◆第四話『赤い牙のイマ』
塔から帰還した頃には空が赤く染まっていた。
アッシュは宿に一旦荷物を置いたあと、中央広場に戻ってきた。すぐにでも空腹を満たしたかったが、先にロウの様子を見にいこうと思ったのだ。
ただ、ひとつ大きな問題があった。
ロウの宿を知らなかったのだ。
ということで目的地を《レッドファング》の本部に変更。
そこでロウの宿を尋ねることにした。
中央広場から南東に抜けた通りにあるレッドファングの本部。両開きの扉を通って中に入ると、むわっとした空気が漂ってきた。酸っぱい臭いもおまけつきで思わず顔をしかめてしまう。
正面の幅広廊下では3人の男たちが座り込んで酒を飲み交わしていた。廊下を辿った先には開けっ放しになった扉。その奥には広間があるようで大勢の男たちの姿が見えた。そちらでも酒を飲んでいるのか、いまも騒がしい声が漏れている。
以前、ダリオンの一件で訪れたときと変わらない。
相変わらずいつでもお祭り騒ぎのようだ。
できればあの男でぎゅうぎゅう詰めの場所には入りたくない。その一心から、アッシュは手前の廊下に座り込んだ男たちに声をかけることにした。
「悪い。ちょっと訊きたいことあるんだが」
「あぁ? なんだお前?」
ひとりの男がカップに口をつけてぐいと酒を飲むと、「ぷはぁ」と息を吹きかけてきた。
「……酒臭いな」
「そりゃそうだろ。酒飲んでんだからよぉ!」
あひゃひゃ、と下品な笑いを漏らす。
すでにかなり酔っているようだ。
「あー、俺こいつ知ってるぜー! レリックのアッシュ・ブレイブ!」
「あのソレイユのハーレム王か!」
知らないところでおかしな二つ名がつけられていた。
ひとりの男が下卑た笑みを浮かべながら訊いてくる。
「なあ、本当に全員食ったのか?」
「……ちょっと意味がわからないな」
「なぁにとぼけてんだよ。で、誰が一番良かったんだよ?」
「あんだけいんだからよ、俺らにもちょっとは回せよ」
「いーねーそれ! 金なら払うぜ!」
勝手に盛り上がりはじめる男たち。
いくら酔っているとはいえ、看過できない発言ばかりだ。
一発殴って目を覚ましてやろうか。
そんなことを考えたとき――。
「おい、お前ら。ボスが呼んでたぜ」
ふと覚えのある声が聞こえてきた。
いつの間にやら小柄な男――ヴァンが近くに立っていた。酔っ払いの男たちがヴァンの姿を見るなり、ほんの少しだけ気を張る。
「あ、ヴァンさん。ちっす。ボスが呼んでたってなんの用っすか?」
「お前らも付き合えってよ」
「ボスのご指名ならいくしかねぇすね。……行こうぜ、お前ら」
男たちは気だるげに立ち上がると、広間のほうへと入っていった。二人きりになった途端、ヴァンが先ほどまでの威厳を消し、頬をひくつかせる。
「変なことされませんでしたか? 喧嘩売ってきたりとか」
「それはないが、気分が悪くなる発言はされたな」
「やっぱり……」
ヴァンは頭を抱えたあと、後ろを向いて広間のほうを窺った。それから出口を指差しながら言った。
「ちょっと外に出ましょう」
◆◆◆◆◆
ギルドの近くでは都合が悪いというヴァンの希望もあって中央広場に場所を移した。
「すんません。最近、うちのメンバーちょっと荒れてて」
通りの脇に置かれた幾つかの木造ベンチ。
そのうちのひとつに腰を下ろすなり、ヴァンがそう釈明してきた。
「酒癖悪いのはいつもじゃなかったのか」
「いやまあ、それは否定できないっすけど。ロウさんがいなくなって余計にですね」
「……ロウか。実は、そのことで話があって来たんだ」
昨夜のロウとの出来事をありのまま伝えていく。
途中、ヴァネッサと普段からよく飲んでいることについてしつこく追及されたが、なにもやましいことはない。「飲み友だ」とだけ答えてソードブレイカーでいなすように華麗に躱しておいた。
すべてを話し終えたとき、すっかり空は黒く染まっていた。ただ、近くに《スカトリーゴ》があるからか、夜とは思えないほどに明るかった。
「そんなことがあったんすね……」
ヴァンが神妙な面持ちでそう漏らした。
やるせない思いもあるのだろう。こっそりと握られた彼の手には、わずかに力が入っているようにも見えた。
「仲直りってわけにはいかないのか?」
「どうでしょうね。ボスが怒ったところなんて初めて見たもんで。ただ、試しにロウさんの話をちらっと出してみたんすけど、途端に機嫌が悪くなっちまって……」
「なかなか難しそうだな」
思った以上に問題は深刻そうだ。
「でも、こっちとしては仲直りしてもらわないと困るんすよね。なにしろうちはボスと俺、ロウさんの3人チームですから。……今日なんて2人で挑んでひどい目に遭っちまって。早めに撤退してきました」
そのときのことを思い出したのか。
ヴァンが見るからにぐったりとしていた。
「ロウが回復役だよな」
「はい。といってもロウさんの場合、かなり攻撃寄りっすけどね。島じゃ最強の魔術師って言われてるんすよ」
まるで自分のことのようにヴァンが誇らしげに言った。
初対面の印象のままなら最強の称号がついていても疑問はなかったが、昨夜の鬱々とした姿を見てしまったせいで違和感しかない。いまなら呪術師と言われたほうが頷ける。
「それでボスが近接アタッカー兼盾役、俺が純粋な近接アタッカーっすね。ボスが敵の注意を引きつけてる間に俺が後ろをとって、これで一突き!」
言って、ヴァンは腰に刺していた短剣を抜き、前に突き出した。それは刃が渦を巻くような形状の刺突用短剣だった。紫色の強化石――毒の魔石が8個も装着されている。
「ナイトウォーカーと相性が良さそうだな」
「そのために買ったようなもんすから」
「盗みのためじゃなくてか?」
「そ、それは言わないでくれると……」
ばつが悪そうな顔をするヴァンに、アッシュは細めた目を向ける。
「またなにか盗もうとしてたりしないよな」
「してないっすよ。もうそういうのからは足洗ったんで」
「足を洗った?」
「あ~……昔、俺盗賊やってたんですよ」
小柄な見た目なうえ、若干だが小悪党っぽい印象もあったのでとくに驚きはなかった。それにスティレットを盗みに部屋にしのびこんできたときの〝動き〟もある。
「たしかにあれは素人の足運びじゃなかったな」
「バレちまいましたけどね」
ヴァンは苦笑いしたかと思えば、はっとなった。
「あ、でも盗んだのは金持ちだけでしたから。そこは安心してください」
「それでも盗みは盗みだ」
「耳が痛ぇ~……」
説教をするつもりはないので、アッシュは早々に話を切り上げて立ち上がった。
「さてと、そろそろ行くか」
「ロウさんの宿でしたよね」
「ああ。場所を教えてくれるか?」
「それなんすけど……」
ヴァンも立ち上がると、真剣な顔を向けてきた。
「俺も案内がてら一緒に行ってもいいっすか? ボスの手前、ちょっと行きにくかったんすけど、やっぱ気になるんで」
同じギルドメンバーなうえにチームでもある仲だ。
部外者のこちらよりもよっぽど関わる理由がある。
「ああ、もちろん構わないぜ。むしろ来てくれたほうがありがたい」
なにしろあの鬱屈としたロウをひとりで相手にするのは骨が折れる。最悪の場合、ヴァンになすりつけることもできるし、こちらとしては心強いことこのうえない。
「あざっす。そんじゃ行きますか!」





