◆第十四話『追われる側へと』
ある用件のため、アッシュは仲間とともに《レッドファング》本部を訪れていた。現在はヴァンに案内された応接室で待機中だ。見た目こそ小奇麗にしてあるが、かすかに酒の臭いが残っているのは印象どおりといったところか。
廊下から聞こえる足音は多い。
夕刻とあって帰還した挑戦者が多いのだろう。
「付き合ってもらって悪いな、ウル」
「大丈夫ですよ。今日のお仕事はもうありませんから」
ウルが両手をぐっと握りながら笑顔で答えた。
なぜ彼女がいるのかは、〝ある用件〟のためだ。
「……やっぱりいまも手伝いばかりなのか?」
「そんなことないですよ。あれから3人も案内しましたし」
「気づかないうちに意外と来てるんだな」
はいっ、とウルは元気よく頷いた。
かと思うや、眉尻を下げて悲しそうな顔をする。
「でも残念なことにうち2人はお亡くなりになってしまいましたが……」
「……そうなのか。わかってちゃいたけど、あっけないもんだな」
どうやら思っている以上に低層で詰まる挑戦者は多いようだ。
「半分以上はひとりで無茶をして、そのままってパターンが多いって聞くしね」
ルナが苦笑しながら言った。
アッシュは自然とクララのほうをじっと見つめてしまう。
「え、なに……?」
「いや、よく生き残ってたなって」
「あたしも必死に頑張ってたんだよ」
「《青塔の地縛霊》って呼ばれるぐらいにな」
「もう、それ忘れてって言ったじゃんーっ」
クララが頬を膨らませて抗議してきた、そのとき――。
「アッシュ、来たみたいだよ」
ルナが廊下のほうを見ながら言った。
間もなく扉が開けられ、ヴァンが姿をあらわした。彼に続いて、ダリオンとそのチームメンバーが入ってくる。ダリオンがこちらを見るなり顔を引き締めると、ヴァンのほうを向いた。
「……ヴァンさん、会わせたい奴ってこいつらのことですか」
「ああ」
「どういうことですか?」
ダリオンからそう問われ、ヴァンが返答に困っていた。
アッシュは割り込む形で本題に入る。
「お前から挑まれてた勝負の話をしにきた」
「てことは、やっと受ける気になったのか?」
「いや、もう勝負をする意味がないってことを伝えにきた」
「……どういうことだ?」
ダリオンの目つきが険しくなった。
「もともと受けるつもりはなかったけど、勝手に続けられてたら困るからな。一応報告しておく」
アッシュは不敵に笑って続きを口にした。
「赤、青、緑の40階、全部突破したぜ」
「なっ」
ダリオンが目を見開いた。
そばにいた彼のメンバーも動揺を隠し切れないといった様子だ。
「ありえねえ……お前ら、まだ4等級に入ってからほとんど経ってないだろっ!」
信じられないとばかりに首を振るダリオン。
こちらが嘘をついていると思われる可能性がある。
だからこそ、ミルマであるウルを連れてきたのだ。
「ウル、頼む」
アッシュはウルに手を差し出した。「はいっ」とウルが自身の手をかざして踏破印を確認しはじめる。赤、青、緑、白、黒の順で現れた数字を確認したのち、ウルは手を離した。
「アッシュさんが言ったことは本当であると、このウルが保証します」
神の使いであるミルマの証明は絶対だ。
ダリオンは放心したように固まってしまった。
「……レリックだ。やっぱりレリックだ! そうじゃなきゃこんな簡単に抜かされるなんてありえねぇ!」
そう声を荒げたのはダリオンのそばにいた小柄な青年だ。
「あんなずるい武器を持ってりゃ、誰だって簡単に突破できるだろ! そうだよ、ずるしてんじゃねぇよ!」
あまりに取り乱していたからか、ダリオンが止めに入ろうとした、そのとき。ヴァンが静かな声で口を挟んだ。
「ギィル、それは違う」
「なんすか、ヴァンさんはそいつらの肩を持つっていうんすか!?」
「そうじゃねえ。この人はレリックを使ってないんだよ」
「……は? なにを言って……」
ギィルと呼ばれた青年が混乱する中、ヴァンが懐から布の包みを取り出した。それを開けると、中からスティレット状のレリックが姿をあらわした。
「その人たちが40階に挑戦する2日前に俺が預かってたんだ」
「う、嘘だ……そんなわけ……」
ギィルが絶望したように青ざめると、震えた声で訊いてくる。
「赤の40階、どうやって倒したんだよ。そんな強化も不完全な装備で……いったいどうやって……」
「どうやってって言われてもな。まあ、普通にだ」
特別なことはしていない。最後の大火球の出現場所が変化したことには少し肝を冷やしたが、あれも敵の手と目の動きを見ていれば予想するのはそう難しくなかった。
ギィルがよろめきながら、その場にすとんと尻餅をついた。こちらを見上げながら、ただ呆然としている。
「……負けたら島を出る。それが約束だ」
ダリオンが覚悟を決めたような顔で言った。
「ちょ、ちょっとダリオンさんっ。なに言ってんすか!」
「あんなの口約束だろっ」
「そうだよ、守る必要なんてないよ!」
必死になって説得をはじめる彼のメンバーに、アッシュは加勢する。
「そいつらの言うとおり守る必要はない。第一、俺は勝負を受けたつもりはないしな」
「それでも男が口にした言葉だ」
ダリオンは頑として考えを変えるつもりはないらしい。
本当に不器用な男だ。
ただ、そういう人間は嫌いではなかった。
「ヴァン。先に謝っとく」
「謝るってなにを……」
困惑するヴァンをよそに、アッシュは話しはじめる。
「聞いたぜ、お前が塔を昇る理由。死んだ弟を生き返らせたいんだってな」
目を見開いたダリオンがすかさずヴァンのほうを向いた。
「ヴァンさん……!」
「……悪い」
ヴァンが話した理由についてはダリオンも察しがついたのだろう。苦い顔をするだけで追及することはなかった。
そんな2人の気まずい空気に構わず、アッシュは話を継いだ。
「正直、その話を聞いたときはお前のことを見直した。けど、速攻で裏切られた気分だったぜ。なにしろ、たかが勝負に負けたぐらいで諦める程度の願いだったんだからな」
「たかが勝負って……てめえ、ダリオンさんがこの勝負にどんだけ賭けてたか知ってて言ってんのか!?」
立ち上がって噛みついてきたギィルを、アッシュは鼻で笑っていなす。
「ああ、知らないな。知りたいとも思わない。俺にとってはどうでもいいことだからな」
「こ、こいつ……勝ったからっていい気になりやがって!」
こちらに殴りかかる勢いでギィルが片足を踏み出した。
だが、その勢いはすぐに止まった。
ダリオンが肩を掴んで押さえたのだ。
「よせ、ギィル」
「ダリオンさん、でもっ……」
ギィルが悔しさと憎さの入り混じった目を向けてくる。そんな彼を引っ込める形でダリオンが前に出てきた。顔をわずかに俯けたまま体を震わしはじめる。
「ああ、そうだな。そうだよ。お前の言うとおりだ。弟のためってんなら俺は地べたを這いつくばってでも塔を昇るべきだった。勝負なんて関係ねえ……っ」
額に浮き出た血管。血走った眼。
ふたたびあげられた彼の顔は、突けば爆発しそうなほど怒りで塗りつくされていた。
「上等だ。俺はなにがなんでも天辺まで行って弟を生き返らせてやる。そんでもってお前もついでに越えてやる! アッシュ・ブレイブ……ッ!」
びりびりと空気を震わすような声で告げられた宣言。その想いの強さを感じたとき、アッシュは思わず口の端を吊り上げていた。
「やれるもんならやってみな。ただ俺はその上を行くだけだ」
◆◆◆◆◆
「アッシュの兄貴! あのっ」
レッドファングの本部をあとにしたのち、通りを歩いていると、後ろから慌てた声で呼び止められた。振り向いた先に立っていたのはヴァンだ。彼はなにから話せばいいかわらかないといったような複雑な顔をしていた。
「悪いな、ヴァン。ダリオンのあれ。他言しないよう言われてたんだろ」
「いや、それはいいんす。もとはと言えば俺が話したのが原因なんすから。それよりさっきの……あれじゃ、あんたが悪者みたいに――」
「もともと仲が良いわけじゃないしな。気にする必要はない」
言って、アッシュは肩を竦めた。
ヴァンが両手を膝の上におくと、その場で勢いよく頭を下げた。
「……感謝します」
「ま、上手くフォローしてやってくれ」
「うすっ」
顔を上げたヴァンは力強く頷くと、また急いで本部のほうへと戻っていった。その後ろ姿を見送っていると、そばにいたウルが難しい顔をしながらぼそりと零した。
「あの、ウルにはよくわからないのですが……」
「アッシュはね、ちょっとした親切をしたんだよ。お節介とも言うかも」
ルナがなぜか得意気にそう答えると、ウルが途端に顔をぱあっと明るくした。
「なるほど、ではアッシュさんは良いことをしたのですね!」
「そういうこと」
言って、ルナが「上手くやっといたよ」とばかりにこっそり微笑を向けてくる。
良いことをしたつもりはなかったので複雑な気分だ。
ただ、こうすべきだと思ったことをしただけだった。
「でもアッシュくん、あんなやり方だといつか後ろから刺されちゃうかもだよ」
クララが不安な顔を向けてきた。
「そんときゃ返り討ちにしてやるだけだ」
「返り討ちって……」
呆れる彼女をよそに、アッシュは右手をぐっと握った。ジュラル島に来た初日、ダリオンから受けた拳の衝撃を思い出しながら口にする。
「それに、もしあいつが来るならきっと正面からだ」





