◆第九話『真夜中の事件』
酒で体温が上がりすぎたか。それとも1日の間に2人の女性から頬にキスをされるという予想外のことがあったからか。アッシュはなかなか寝つけないでいた。
一旦外に出て涼んできたほうが早く眠れるかもしれない。
そんな思いから起き上がろうとしたとき――。
廊下のほうからしのぶような足音が聞こえてきた。
クララにはとうてい無理な足運びだ。
ルナだろうか。
いや、勘ではあるが、違うような気がする。
やがて部屋の扉が静かに開けられた。
まさかこの部屋に入ってくるとは。
その正体をたしかめんと目を向ける。
だが、そこには誰もいなかった。
影すらも見えない。
目が慣れているのでまったく見えないことはないはずだが……。
しかし、たしかな気配がそこにある。
足音。衣擦れの音。
それらから侵入者がどこにいるかははっきりと把握できた。侵入者は部屋の中央に立ち、動きを止める。ただ違和感があった。呼吸音がまったく聞こえない。
と、その情報からあることを思い出した。
ナイトウォーカーネックレス。
息を止めている間なら姿を消せるジュラル島の装飾品だ。
相手はなんの目的でこの場所に来たのか。
暗殺ならとっくに襲ってきているはずだが、それもない。
息切れを待つのもいいが、逃がしてしまう可能性がある。
アッシュはベッド脇に置いてあるスティレットを毛布の下からこっそり握った。一気に飛び出し、侵入者がいるであろう場所に体当たりをかます。
たしかな感触を覚えながら、壁際へと叩きつけた。感触から相手の首をすぐさま把握。そこへとスティレットの尖端を突きつけた。
「はは……驚いたな。まさか気づかれてたうえに、こうもあっさり捕らえられるなんてな……」
透明だった侵入者の姿がすぅっと色づいた。アッシュはその正体に思わず目を見開いてしまう。最近知り合ったばかりで決して親しいわけではないが、少なくない会話を交わした相手だったからだ。
ギルド《レッドファング》のメンバー。
「……ヴァン。これはどういうことだ?」
問い詰めるが、彼は苦い顔をした。
その間にどたどたと慌しい足音が廊下から聞こえてきた。扉からルナ、続いてクララが飛び込んでくる。
「アッシュ! なにがあったのッ!?」
「アッシュくんっ!」
二人とも急いで駆けつけてくれたのか、パジャマ姿だ。ルナは弓を構えているが、クララのほうは枕を抱えている。あれで武器のつもりだろうか。
「その人……」
彼女たちはヴァンを知っている。
それゆえ現状に困惑しているようだった。
「アッシュの兄貴、これ下ろしてもらってもいいっすかね」
そう言ってきたヴァンから敵意は感じなかった。
アッシュは武器を下ろしたのち、告げる。
「事情、話してもらうぜ」
◆◆◆◆◆
中央に座るヴァンに対峙する形でアッシュはベッドに腰掛けた。クララ、ルナは扉のそばに立って様子を窺っている。
「レリック、手元に置いてたんすね。どうりで見つからないわけだ」
ヴァンが肩を竦めながら言った。
「目的はこれか」
「それが欲しいってわけじゃないんすけどね」
「どういうことだ?」
「ダリオン絡みって言えばわかりますかね」
「……そういうことか」
彼が言っているのは、以前にダリオンが挑んできた〝赤青緑の40階をどちらが先に突破するか〟という勝負のことだ。
ヴァンはダリオンと同じレッドファングのメンバーだ。彼らの関係がどれほど深いかは知らないが、メンバー繋がりでダリオンに有利な状況を作るため、レリックを盗もうとしたといったところか。
「俺に近づいたのもそれが関係してるのか?」
「力量をはかるためってのが大きな理由すね。思い切り失敗しましたけど」
「女を紹介しろってのは?」
「それは~、その……」
ヴァンがばつの悪い顔をした。
そちらは完全に私情のようだ。
「ダリオンに勝たせてやってもらえねぇっすか」
言いながら、ヴァンが深く頭を下げた。
いくらギルドメンバーのためとはいえ、ここまでするとは……。浅くない関係であることは間違いないなさそうだ。
「……アッシュ」
ルナが目でなにかを訴えかけてきた。
クララも同じような目を向けてきている。
こちらがダリオンの勝負を断ったことを、どうやらヴァンは知らないようだ。そのことを話さないのかと2人は言いたいのだろう。
べつに話しても問題はないが……。
あまりに真剣なヴァンの顔を見て、少し事情を知りたいと思った。
「どうしてそこまでするんだ?」
「それは……あいつの願いを聞いちまったから……」
ヴァンは俯くと、膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「ダリオンの奴、見た目どおり昔からやんちゃしてたみたいで。色んな奴らと喧嘩しまくってたみたいなんすよ。ただ、あいつもこの島に来る程度の力はある。そこらの奴がまともにやったところで勝ち目はない」
話の流れから結末はある程度予想できた。
そして、その予想は外れることはなかった。
「……あいつの唯一の家族、弟が標的にされたんだ……自業自得ったらそうすけど。でも、あいつの弟はなんの罪もねぇ……っ!」
ヴァンが静かながら怒りを込めて語った。
不幸な話だ。
クララもルナもその顔を悲しみに歪めている。
ただ、世界中を旅してきた身としては特別ではない話だとも思った。人が人である限り、こういった話が尽きることはないだろう。
「だから神の力で弟を生き返らそうってわけか」
「……はい」
部屋には重い空気が漂っていた。
人の死にまつわる話が語られたのだ。
無理もない。
「事情はわかった。ただ、それで俺に勝ったからってダリオンが願いを叶えられるわけじゃないだろ」
「いまのあいつは行き詰っちまってる。だから希望を持たせてやりたい……自信をつけさせてやりたいんすよ。いまやアッシュの兄貴は島で騒がれるほどの実力者。一部じゃ次の70階突破者だとも言われてる。そんなあんたに勝てばあいつもやれるって思うはずだ」
まるで自分のことのように苦しんでいる。
ヴァンの必死な姿に思うところはあるが、どうしても冷めた気持ちを拭えなかった。というのも幾つかの疑問があるからだ。
「仮に俺に勝ったとして、あいつが自信をつけてもそんなの一時的なものだろ」
「それはわかってるんすけど……」
「第一、4等級階層で詰まってるようじゃどっちみちてっぺんは無理なんじゃないか。上はもっときついんだろ?」
ヴァンは70階突破者だ。
上層の厳しさをよく知っているだろう。
案の定、なにも言い返しては来なかった。
アッシュはため息をついて立ち上がる。
「ほんの一時の話だ。事情次第じゃ、あえて負けることも考えるつもりだったが……気が変わった。クララ、ルナ。相談がある」
アッシュは彼女たちと一旦廊下に出ると、〝これからしようと思っていること〟を話した。ルナが呆れたようにため息をつく。
「先に言っておくけど、普通の人は反対するからね?」
「でも、これでこそアッシュくんって気がする」
「いつも悪いな、付き合わせて」
今回に関しては本当に我侭だという自覚がある。
それでも2人の了解は得られた。
アッシュは部屋に戻ったのち、ヴァンの前に立つ。
「ヴァン、手を出してくれ」
戸惑いながら、ヴァンが手を出した。
そこにアッシュはレリックを置く。
「こ、これはどういう……」
「少しの間、それを預かっててくれ」
「いやでもっ。盗もうとしたのは俺っすけど――」
ヴァンの言葉を遮るように、アッシュは宣言する。
「本当に……本当に少しの間だけだ」





