◆第二話『死を届ける子供達』
5等級階層に到達してから6日後のこと。
ブランの止まり木で夕食を終えたあと、アッシュはいつものごとく中央広場へと繰り出していた。
目的地は南西にある酒場だ。
そこでヴァネッサと飲む約束をしている。
彼女との飲みは4日に1度ぐらいの頻度だ。
おかげで初対面のときとは比べ物にならないほど打ち解けている。いまではレオと並ぶ親しい友人だ。
ふと5人組の挑戦者がそばを通りすぎていった。
塔から帰還したばかりといった様子で体のあちこちが汚れている。装備を見る限り、彼らの到達階層は4等級といったところか。
4等級以下の挑戦者が全体の約半数という。
つまり5等級階層に到達したいま、上位五割の挑戦者になったわけだ。
言い換えればまだ上には約半数の挑戦者がいるということだが、挑戦者の中で一番になることが目的ではないのでとくに焦る気持ちはなかった。
目指すは5つの塔の制覇。
そして、最後に待ち受ける神との勝負だ。
まだまだ道のりは長いが、着実に進んでいる。
いつか必ず辿りついてみせる。
そんな決意をひとり抱きながら、南西通りへの近道――中央の噴水広場を通り抜けようとしたときだった。
「はぁ~~……」
右手前方から大きなため息が聞こえてきた。
噴水の縁に座っているひとりの男が漏らしたものだ。
見覚えのある顔だな、と思ったら少し前にヴァンやベイマンズとともにいた《レッドファング》のメンバーだった。
たしか名前はロウと言ったか。
あのときは、いかにも頭の切れるといった凛々しい姿だったが、いまは見る影もなかった。視点の定まっていない目に寂しげに下がった肩。自殺しようかしまいか悩んでいるのでは、と思うぐらい鬱々とした空気を纏っている。
見るからに落ち込んでいるようだが……ほんの少し話した程度の仲だ。励ますような仲でもない。そう思いながら、アッシュは彼の前を通り過ぎる。
「はぁ~~~~~~……っ」
さらに大きなため息が後ろから聞こえてきた。
アッシュは足が凄まじく重くなったような感覚に見舞われた。もちろん《ゴーストハンド》をかけられたわけではない。
昔から父親に「お前は色々と首を突っ込み過ぎだ」と注意されたことがある。とくに善人であるとは思っていないし、気取っているわけでもない。だが……。
その場で足を止めてから、数拍。
アッシュは心中で舌打ちしつつ振り返った。
いまも噴水の縁に座ったままでいるロウへと声をかける。
「どうしたんだ。そんなため息ついて」
ロウは気だるげに顔をあげると、虚ろな目を向けてきた。
「きみは……アッシュ・ブレイブか」
「覚えてたか」
「当然だ。わたしは馬鹿ではない」
自嘲するようにそう零したかと思えば、ぐわっと目を見開いた。
「だが、親友を言葉で傷つけ、さらにはもっとも嫌うことをしてしまった。大馬鹿野郎だ……っ!」
両手で頭を抱えながら体を震わしはじめる。泰然とした人間かと思っていたが、どうやら精神面はかなり弱いようだ。
「もう死ぬしかない」
「は? 死ぬってなに言って……」
「わたしが生きる理由としてきたものがなくなったのだ。ならば死ぬしかないだろう……それを貸してくれ」
ロウがこちらの腰辺りに向かって手を伸ばしてきた。腰裏に刺した2本の短剣のどちらかを抜き取ろうとしているようだ。アッシュはロウの手を掴んで腰を引いた。
「待て待て待て!」
「は、離してくれっ」
「離してくれはこっちのセリフだ! まずは落ちつけっ! な?」
「無理だ、わたしは死ぬ! 死ぬんだ……!」
ロウが大声を出すものだから周囲に人が集まりだしていた。遠巻きにこちらを指差しながら、なにかを喋っている。現状のおかしな体勢のせいか、誤解されている気がしてならない。
アッシュは仕方なくロウの腕を取って組み伏した。あっさりと押さえ込めたのは彼が魔術師型だったからか。あるいは正気ではなかったからか。いずれにせよ静かになってくれたので話しやすくなった。
「う、うぅ」と呻いているのか泣いているのかわからない声を漏らすロウへと、アッシュはなるべく優しい口調で声をかけた。
「なにがあったかは知らないが、話ぐらいなら聞くぜ」
◆◆◆◆◆
周囲が男だらけとあって、その酒場でヴァネッサを見つけるのはたやすかった。とはいえ、もともと彼女は目を引くほどの美貌の持ち主だ。たとえ女性だらけであっても彼女を見つけるのは簡単だったろう。
彼女は柔らかな笑みを浮かべながらカップに口をつけていた。なにがあったかは知らないが、かなり上機嫌なようだ。
「悪い、ヴァネッサ。色々あって遅くなった」
「構わないよ。こうやって人を待ちながら飲むってのも悪くないからね。……って」
ヴァネッサをこちらに顔を向けるなり、顔を険しくした。その視線の先には、ロウが立っている。
「どうしてベイマンズの右腕がこんなところにいるんだい?」
さすがにロウのことは知っているようだ。
「あ~……実はさっき広場で会ってな。なんか放っといたら死にそうな感じだから連れてきた」
「連れてきたって……そんな動物みたいに」
「まあ、そんなわけだから今日はロウも一緒にいいか?」
器の大きなヴァネッサのことだ。
きっと認めてくれるだろうという甘い考えがあってのことだった。
「断ったってそのつもりなんだろう?」
「今日は俺が出す」
「当然だ」
ヴァネッサはそう答えると、つんとそっぽを向いてしまった。いまや彼女とは浅くない付き合いだが、こんな反応をされるのは初めてだ。
ソレイユとレッドファングは仲が良くないようだし、当然といえば当然か。そのあたりの配慮が足りていなかったのはこちらの落ち度だ。今度、なにか礼をしたほうが良いだろう。
そんなことを考えつつ、いまだに生気のないロウを席に座らせた。エールを注文して、各々が席についたところでアッシュは話を切り出す。
「それで、なにがあったか聞かせてくれるか?」
ロウは俯いたまましばらくなにも答えなかった。
ただただ周囲の騒がしい声だけが耳に入ってくる。
アッシュはヴァネッサとともにエールを飲みつつのんびり待っていると、ついにロウがぼそりと言葉をこぼした。
「……レッドファングを追放されたんだ」
あまりに予想外のことにアッシュは思わず目を瞬かせてしまった。
「追放って……幹部だったんじゃないのか?」
「それどころかベイマンズと同じチームだ。あたしが島に来た頃には2人で組んでたね」
ヴァネッサが島に来たのは10年ほど前と聞いている。それよりも前となればかなり長く組んでいたことになる。
ロウは喉から押し出すように次の言葉を口にする。
「メンバーを傷つけたんだ」
「傷つけたって……ケンカってわけじゃないんだろ」
「そいつは……そいつらは陰でベイマンズを貶していた。いや、それだけじゃない。完全に利用していたんだ!」
熱が入ってしまったか、ロウは急に声を荒げたが、周囲の逞しい男たちの笑い声によってかき消されて騒ぎにはならなかった。どうやら酒場を選んで正解だったようだ。
ロウは軽く深呼吸をしたあと、続きを語る。
「だから、わたしはそいつらを処理しようとした。……だが、その場面を運悪くベイマンズに見られて……」
それで制裁されたというわけか。
しかし幾つか疑問が残る。
「事情は話したんだろ?」
「もちろんだ」
「それで付き合いの長いあんたよりも、そのメンバーを選ぶってのは理解できないな」
自分がベイマンズの立場ならロウを信じる、とアッシュは思った。
「……それは仕方のないことなんだ」
ロウはかすかに顔をあげると、まるで呪われた言葉でも吐くかのように質問をしてきた。
「きみたちは〝死を届ける子供達〟を知っているか?」
ヴァネッサは知らないようで、こちらに視線を向けてきた。アッシュは、その話については世界中を旅していたときに聞いたので知っていた。
「北方大陸にあるダグライ帝国が近隣国ガソンの子供を大量に誘拐。自国の戦士として育成するって計画があってな」
「最初からクズだとわかる国だね」
ヴァネッサが吐き捨てるように言うと、エールをぐいと飲んだ。
「ああ。クズだ。ただ、その計画は途中で阻まれたんだ」
「そのガソンって国が攻勢に出たのかい?」
「いや、その囚われていた子供達が反旗を翻したんだ。平均年齢は10歳ぐらいだったって聞いてる」
よほど予想外だったのか。ヴァネッサが目を見開いたまま、カップを持ち上げようとした手を止めた。無理もない。子供達が立ち上がると誰が考えるだろうか。
「育成施設はかなりの数があって帝国領内に分散して置かれていたらしい。それらを子供達が解放して回った。そこを守っていた帝国軍兵士を殺してな。〝死を届ける子供達〟ってのはそれが由来らしい」
世界にはこうした悲劇が起こっている。
なんとも過酷な話だが、これが現実だ。
「子供達にも少なくない死傷者は出ただろうけど……悪くはない結果か」
「……それで終わりならな。保護された子供達は殺されたんだ」
ヴァネッサが途端に目を細めた。
「その帝国が追っ手を出したってことかい?」
「いや、ちゃんと子供達は自国に逃げ延びた。ただ……人を殺した者は悪魔となる。そのガソンの言い伝えに阻まれたんだ」
つまりは子供達は帰還したところで自国の大人たちに悪魔として扱われ、殺されたのだ。
ヴァネッサは憤りを隠し切れないようでカップの取ってを壊す勢いで握っていた。初めて話を聞いたときは同じような反応をしたのをよく覚えている。
「でも、どうしていまその話を?」
関係のない話ではないのだろう。
ロウがゆっくりと間を置いてから口を開く。
「ベイマンズがその〝死を届ける子供達〟のリーダーであり、唯一の生き残りだったんだ……2人でチームを組んで間もない頃、聞かされた話だ」
全員が殺されたと聞いていたが、まさか生き残りがいたとは。しかし、ジュラル島で8等級階層に到達できるほど挑戦者だ。並の人間相手なら充分に生き残れるだろう。
「仲間を傷つけられることをなによりも嫌うのもそれが理由だ」
そして、とロウは話を継ぐ。
「ベイマンズはあのときの再現をしようとしている。行き詰まっている者に手を差し出し、そして全員で協力して頂にいこうと」
「そんなもん無理に決まってるだろ」
アッシュは即座にそう発した。
いくら装備が良くても実力の伴わない者を連れていけば死ぬだけだ。最悪の場合、足手まといにすらなりうる。死ぬ覚悟でというなら話はべつかもしれないが……ベイマンズにそのつもりはないようだし、まず無理な話だろう。
「わたしもそう思う。だが、ベイマンズは孤独だったわたしに声をかけてくれた恩人だ。可能な限り彼の望みを叶えてやりたい。そう思っていままで尽力してきた……」
「その結果が追放ってわけか」
ヴァネッサがぽつりと言った。
瞬間、ロウが放心したように目が虚ろになり、俯いてしまった。
「おい、ヴァネッサ」
「わ、悪かったね」
喋っているうちに段々と気力が戻っていたようだったが、すべて台無しだ。
「まあ、今日は俺が奢るからさ。飲んで色々、吐き出しちまえよ」
「……酒か」
ロウはカップに入ったエールをじっと見つめる。
「普段は飲まないようにしているが……今日ぐらいはいいかもしれないな」
「この島のは格別だぜ」
アッシュはそれを示すようにぐいとあおった。
相変わらずの美味さと爽快感に思わず「くぅっ」と漏らしてしまう。
こちらの飲みっぷりに感化されたか。ロウがようやくカップに口をつけ、ごくんと良い音を鳴らして喉をうねらせた。カップから口を離したあと、憑き物がとれたように柔らかな笑みを浮かべる。
「なるほどな、悪くはない味だ」
「だろ。――って」
ロウが笑顔のまま前に倒れていき、ガコンと机にぶつかった。どうやら酔ってしまったようだ。そのまま静かな寝息をたてて動かなくなった。
「……マジかよ。一口か」
「飲まないんじゃなくて、飲めないってことだったみたいだねぇ」
ヴァネッサが呑気なことを言いながら、エールを注文しに席を立った。
思い悩んでいたから酒を飲んで忘れられればと思ったのだが、どうやら余計なことをしてしまったようだ。とはいえ、今日の彼は悩まずにぐっすり寝られるに違いない。
そう思いながら、アッシュはエールを一気に飲み干した。





