◆第九話『試練の階』
1階の多くは幾つかの広間を細めの通路で結ぶという単純な造りとなっていた。
ちなみに、これまで罠はいっさい見ていない。
単純に作動させていない可能性もあるが、おそらく罠より1体でも多くの魔物を配置するという意図なのだろう。そう思わざるを得ないほどゴブリン集団がひっきりなしに襲ってきていた。
それでもゴブリンはゴブリン。
面倒ではあるものの苦戦することなく奥へと進み、ついに上へと続く階段のある大広間に辿りついた。
角から顔を出し、部屋の様子をこっそりと窺う。
壁際には、ずらりと並んだ戦士の彫像。
それらに見つめられる先、中央ではゴブリン集団が待ち構えていた。
剣が8に弓が2。
加えて、小斧を持った兜付きのゴブリンがいる。
初めて見るタイプだ。
風格からして、おそらくあれがリーダーだろう。
弓からか、あるいは兜付きからか。
定石では弓からだが……。
最初にリーダーを殺れるなら殺るべきだ。
近くに落ちていた小石を拾い、ゴブリンの頭上を越すように放り投げた。
遠くの壁に当たった小石がコツンと音を鳴らす。
一斉にゴブリンたちが音のほうを向いた、瞬間――。
アッシュは駆け出した。
即座に兜付きとの間合いを詰める。
音か、それとも殺気か。
こちらに気づいた兜付きが振り向いた。
すかさず小斧を振り下ろしてくる。
さすがリーダー格といったところか。
反応が速い。
だが問題はない。
アッシュは兜付きの脇を通り抜けると、全体重をかける形でスティレットを緑の背中に刺しこんだ。兜付きがくずおれるよりも早く、次の標的アーチャーへと向かう。
いまにも矢を射ようとしていた1体を排除。
その間にもう1体から矢を射られたが、避けながら接近。
脳天を貫いて2体目も排除した。
残るはファイターのみ。
と、意気盛んに振り向いたところ、緑の小人たちは背中を向けて広間の外へと一目散に走っていた。
「なんだ、逃げるのか」
リーダーの兜付きを倒したからだろうか。
肩透かしを食らった気分だが、無駄な体力を使わずに済んだのは大きい。
ガマルが宝石を食べ終えるのを待ったあと、アッシュは大広間から続く階段を昇りはじめた。塔の外周部に当たるからか、螺旋を描くように曲がっている。それに規模が規模なだけにやたらと長い。
「これが管理人の言ってた水晶か」
階段を上り終えた場所に腰高の台に載った水晶を見つけた。
ちょうど人の頭ぐらいの大きさだ。
水晶に掌を当ててみたところ、一瞬だけ仄かに赤い光を発した。
掌を確認してみると、同じく赤い光で「2」と描かれていたが、すぐにすぅっと音もなく色をなくした。
おそらくリフトゲートを使用するとき以外は消える仕組みなのだろう。
とにもかくにも、これで1階は制覇ということだ。
早速2階へ挑戦――と行きたいところだが、まだ昇りは続いていた。
階段ではなく、今度は緩やかな坂だ。柱廊となっており、内側の物々しい赤い壁とは打って変わって晴れやかな空が外側には広がっている。
試しに縁に立って下を覗いてみると、すっかり遠退いた地上の景色が映り込んだ。視界の端で管理人や挑戦者たちと思しき姿を見つけたが、顔の表情はほとんどわからない。
尋常ではない高さだ。
かなり階段を昇らされたとは思ったが、まさか2階時点でこれほどとは。
100階となればいったいどんな高さなのだろうか。
それこそ世界すべてを見渡せるかもしれない。
……楽しみだ。
ふいに柱廊の先から遠吠えが聞こえてきた。
次いで跳ねるような足音。
明らかにゴブリンのものではない。
壁から四足の獣が飛び出してきた。
その姿は狼だが、全長は人間と同等とかなり大きい。
細く伸びた口からは獰猛な牙が溢れるように伸びている。
「ダイアウルフ……!」
四足の獣――ダイアウルフは止まらずに飛びかかってきた。
アッシュはすぐさま左方へと転がるようにして逃れる。
ダイアウルフの牙は並の鎧なら噛み砕いてしまうほどの破壊力を持っている。
だが、通常の狼ほど俊敏ではないので攻撃を避けるのはたやすい。
このまま距離を詰めて一気に仕留めるッ!
そう思いながらアッシュは振り返ったとき、紅く煌いたダイアウルフの目と視線が交差した。刃物のような牙を従えた敵の口が大きく開かれ、そこから火球が飛び出てくる。
「嘘だろッ!」
アッシュはまたも床を転がり、なんとか回避に成功した。
直後、先ほどまで立っていた場所に火球が衝突し、大きな焦げ跡ができあがる。
その様を横目にしながら体勢を立て直した。
ダイアウルフとは試練の塔で何度も戦ったが、火を吹く個体は一度も見たことがない。
先のゴブリンの火矢は申し訳程度だったが、ダイアウルフまで火を使うとなると、赤の塔はその色が示す通り火属性がテーマで間違いないだろう。
ダイアウルフが地を蹴り、再び飛びかかってくる。
こちらから接近しにくいなら、敵が近づいてきたところを狙うしかない。
アッシュはソードブレイカーを左手で抜くと、櫛部分ではなく刃部分を向ける形で逆手に持った。間近に迫ったダイアウルフの右側に回り込み、その大口へと刃を添える。腕は振り抜かず、体全体で押し込むように前へと駆ける。
豪快に肉を裂く感触。刀身の長さの関係で上下真っ二つとはいかなかったが、致命傷を与えるには充分だったようだ。振り向いたとき、ダイアウルフは地に横たわっていた。
やがてその姿は霧のように薄れ、消えていく。
床に落ちた2つの青い宝石を見つめながら、アッシュは大きく息を吐いた。
試練の塔では、ダイアウルフは中層から上層にかけて出現することが多かった。
だが、ここでは2階からの登場。
しかも火球を吐くオマケつきときた。
さすがはジュラル島の塔といったところか。
それでもまだ余裕はある。
過剰な数で襲われない限り、この先も問題なく昇れるはずだ。
ふと、ゆっくりとした足音とともに3体のダイアウルフが奥から姿を現した。
さらにその後ろからは5体のゴブリン集団。
アッシュは一瞬目を瞬かせたが、にやりと口元を緩める。
「ははっ……いいねえ。楽しくなってきたじゃねぇか」
◆◆◆◆◆
アッシュは水晶に手をかざして踏破印を刻むと、近くの壁に背中を預けた。
そのままずるずると座り込み、手足から力を抜く。
「さすがにきっついな……」
塔に入ってから約半日。
すでに疲労が限界近くまで溜まっていた。
原因は塔の構造だ。
1階では1本しかなかった道が、階が上がるにつれて分岐が増えていった。
合流すればいいほうで行き止まりはざら。
さらにそこで魔物が待ち構えていたりとなかなかに酷い目にあった。
もちろん道の複雑化だけでなく、魔物の厄介さも上がっていった。
中でも面倒だったのはダイアウルフに乗ったゴブリン――騎乗型だ。
攻撃の手数が増えたことで隙が減り、倒すまで時間をかけさせられた。
しかも初めの頃は1組しか出現しなかったが、進むにつれて数は増え、ついにはゴブリンがダイアウルフに騎乗するのが常となっていた。
そんな厳しい道中だったが、ここまでなんとか突破できた。
掌を見ると、いまにも消えようとしている「10」の踏破印が映った。
もっと早くに辿りつく予定だったが……。
「さすがに甘くないか」
アッシュはのろりと立ち上がり、10階へと体の正面を向ける。
この階は特殊だから辿りついたら説明すると塔の管理人から言われていた。
たしかにこれまでの階とは造りからして違う。
細い道はなく、あるのはだだっ広い空間のみ。
壁は紅と金で美しく彩られ、ここが魔物の巣窟であることを忘れてしまうほど荘厳な空気をかもし出している。
なにより次に続く門がない。
魔物もいないし、美術的な価値しか見出せない場所だ。
本当にこんな場所に試練の主がいるのか。
アッシュは疑念を抱きながら、真正面の壁までやってきた。
近くで確認しても隠し扉の類はないように思える。
やはりここは一旦帰還して、塔の管理人から説明を受けるのがよさそうだ。
疲労も溜まっていたし、ちょうどいいだろう。
そう思いながら踵を返したとき、青く煌いた足場が六芒星を描いた。
「ん……?」
気づいたときには視界が黒で染まっていた。
先ほどとはまったく別の空気だ。
おそらく転移させられたのだろう。
遠くのほうで大きな炎が灯った。
人一人ほどの高さを持つゴブレット型の盃の中、まるで風に吹かれたように激しく揺らめいている。
炎によってあらわになった空間は奥に長い箱型だった。
とはいえ横幅も相当なもので、ひとっ飛びで行き来はとうていできそうにない。
左右の壁には最奥の盃と同じものが4つ飾られている。
振り返ってみると、手前の壁にもあるので最奥とあわせて6つだ。
手前のほうが薄暗いのですべての盃に火を灯して欲しいところだが、残念ながらその気配はない。
ふいに奥の角で大きな影が揺らめいた。
2つの赤い点を伴ったそれは、ゆらりと光のもとへと歩み出てくる。
ダイアウルフだ。
それも恐ろしく巨大な――。
あれに比べれば通常のダイアウルフなんて赤子も同然だ。
さしずめダイアウルフのキングといったところか。
「……お前が試練の主か?」
そうだと言わんばかりに咆哮が返ってくる。
「みたいだな」
風格だけではない。
びりびりと伝わってくる威圧は、これまでの魔物とは一線を画している。
アッシュはスティレットを抜いた。
体勢を低くしながら、主を見据える。
帰る前に顔を拝んでみたいと思っていたところだ。
ちょうどいい。
主が動き出した。
一歩が大きい分、移動距離は長い。
だが、通常のダイアウルフと相対的な速度は同じだ。
――攻撃を食らいさえしなければ、このスティレットで仕留められる。
主が大口が開けながら飛びかかってくる。
アッシュは限界までその場に留まり、一気に床を蹴って左方へと躱した。
竜の爪と見紛うほど大きな牙が先ほどまで立っていた床を抉る。
なんて破壊力だ。
もし噛まれたら確実に命は潰えるだろう。
肝が冷える感覚に高揚感を覚えながら、アッシュは今一度地面を強く蹴った。
柄尻に左掌を添えながら、スティレットを主の横腹へと見舞う。
ガンッと鈍い音が鳴った。
明らかに肉を貫いた感触ではない。
着地の硬直から解き放たれた主が振り向きざまに左前足を振るってくる。
アッシュは即座に後退し、大袈裟に主から距離を取った。
右手に持った妙に軽いソレを見ながら、片頬を引きつらせる。
「冗談だろ……」
主武器――スティレットが折れた。