◆第八話『酒に呑まれて』
「ったく、騒がしいったらありゃしないよ」
「悪い、ブランさん。この人数だとどこも入れなくてさ」
「そりゃそうだろうさ」
クララが提案したのはブランの止まり木で食事をすることだった。幸いほかに住民はいないので空間的な問題はなし。酒のほうも酒場から樽ごと購入することで解決していた。
「まあ、もらうもんはもらったからいいけどね」
言って、ブランは自身のポケットを叩いた。
彼女には追加の食事代に加えて迷惑料を払っていた。おかげで嫌な顔をしつつも、彼女は様々な料理を提供してくれていた。
「アシュた~ん、なにしてんの~? こっちおいでよ~っ」
マキナの上機嫌な声が聞こえてくる。
アッシュは呆れつつ、テーブルのほうへ戻った。
席に座った途端、ひとりの女性が空になったカップに酒を注いでくれる。
マキナのチームメンバー、レインだ。女性にしては高い身長が特徴的で、おっとりとした性格の持ち主だ。メンバーの中では〝お姉さん〟的な立場らしい。
「はーい、どうぞ」
「おう、ありがとな」
「うちのもよろしくー」
レインに酒を注いでもらわんとべつの女性が横合いから割り込んできた。彼女はザーラ。一言で表すなら活発な女性だ。ただ、それらしいことをしていないにもかかわらずなぜか妙な色気を持っている。少しルナに雰囲気が近い。
レイン、ザーラともにマキナに負けず垢抜けていて、女性としての魅力に溢れている。彼女らに声をかけられれば大抵の男は一発で落ちるだろう。
と、正面の席にマキナがどかっと座った。
ぐいっと酒を一杯飲んだあと、改まったように話しはじめる。
「実はわたしたち、アシュたんに訊きたいことがあるんだよねー」
「訊きたいこと?」
「うん。だから今日、塔で逢えたのもちょうど良かったっていうか……」
マキナがほかのメンバーと顔を見合わせたのち、意を決したように訊いてくる。
「この前、オルヴィさんがすっごい自慢してきたんだよね。アシュたんに誘われて《アミリア》に行ったって。……わたしたち、オルヴィさんより仲良いと思ってたのにどうして? もしかしてアシュたんって苛められて喜ぶ人なの? そうなの?」
マキナが言い終えると、彼女のメンバー全員がこちらを見つめてきた。憤慨というほどではないが、微妙に怒りが混じっているような気がする。
今回の会場にソレイユの酒場が提案されたとき、妙に避けていたのはこれを訊くためだったというわけか。
「完全に誤解だ。オルヴィもドーリエも俺が選んだわけじゃない。全部ヴァンって奴に頼まれたんだ。聞いてないのか?」
「うん。なんにも。っていうかドーリエさんも行ってたんだ……」
どうやらオルヴィによって間違った形で伝わっていたようだ。意図的にか、それとも舞い上がってか。どちらもありえそうなのが怖いところだ。
マキナがじっと見てくる。
「なにも嘘ついてない?」
「ああ、誓ってな。ルナからも言ってやってくれ」
「アッシュが不憫だからね。そういうことにしておくよ」
「お、おいルナ……っ」
思わせぶりな発言のせいで、責めるような視線がマキナたちから向けられた。それを見てルナも満足したらしい。
「ごめんごめん。うん、アッシュの言うとおりだよ。ヴァンって人に頼まれて、アッシュは彼女たちに声をかけたんだ」
「なーんだ。やっぱりそうなんだー! おかしいと思ったんだよねー。アシュたんがわたしたちを選ばないなんて」
言って、マキナは上機嫌にエールをごくごくと飲みはじめた。
その自信はどこから来るのかと問いたいところだが、ひとまず一件落着だ。アッシュはひとり安堵するが、ユインがこぼした言葉でまた空気が張りつめた。
「では、この中から2人を選ぶとしたら誰ですか?」
「……どうしてそうなる」
「純粋に興味があります。ぜひ教えてください」
「あ、それボクも気になるな~」
にやにやと笑いながらルナも乗ってきた。
見るからに楽しんでいる顔だ。
「あ、あたしも気になる……かも」
クララが興奮気味にそう言って、なぜか期待に満ちた視線を向けてくる。あまりの居心地の悪さにアッシュは逃れるように視線をそらすと、ブランと目が合った。
「……あたしは選ぶんじゃないよ」
彼女は選択肢には入っていないし、仮に入っていたとしても申し訳ないが選ぶつもりはない。
ふと気づけば正面の席からマキナがいなくなっていた。どこにいったのかと思ったとき、どすっと背中に衝撃を感じた。
「アシュたんは~、もちろんわたしを選ぶよねーっ!」
マキナだ。
酔っているのか、明らかに先ほどまでとは声音が違っていた。ぐいぐいと胸を押しつけてくる。さらには腕を首に回したのち、左頬に大量のキスを見舞ってきた。
「ちゅ~っ! ちゅっちゅ~ちゅ~っ!」
「おいこらっ、やめろっ」
「うわ、マキナほんとにしてるーっ」
「笑い事じゃないだろっ」
ザーラが笑っていた。
クララは顔を真っ赤にしながら、「うわぁ」と手で顔を覆っている。とはいえ、気になるらしく、指の間からまじまじと観察していた。
「マキナちゃんって泥酔するとキス魔になるのよ。あ、でも気に入った人にしかしないから安心してね」
言って、レインがにっこりと笑った。
なにを安心しろというのか。マキナは香水でもつけているのか、酒のニオイに混ざって甘い匂いが漂ってくる。なんともおかしな気分になりそうだ。
ふいに背中の重みが消え失せた。
やっと離れたくれたのかと思いきや、マキナが正面に回り込んできた。彼女はそのふっくらとした唇を尖らせながら、こちらに近づいてくる。
「いっただっきまーっす!」
「待て、それはさすがに――」
アッシュはとっさに彼女の頭を押さえつけようとする。が、それより先にユインが猛烈な勢いでマキナを床に叩き落とした。どんっと重い衝撃音が鳴る。
「マキナさん、調子に乗りすぎです」
「す、すごい音したけど……」
「マキナさん、動かなくなっちゃったね……?」
ルナ、クララが心配げに声を漏らす。
相反してユインのほうはまったく動じていなかった。
「大丈夫、寝てるだけです」
彼女の言うとおりマキナはいびきをかいて寝ていた。しかも心地良さそうだ。ユインの一撃は軽くないように見えたが、さすがは挑戦者。体は丈夫なようだ。
「もう結構飲んだし、帰りましょうか」
「だねー。マキナも寝ちゃったし」
言って、レインとザーラがマキナの手足を持った。なんとも雑な運び方だ。それでも起きないあたりよほど酔っているのだろう。マキナが図太いだけかもしれないが。
アッシュは帰り支度をする彼女たちの姿を見ていると、ふとある記憶が蘇った。それは以前、ソレイユメンバーが路地裏で襲われていた光景だ。
「送ってく」
気づけば、そう声をかけていた。
ユインが目をぱちくりとさせる。
「みんなと一緒ですし、大丈夫です」
「俺が送りたいだけだ」
じっと見つめてきたあと、ユインは上目遣い気味に言った。
「……では、お願いします」
◆◆◆◆◆
中央広場から南西に抜けた通り。その周辺に建つ幾つかの宿屋を多くのソレイユメンバーが利用しているという。マキナたちもそのうちのひとつを拠点とし、チーム全員で宿泊中とのことだった。
「また飲みましょうね、アッシュくん」
「またなー、アッシュ」
そう言い残して、レインとザーラが爆睡状態のマキナを運びながら宿屋の中へと入っていった。
ひとり残ったユインがぺこりと丁寧に頭を下げてくる。
「今日はありがとうございました」
「こっちこそ、久しぶりに話せて楽しかったぜ」
「はい、わたしもです」
少しの静寂を経て、ユインが窺うような目を向けてくる。
「また……一緒にこうして話せますか?」
「ああ。もちろんだ」
一時的とはいえチームを組んだ仲だ。
そうでなくともユインには良い印象しかない。
断る理由はなかった。
「あの、アッシュさん。少し屈んでください」
「ん?」
「お願いします」
よくわからないが、やけに真剣な顔をしていたので従うことにした。少しだけ膝を折る。と、近づいてきたユインが軽やかな足取りで右手側に回った。
いったいどうしたのか。そちらを向こうとしたところで右頬に柔らかなものが当てられた。少し湿っていて柔らかい。すぐにそれが彼女の唇であることがわかった。
ただ、頬に唇が当てられていたのは一瞬。
ユインはすぐに離れ、すたたっと宿屋の扉前まで走っていった。くるりと振り返った彼女は、その頬を真っ赤に染めていた。宿から漏れる灯のせいにするには難しいほどだ。
「お、おやすみなさいっ」
「ああ……おやすみ」
ユインはもう一度頭を下げると、慌てて宿屋の中へと入っていった。扉がばたんと閉められる。
あまりに唐突だったためにアッシュは混乱していた。
ただ、ここまでされて気づかないほど鈍感ではない。
すべてを理解したとき、自然と1本の塔を視界に収めていた。
右頬に残ったかすかな湿りを手で押さえながらぼそりと呟く。
「……俺、塔を昇りに来たんだよな」





