものの、すぐに良案は浮かんでこなかった。ロウのほうもお手上げのようで部屋に沈黙が満ちる。
そんな中、ヴァンがすっくと立ち上がると、自信満々な顔で胸を叩いた。
「それなんすけど、俺に任せてもらえないっすかね」





