◆第一話『交わる妄執』
レッドファングの本部はほかの3大ギルドよりも粗野な外見だが、その分大きかった。石造りの3階建てで寝泊りできる部屋は10。そのうえ1階には30人が集まって飲み食いできる空間まであった。
内装には洒落た装飾はいっさいない。
代わりに空の酒樽やゴミクズなどが散乱している。
本部で飲み会が開かれれば夜明けにはゲロのおまけつきだ。
そんな最悪な衛生環境の中、唯一綺麗に保たれている場所――執務室にロウはいた。いまは執務机に向かって、昨日加入したメンバーの情報を紙に記載しているところだ。
「もう少しかかりそうか?」
そう訊いてきたのはレッドファングのマスターであるベイマンズだ。彼はいま、部屋の中央に置かれたソファでくつろいでいる。
これから狩りに行く予定だが、彼の準備は万端といった様子だ。深紅を基調に鱗柄を思わせるよう黒で彩色された派手な防具――8等級の《ドラゴン》シリーズに身を包んでいる。
「……ああ。昨日、誰かが新しいメンバーを加入させたからな」
「お手柄だろ」
嫌味を言ったつもりだが、ベイマンズは得意気に返してきた。
ロウは思わずため息をついてしまう。
「ベイマンズ。これで団員が何人になったか把握しているのか?」
「あ~……103人だったか?」
「違う。106人だ」
ロウは苛立ちを吐き出すように、まとめた分厚い資料でドンと机を叩いた。だが、ベイマンズはやはり気にすることなく笑い飛ばす。
「誤差じゃねぇか。誤差」
「誤差なものか。3人も違うんだぞ」
ベイマンズはギルドメンバーのことを家族というが、知らない間に家族が3人も増えていたら卒倒ものだ。理解できない。
「何度も言うが、このままでは統率が取れなくなるぞ」
「それでも数は戦力だ。仲間が増えれば必ず報われる」
ベイマンズの過去を知る身として彼の行為に理解はできるが、納得はできなかった。掌握できない人員を増やすことほど危険なことはない、と身をもって知っているからだ。
「ベイマンズ、もう馬鹿な真似はよせ。ここで繰り返したって虚しくなるだけだぞ」
「……馬鹿なことだと? おい、いま馬鹿なことっつったな!?」
ベイマンズがいきなり声を荒げ、その顔を怒りで歪めた。
ロウは言葉選びを誤ったことを悔いた。だが、最近のベイマンズの身勝手な振る舞いを思い返すと、感情を抑えるのは難しかった。
「ああ、そうだ。いつまでも過去に囚われているのは馬鹿だと言ってるんだ!」
互いに立ち上がり、睨み合う。
一触即発といった時間が流れる中、扉がきぃと音を鳴らして開けられた。
「ボス、ロウさん。準備できやしたか……って、なんかあったんすか?」
扉から顔を覗かせてきたのはヴァンだ。
部屋に満ちた剣呑な空気にあてられてか、彼は気まずそうな顔をした。
関係のないヴァンにまで気を遣わせるわけにはいかない。ロウはベイマンズと一時休戦を目で示し合わせた。
「おい、ロウ。話はあとだ」
「ああ……すまない、ヴァン。すぐに用意する」
◆◆◆◆◆
ロウは通りに出たところでいつもより手が寂しく感じた。普段の自身の姿を思い出してみると、ロッドを持っていないことに気づいた。
忘れ物なんて滅多にないことだ。
おそらくベイマンズと口論になったことで冷静ではなかったのだろう。
「すまない、忘れ物だ」
そう言い残して、ロウは本部に戻った。
階段を上がって2階の執務室へと向かう。
と、なにやら違和感を覚えた。
誰も使っていないはずの執務室から人の気配があったのだ。
こっそりと近づいて扉に耳を当ててみると、中から幾つかの声が聞こえてきた。
「ベイマンズの奴、脳みそまで筋肉なんだし仕方ねぇだろ」
「俺らのこと家族だって。ふっ、パパーってか?」
「ギルドでレア種を狩ったときも、ほとんど分け前くれるしな。パパ最高!」
「楽して金たまるし、ほんとここ入って良かったわー」
聞き覚えのある声。
すべて《レッドファング》のメンバーのものだ。
「ま、これからも楽して稼がせてもらおうぜ」
「だなっ」
下品な哄笑が聞こえてきた。
組織である以上、こういったことは起こりうる。
だが、仲間であると思っていたものにベイマンズが裏切られたのだ。
馬鹿にされているのだ。
許せるはずがなかった。
ロウは耐え切れずに扉を開けて中へと入った。
こちらを見るなり、中にいた5人全員が顔を引きつらせる。
「ロ、ロウさん…………狩りに行ったんじゃ……」
「忘れ物をしてな。取りに戻ってきたんだ」
ロウは部屋の隅に置いていたロッドを取る最中、横目で執務机を見やる。
さらさらな長髪を流した挑戦者が執務机に足を乗せていた。彼の名はジグ。ギルド内では5本の指に入るほどの実力者だ。荒くれ者ばかりのレッドファング内において、多くのメンバーに慕われている。
彼は自身の体勢をようやく思い出したか、慌てて足を下げて立ち上がった。
「こ、これはロウさんの気分を味わいたいなって。ほら、俺、ロウさんに憧れてて――」
「少し黙ってくれるか」
ロウは静かに告げたのち、冷めた目で眼前の者たちを威嚇する。
「……話は聞かせてもらった。貴様ら、ベイマンズに散々世話になっておいて随分な言いようだな」
「や、やだな。あれは冗談っつーか」
「とぼけるな」
ロウはほぼ無造作で《フロストアロー》を放ち、発言者の肩に小さな氷刃を突き刺した。発言者が「ぐぁっ」呻き声を漏らし、その場で膝をつく。
いまの魔法は塔の魔石を使っていない。
自身の力で習得した魔法だ。
「貴様らも知っているとおり、あいつは馬鹿だが優しい奴だ。仲間を処罰するなんてことはできないだろう。だが、だからこそ、私がやる必要がある」
慣れたくはなかったが、人殺しには慣れている。
過去、ただ淡々と作業のように数えきれないほどの人間を殺してきた。
「く、くそっ。こいつマジで俺らを殺る気だ!」
ジグたちは慌てて得物を取る。
だが、こちらに気圧されてか、完全に及び腰だった。
無理もない。
彼らは6等級。
対してこちらは8等級だ。
彼らの技量に鑑みても、ロウは魔法を一発放つだけで圧殺できる自信があった。
「やけに遅いから戻ってきてみりゃ……おい、ロウ。これはどういうことだ」
ふと聞こえた声。
扉を開けて入ってきたのはベイマンズだった。
予想外の人物の登場にロウは思わず血の気が引いてしまう。
「ベイマンズさん! 助けてくださいっ!」
誰よりも早く動き出したのはジグだった。
彼はベイマンズにしがみつき、死に物狂いで大げさな声をあげる。
「と、突然ロウさんが俺たちを攻撃してきて! 俺たちが気に入らないからって……!」
「違う! そいつらがお前のことを馬鹿にして――」
「んなこたぁ、どうでもいいんだよ」
ベイマンズの視線は部屋奥でくずおれた者に向いていた。先ほど《フロストアロー》で傷つけた者だ。ベイマンズはジグを押しのけると、こちらに面と向かってくる。
「仲間を傷つけるってのは一番やっちゃいけねぇことだろうが」
「こいつらが仲間だと? 冗談じゃない! おい、ベイマンズ。こんなクズどもを庇うつもりか!?」
「……ロウ、もういい」
続けて放たれたベイマンズの言葉は、これまで聞いたことがないほど冷めていた。
「お前をうちのギルドから追放する」