◆第五話『赤の塔火山地帯』
のどかな自然に満ちた緑の塔とは打って変わって、そこは地獄のような景色が広がっていた。
赤の塔38階。
灰のような雲の下、緑のない黒々とした険しい山々。その肌をまるで化粧でもするかのようにドロドロの溶岩が流れ、幾本もの川を作り出している。
挑戦者に与えられた道は山肌と山の中を行き来するようにうねりにうねっている。道幅は広いので、あやまって落ちることはないが――魔物に突き落とされでもすれば待ち受けるのは溶岩だ。命はない。
そんな死と隣り合わせの地形の中、いまもアッシュは仲間とともに5体の魔物と対峙していた。
敵の名はヘルハウンド。
大きさは子牛程度だ。
その身を覆うのは黒く、深い毛。属性を示すかのように体の周囲では小さな火の粉がちらついては散っている。
敵は前列に3。後列に2といった構図でこちらに睨みを利かしている。と、左側の1体にルナが連続で矢を放ち、仕留めた。それが開戦の合図となった。残った前列の2体が飛びかかってくる。
アッシュは1体をソードブレイカーでいなしながら、側面に回り込んだ。スティレットを腹の深くまで刺し込み、引き抜く。ごふっと犬とは似ても似つかない呻き声を残して敵がばたりと倒れる。
その1体を飛び越える形でもう1体が襲ってきた。ギラリと輝く敵の鋭い鉤爪。それを躱しながら、敵の顎下からスティレットを突き刺し、腹をかっさばくように振り切った。鳴き声すらも残さずに2体目が消滅する。
後列の2体が口を大きく開けていた。吐き出されたのは火球だ。1等級階層に出現したダイアウルフの吐く火球よりもわずかに小さい。だが、速度、威力ともにこちらのほうが数段上だ。
レリックで地面を薙ぎ、光のカーテンを展開。火球を防いだのち、反撃とばかりに属性攻撃――白の斬撃を放った。だが、俊敏なヘルハウンドたちは攻撃を見てから左右へと散り、避けてしまう。
アッシュは舌打ちした、そのとき。
足下に赤い魔法陣が浮かび上がった。
何度も見たので間違いない。
クララの《フレイムピラー》を発動するための魔法陣だ。横並びになって3つ描かれている。ストックを利用して複数発動しているようだ。
アッシュは後方へ素早く飛び退いた。直後、釣られる形で先ほどまで立っていた箇所――魔法陣の上に2体のヘルハウンドが着地する。
クララの力む声がかすかに聞こえた瞬間、魔法陣が赤く煌いた。地鳴りのような音とともに炎が勢いよく噴き上がり、3本の柱を作り上げる。
今回からクララの《フレイムピラー》を装着した腕輪には3つの属性石がはまっている。そのため、太さや威力は以前よりも大幅に増していた。
炎の壁を思わせる3本の火炎の柱が、まるで勢いを失くした噴水のように縮み、消え去った。途端、クララが興奮したように跳びはねはじめる。
「ねえっ、見た見たっ!? 置きピラー!」
「ああ、上手くいったな」
「うんっ。これすごい使いやすそう!」
ちなみに〝置きピラー〟とは、《フレイムピラー》を〝発動直前で待機させておく〟という意味だ。もちろんクララの造語だ。
「……少し暑いね」
ルナが胸元を少し開きながら、掌で風が入るようあおっている。汗が少し滲んでいるからか、その肌には普段よりも艶があった。
「涼水が切れたんじゃないか?」
「そうかも」
涼水とは《マスピンの涼水》のことだ。
体温を下げる効果がある。
中央広場の雑貨屋で売られており、1本300ジュリーだ。
全員がポーチから小瓶を取り出すと、中に入った水色の液体をごくごくと飲み干した。
「あたし、あと1本しかない」
「こっちもだ」
ボクも、とルナが続く。
「あと少し狩ったら今日は帰るか」
「それが良さそうだね」
「はーいっ」
クララが手を挙げて答えた、そのとき。
アッシュは彼女の手を挟んだ向こう側の山肌に気になるものを見つけた。ほかにはない黒い点だ。目を凝らして、さらに観察する。
「……あれ、洞窟っぽいよな」
「どれどれっ? ん~…………あ、ほんとだ!」
クララも見つけたようで目を見開いていた。
「アッシュってほんとああいうの見つけるの得意だよね」
「試練の塔にもあったしな。それに隠し部屋ってだけで心躍るだろ」
「気持ちはわかるけど。って、やっぱり行くんだ」
すでに洞窟のほうへ向かおうとしていたからか、ルナから呆れたように言われた。アッシュは振り返ってにやりと笑う。
「当然だ……!」
◆◆◆◆◆
洞窟は案の定、正規の道から外れていた。
山肌にくっつくようにして狭い足場を進んでいく。下は溶岩の海だ。後ろから続くクララは終始「うわわわわ」と怯えた声を漏らしている。
安全な場所に辿りつくなり、クララが四つんばいになった。胸元を片手で押さえながら、ぜぇはーと荒い呼吸をしている。
「し、死ぬかと思った……」
「あそこで魔物に襲われてたらやばかったかもな」
冗談交じりに脅してみると、涙目の顔を向けられた。
付き合わせた分、今日はなにか奢ってあげたほうが良さそうだ。
「アッシュ、いたよ」
先行していたルナが戻ってきた。
全員で洞窟の中へと入り、細い通路を進んでいくと、少し進んだ先に岩で造られた天然の門があった。そこから光が漏れている。岩陰に身を預けながら、こっそりと中の様子を窺う。
広い空洞だ。壁のあちこちにくぼみがあり、その中で炎が揺らめいている。明るいのはそのためだろう。視線を巡らせてみるが、がらんどうとしてなにもない。ただ、ひとつを除いて――。
奥に犬型の魔物がいた。
見た目はヘルハウンドとそう変わらない。
山羊のように黒く立派な角が生えているぐらいか。
ただ、その魔物は首に鎖がつけられていた。先を辿ると、奥の壁に立てつけられた鉄柱のようなものと繋がれている。
「ヘルハウンドの亜種っぽいな」
「つ、強そうだよ……」
「こんな場所だし、レア種で間違いなさそうだね」
ひとしきり観察したあと、アッシュは2本の短剣を構えた。
クララが不安な顔を向けてくる。
「やっぱり戦うの?」
「もちろんだ」
ここまで来たのだ。
戦わなければ勿体無い。
というより、どんな攻撃をしてくるのか気になって仕方なかった。
「でも、あれ鎖に繋がれてるし、ここから一方的にやれたりしてな」
「試しにやってみたら?」
ルナの同意も得たので、アッシュは遠くから属性攻撃を放ってみた。が、敵に当たる前に透明の壁によって弾かれてしまった。敵が反応していないところからして、なんらかの力が働いたようにしか見えなかった。
「さすがにダメか」
「正攻法で戦うしかなさそうだね」
単純な好奇心から生まれた疑問だ。
失敗したところでなんの問題もなかった。
「敵の攻撃が来たら岩陰に隠れられるし、二人はここに陣取ったほうが良さそうだな」
「了解」
「う、うん。アッシュくん、気をつけてね」
「ああ、行ってくる……!」
アッシュは身を低くして駆け出した。





