◆第七話『水に呑まれて』
今日も今日とて塔を昇っていた。
――青の塔37階。
アッシュは湿り気のある芝上を全力で駆けていた。
通り過ぎた地面から次々に水の柱が噴き上がる。《ウォーターピラー》。その名が示すとおりクララが使っていた《ファイアピラー》の水版だ。
放っているのは近場の泉上で浮遊するウンディーネだ。その体のすべてが水でできており、美しい成人女性の姿を模っている。
ウンディーネが右手を払うと、およそ10もの飛沫が周囲に散った。それらは見る間に鋭い刃となり、弾かれるようにして向かってくる。だが、クララが発動した《フレイムピラー》によって多くが蒸発した。
炎の柱が勢いを失くすなり、後方から飛んできたルナの矢がウンディーネの体を射抜いた。穴を作っては通り抜けていく。すぐに穴は収まりはじめるが、小指程度しかない細かい風の刃が暴れ、切り刻んだ。緑の属性石で強化された弓の効果だ。
弾けるようにして穴が広がる中、追加の矢が2本刺さり、大きな破裂音が鳴った。ウンディーネが嘆き声を残して崩れていく。ついには、ただの水と化して泉の中へと戻っていった。
休む間もなく、黒い影が泉から勢いよく飛び出してきた。ほぼ馬だが、胴体の後ろ半分が魚の尾となっている魔物――シーホースだ。敵は「バフッバフッ」と鼻を鳴らしながら、ずさーっと芝上を滑るように突撃してくる。
敵は接近するなり前足を立てて跳び上がると、体をひねって尾を振り上げた。アッシュは右方へ身を投げて躱す。地面に叩きつけられた尾がビタンッと音を響かせた。敵は硬直もほぼなしにまた前足で地面を蹴って、鼻水と涎まみれの顔を近づけてくる。
なるべく触れたくない。そんな生理的嫌悪を一瞬抱き、アッシュは半ば反射的に虚空を斬って属性攻撃を放った。白の斬撃に吹き飛ばされ、敵が宙を舞う。そこへさらにもう一撃を見舞って消滅させた。
「うわああああっ」
クララの情けない悲鳴が聞こえてきた。
見れば、後衛2人のほうにもシーホースが襲いかかっていた。2人が左右に避けた間を滑って通り過ぎたシーホースは、その先の泉へと落ちて姿を消した。
かと思うや、バシャンと勢いよく顔を出し、前足を陸地につける。と、そこを支えに腰をひねり、尾で水をかきだした。あの大きさの尾ではありえないほどの水が巨大な津波となって押し寄せてくる。
陸地のどこにも逃げ場はない。
3人そろって津波に呑まれ、押し流される。
溺れるよりも先に水はひいたが、全身びしょ濡れだ。
シーホースがまるで嘲笑するかのように鼻を鳴らしている。最悪な気分なところに、あんな姿を見せられては心が穏やかではいられない。
アッシュは言葉を介さずとも、クララとルナとともに一斉攻撃を見舞っていた。混ざり合った三種の攻撃がシーホースを捉え、あっさりと消し飛ばす。
「うぅ、びちょびちょ……」
「これだからシーホースはいやなんだよね……」
「あれをやられる前にさっさとやらないとだな」
嬉しそうに泉の中に飛び込んだガマルをよそに全員で嘆息する。初戦闘時に喰らって以来、なんとか防いできたのだが、久しぶりに受けてしまった。おかげで勝利しても負けた気分だ。
「この状態で戦闘はできれば避けたいかな」
ルナが苦笑いをしながら言った。
彼女のほうはまだいいが、悲惨なのはクララのほうだ。ローブなのでべったりと肌にひっついてしまっている。いまも必死にしぼって水気を取っているが、乾くには時間がかかりそうだ。
アッシュは辺りに視線を巡らせる。
青の塔の4等級階層は多くが丘陵地帯になっており、川や泉が点在している。そんな中、辺りでもっとも高い丘が近くにあった。
「あそこの丘なら近くに水もないし、休憩できそうだ」
ということでその場所へ移動、休憩することになった。
ほかの塔でもこうした安全地帯はあるにはあるが、周囲の環境のせいで心まで安らぐのは難しかった。その点、いまの場所は最高だ。見晴らしは良いし、気温もちょうどいい。文句のつけようがない環境の中、休憩を満喫した。
それからどれほど時間が経っただろうか。
ふいに戦闘音が聞こえてきた。
先ほど戦っていた場所のほうからだ。
1、2等級階層とは違って挑戦者の数が多いからか。最近はダリオンチームだけでなく、ほかのチームともよく遭遇している。
アッシュはクララ、ルナとともに立ち上がって様子を見にいく。
4人組の挑戦者だ。
前衛が2に後衛が2。
全員が女性で――。
「って、あれってマキナたちか?」
「みたいだね。ユインさんもいるし」
クララが跳びはねながら、両手をブンブンと振りはじめる。
「おーい、マキナさ~~~ん!」
「…………ララたん!」
魔物を狩り終えたマキナが一番に反応した。
剣を収め、こちらに向かって走ってくる。
クララのほうも丘を駆け下りていく。だが、途中から足の回転が間に合わなくなり、体勢を崩してしまった。ついには手を泳がせたのを機に思い切り坂を転がり落ちていく。
「ったく……」
「あちゃ~……」
アッシュはルナと揃って嘆息した。
急な坂ではないので大事には至らなかったが、クララは精神に多大な損傷を受けたようだ。顔を真っ赤にしながら芝まみれの体を叩いている。
「うぅ……」
「ララたん、ドジすぎーっ」
「こ、これは早く下りるためにわざとだからっ」
「はいはい、そういうことにしておくー」
「もーっ」
相変わらず仲が良さそうでなによりだ。
アッシュもルナと一緒に坂を下り、合流した。
「アシュたん、ルナたんもやほやほー」
「よっ」
「まさかここで会うとはね」
マキナと挨拶をしたあと、奥のユインや残りのメンバー2人にも手を挙げると、軽い会釈が返ってきた。
「ここの魔物、湧いてましたけど……近くで休憩していたのですか?」
「ああ、情けないことにシーホースのアレを喰らっちまってな。そこの丘上で服を乾かしがてら休憩してたんだ」
わかるわかるー、とマキナが頷く。
「アレよく喰らっちゃうんだよねー。もう、水着で戦おうかって思うぐらいだし」
「わたしは断固として反対です」
そう言ったのはユインだ。
目が笑っていない。
「えー、なんで? いいじゃん」
「防御面に不安が残りますし。そもそも水着で狩りなんて、ただの痴女ではないですか」
「ち、痴女っ……」
ショックを受けたマキナが味方を求めてほかのメンバー2人に視線を向けるが――。
「あたしらもユインに同意」
「やるならマキナちゃんだけでよろしくね」
「えー、みんなひどくなーい!?」
と孤立無援を嘆くマキナ。
彼女はかなり良い体型をしている。
胸はそれなりにあるし、小柄なわりに脚も長い。
そんな彼女の水着姿を見たい気持ちは少なからずあるが、それで魔物と戦うとなると話はべつだ。面白そうではあるが。
マキナが最後の望みとばかりにクララにも目を向けるが、「ごめん、あたしも水着はさすがに」とやんわり断られていた。哀れマキナ。
と思った矢先、マキナは「あっ」と声をあげた。
これまでの落ち込みぶりが嘘のように溌剌とした顔を見せる。
「ねえねえ、ここで会ったのもなにかの縁だしさ! 今日このあと、みんなでご飯たべない? 久しぶりにー!」
「いいねそれ! あたしも賛成! ね、いいよねっ!?」
クララが期待に満ちた目を向けてくる。
もとより断るつもりはないが、こんな顔を見せられては選択肢はひとつだ。
アッシュはルナと顔を見合わせたのちに答える。
「いいぜ。でも、この人数で入れるとこあるかが問題だな」
「ソレイユの酒場は?」
そう訊いたのはルナだ。
たしかにあそこなら人数を気にせず入れるはずだ。
「あ~、あそこはできればなしで」
「どうしてだ?」
「ま、まあ色々あるんだよね。色々、ね」
マキナが少し慌てたように答える。
その後、なにやら意味ありげに後ろのメンバーたちと目を合わせ、頷き合っていた。なにか事情があるようだが、話したくないようだし問い詰めるのも野暮だろう。
「にしても、あそこがダメってなるとな……」
「あのっ、あたし良い案思いついたかも!」
言って、クララが手を挙げた。
それから片頬を引きつらせると、こう付け足した。
「……怒られそうだけど」





