◆第十一話『怒涛の攻略②』
敵――樹の巨人が口を開けると、「ォオオオオ」と声をあげた。威嚇しているつもりだろうか。腹にまで響いてくる不快な音だ。
クララが体を震わせながら片足を下げる。
「……アッシュくん、あたし、いまこそ逃げるときだと思います」
「いまこそって始まったばっかだろ」
そんな会話をしている間にも敵が腕を振り上げていた。図体どおりの鈍重な動きだ。ただ、あの巨体とあって腕も相当に大きい。振り落とされれば攻撃は広範囲に及ぶだろう。
ひとりなら逃げ切れる自信はあるが後衛の2人は厳しいかもしれない。
とはいえ、なにもない広間だ。
身を隠す場所なんて――。
いや、ある。
炎が灯る大きなゴブレット。それを収めるために開けられた壁のくぼみだ。すぐ後ろにも、そのくぼみはあった。
ルナも同じ考えに至ったらしく、視線が交差する。
「アッシュっ」
「ルナ、使えっ!」
アッシュは背後のくぼみに柄を向ける形で大剣を傾けた。ルナが大剣の腹を足場にして跳躍。くぼみの中へと飛び込んだ。
それを見たクララが焦りはじめる。
「ええっ……あたしそれ無理だよっ」
「わかってる! 少し口を閉じてろ。舌を噛むぞ!」
「え、ちょっとなにするつも――」
アッシュはクララの背中側の服をぎゅっと掴んだ。
そのまま振り回し、勢いのまま放り投げる。
「う、うわあああっ!」
くぼみの中へと見事に入ったクララをルナが倒れ込むようにしてキャッチ。すぐにまた顔を出してくると、必死な顔で叫ぶ。
「アッシュも早く!」
すでに敵の腕が振り落とされはじめていた。
轟くような音を鳴らしながら迫るそれは、ただの物理攻撃とは思えないほどの威圧を放っている。当たれば間違いなく肉片すら残らない。
アッシュは大剣の先端を床に突きたて、それを支えに体をくぼみへと運んだ。勢いを利用して大剣も引く。若干、大剣を引く力が足りなかったが、ルナとクララが揃ってくぼみの奥側へ体を引っ張ってくれたおかげで、なんとかすべてを収めることができた。
直後、視界が暗闇で満たされた。
くぼみの入口が敵の拳によって塞がれたのだ。
地鳴りのような音とともに激しい揺れが襲いくる。ゴブレットがガコンガコンと騒がしい音をたててくぼみ内で暴れまわる。アッシュはクララとルナを抱きながら、体が振られないよう足で固定した。
やがて揺れが収まると、くぼみの入口を塞いでいた敵の拳が離れていった。
「……なんつう威力だ」
「当たったら即死だろうね」
そう言って苦笑するルナに、クララが怯えつつ声をあげる。
「で、でもここなら大丈夫かもっ」
「だったらいいんだけどな。そこ、ひび入ってるぜ」
試練の間の壁や地面は絶対に壊れないものかと思っていたが、そういうわけではないらしい。くぼみ内のあちこちに入った亀裂を目にし、クララが恐怖に顔を歪める。
「それでも、あと1、2発はもちそうだ。2人はここで戦ってくれ」
アッシュは大剣を手にくぼみから飛び出した。
先の鈍重な攻撃を見る限り、おそらくひとりなら避けきれる。それにああいった四肢を持つ巨大な敵を相手にする場合、足下で戦えば攻撃範囲をある程度限定できるはずだ。
敵がまた振り上げた左腕を落としてきた。アッシュは左前方へと走りながら余裕をもって攻撃範囲から逃れる。と、右手側の地面に敵の腕が振り落とされ、周辺の床に亀裂が入った。
足場にしていた床が天井側に傾き、アッシュは弾かれるようにして宙を舞ってしまう。だが、大剣を振って空中での動きを制御。走る勢いを殺さず無事に着地する。
炎を纏った幾本もの矢が頭上を通り過ぎていく。ルナの矢だ。すとんすとんと音をたてて敵の胸元に突き刺さるが、炭化したように周辺をかすかに黒く染めるだけに終わった。
「ダメだ! 全然効いてる気がしない!」
現在、ルナが使っている弓には赤の属性石が4つはまっている。それでもあの程度となると火力不足は否めなさそうだ。その後もルナは弱点を探すようにあちこちに矢を射続ける。
その間にアッシュは敵の右足へと辿りついていた。右後ろへと流していた大剣を駆け抜けざまに敵の足首へと思い切り叩きつける。ガンッ、と重い音を鳴らして衝突するが、ほとんどめり込まずに勢いが止まってしまった。刃を離してみると、やはりほんのわずかしか削れていなかった。
「硬すぎだろっ」
と、敵が右足を引いた。さらに右腕の肘から先を床に置いて、まるで掃除するように腕を払ってくる。敵の腕は跳躍して躱せるような高さではない。
アッシュは敵が引いた右足を追いかける形で必死に走った。間一髪のところで飛び込み、なんとか回避に成功する。
「あぶねぇ……っ」
アッシュは肝を冷やしながら、先ほどの敵への攻撃を思い出していた。ほかの挑戦者がリスクを冒してまでオーバーエンチャントをする理由。それを身をもって知ることができた。
だが、まったく攻撃が徹っていないわけではない。いくらか削れていた。途方もない作業にはなるが、このまま攻撃を続けていれば必ず勝機は生まれる。
片足でも潰せれば敵の体勢を崩すことができるのだ。
そうなれば腰や胸部。頭部にだって攻撃できる。
アッシュは腹を括って敵の右足へと向かおうとした、そのとき。
重く、くぐもった音が聞こえてきた。
それは何度も何度も続いている。
いったいなんの音かと思ったが、敵が右足を退かしたことで明らかになった。床から噴き上がる幾本もの炎柱。《フレイムピラー》だ。どうやらクララが敵の足裏に撃ち込みまくっていたようだ。そのせいか、敵の小指辺りまで黒くなっていた。
ルナの矢でも黒ずんでいたときに気になっていたが、あの黒いところに攻撃をしたらどうなるだろうか。
気になったアッシュはすぐさま走り出し、敵が足を置いた瞬間を狙って小指に斬りかかった。すると、先ほどの硬さが嘘のように脆く、一撃で粉砕できた。痛がるように敵が大きな呻き声をあげる。
どうやら黒ずんだ場所であれば、敵の硬度は著しく落ちるようだ。アッシュは勢いよく振り返る。あまりに気を張っていたからか、クララがびくっとなる。
「ご、ごめん。余計なことしちゃった……?」
「いや、そのまま続けてくれ! 黒くなれば柔らかくなるみたいだ!」
「わ、わかった!」
「ルナも、足首にいけるか!?」
「了解!」
クララ、ルナが敵の右足へと集中攻撃をはじめる。一向に燃えることはなかったが、凄まじい熱気が漂いはじめる。
アッシュは敵の右足首を攻撃しては後退。敵の攻撃を引きつけて回避を繰り返す。こんなことなら斧のほうが良かったと攻撃のたびに思ったのは言うまでもない。
そうこうするうちに敵の足首のほとんどが黒く染まった。足首はかなり細くなっている。まさに大樹が倒れる直前といった様相だ。
あと一撃――!
アッシュは大剣を力の限り振るい、ついに敵の足首を切断した。あまりの痛みゆえか、敵が空気を震わすような慟哭をあげる。
「アッシュ! 敵が崩れる!」
ルナの叫び声が聞こえる中、バランスを崩した敵が前のめりに崩れはじめた。だが、敵は広げた両手を壁に当て、突っ張る形で倒れるのを防いだ。
倒れなかったのは想定外だが、動き回らないだけ随分と楽になる。先ほどのように黒くさせた箇所を破壊していけば問題なく倒せるはずだ。
そう思った矢先、敵の頭頂部から生えていた枝葉がカサカサとざわつきだした。その中からぴょんぴょんと緑色の小人が飛び出してきた。精霊の類か。角度の問題で何体いるかはわからないが、少なくとも5体は確認できた。
その小人たちは片手で持った小枝を振りかざした。途端、敵の頭上から生えていた枝が急激に伸びはじめ、瞬く間に天井を覆った。さらに人間の腕程度の太さを持った枝があちこちから降り注ぎ、天井と床を繋いだ。枝同士の間隔は両手を伸ばして届く程度と幾分かゆったりしている。
攻撃をしてくるわけでもなく、いったいなにをするつもりなのか。様子を窺っていたところ、枝の周囲に激しい旋風が巻き起こった。枝を中心にして天井へと巻き上がるようなものだ。
露出した肌に裂傷が刻まれ、血が噴出する。
防具も幾つか傷がつけられている。
アッシュは反射的に大剣を振るい、近場の枝を4本切断した。この枝を切断すれば消えるのでは、という勘からだったが、どうやら当たりのようだ。
ただ、しばらくすると、また天井から伸びた枝がゆっくりと床に接触しようとしていた。再生能力持ちとは面倒なことこのうえない。
あの小人たちが現れたときから旋風は巻き起こった。となればあの小人たちを倒せば旋風が止まると考えるのが妥当だ。しかし、小人たちがいるのは巨人の頭上。巨人の体をよじ登れなくはないが、無防備になるうえ時間がかかる。
ほかに手があるとすれば――。
「ルナ、いけるか!?」
「ダメだ! 風に邪魔されて届かない!」
証明するようにルナが射てくれた矢は旋風に呑み込まれて無残に散った。たしかにあれではとても突破できそうにない。
となればルナから巨人の頭までにある枝をすべて切断するしかない。それも再生を考えれば素早くする必要がある。
アッシュは巨人の足下から、ルナたちのいるくぼみのほうへと向かって駆け出した。大剣を振り回しながら、道を塞ぐ枝を斬り刻んでいく。
振り返って枝の再生具合を確認する。やはり再接触をはかろうとしているが、充分間に合う速度だ。このままいけば、いける――。
そう確信したとき、四方から幾本もの枝が向かってきた。その先端は槍のように鋭く尖っている。
「なっ」
アッシュは前進するのを中断し、枝の迎撃に回った。辛うじて凌げてはいるものの、あまりに手数が多すぎてルナの射線確保を再開できない。このままでは切断した枝に再生されてしまう。
あまりの鬱陶しさに、アッシュは思わず舌打ちしてしまう。せめて背後からの攻撃さえなければ前に進めるのだが……。
そう思ったとき、すぐ後ろで3本の炎柱が噴出した。
背後から迫っていた枝が一斉に焼け焦げ、消滅していく。
「風がないところなら撃てるみたい! 背後は任せて!」
「頼んだ!」
クララがその魔力の豊富さを利用して《フレイムピラー》を乱発しはじめる。背後から轟音が鳴り響く中、アッシュは左右から迫りくる枝を迎撃しつつ、ついにルナたちのいるくぼみの下まで辿りついた。振り向いた先、巨人の頭上までの旋風はない。
「ルナッ!」
こちらが叫び声をあげるよりも早く、ルナは1本目の矢を射ていた。さらに次々と矢を放っていく。
1本目の矢が小人の胴体をスパッと射抜いた。慌てふためく小人たちへとさらに矢が命中していく。小人たちは旋風をわけて管轄していたのか。数を減らすごとに一定範囲の旋風が消えていく。
最後の生き残りと思しき小人が巨人の頭上から飛び下りた。頭からポンッと飛び出した双葉が開き、小人はふわふわと浮遊する。なんとも愛くるしい姿だが、見逃すわけにはいかない。
「――これで終わりだっ!」
ルナが最後の小人を見事に射抜いた。
みぃ、と可愛い声を残して小人が消滅。
巨人のほうも緑や茶色の無数の燐光と化して四散した。
アッシュは床に突きたてた大剣に体を預けた。手首をぶらぶらと振る。硬い敵を相手に剣を振り続けたせいで手首がわずかに痛んでいた。
ルナ、クララがくぼみから飛び下りてくる。
クララのほうは失敗して尻餅をついていたが。
「今回の敵、絶対火力不足だったと思うんだけど……」
「防御面もね。当たったら間違いなく即死だったと思うよ」
「でも、狩れただろ?」
あっけらかんと言うと、クララとルナに呆れた顔をされた。
「ほんと、ほかの後衛にずるいって言われそうだよ」
「ルナさん。それ、あたしずっと前から思ってる」
などと2人は妙に共感し合っていたが、なんの話かはよくわからなかった。
その後、いつものごとくクララによる戦利品漁りがはじまり、「緑の属性石が1つに……あ、毒の強化石だー!」と騒がしい声があがっていた。どうやら今回はなかなかに良いものが落ちたようだ。
楽しそうにガマルと遊ぶクララをよそに、アッシュは大剣を肩に担ぎなおす。
「さてと……次、行くか」
「アッシュ、かなり走ってたけど疲れてないの?」
「全然。準備運動にはちょうど良かったけどな」
なにしろいまの戦闘が本日の一発目だ。
体力はあまりに余っている。
「いつも思うけど、アッシュってどんな環境で育ってきたの?」
「とりあえず一般的って奴じゃないことはたしかだな」
アッシュは不敵に笑って答えたあと、出口のほうへと歩き出した。
「行くぞ、クララ、ルナ。次は赤の塔だ……!」





