◆第八話『赤の塔・1階』
がらんどうとした空間が広がっていた。
まるで遺跡のようにあちこちが風化している。
どこも赤みを帯びているが、外観よりは色合いが柔らかい。
おかげで目が痛くなることはなかった。
重々しい音を鳴らしながら入口の門が閉まる。
逃げ道を閉ざされたか、あるいはただ閉まっただけか。
どちらにせよ、ここで逃げ帰るつもりはないので問題はない。
アッシュはベルトの背面側に差していた刺突特化の短剣――スティレットを抜いた。
武器はひと通り扱えるが、中でも気に入っているものだ。
ただ、特注品で本来のものよりわずかに刀身が長い造りとなっている。
理由はもちろん、皮が厚い敵が相手でも確実に肉まで徹すためだ。
ほかに携帯してきたのはソードブレイカーのみ。片側の刃に刻まれた櫛のような溝に相手の剣をはめ、破壊することを目的として造られた武器だ。
旅の途中で知り合った戦士からは「変わったスタイルだな」とよく言われていたが、自分でもそう思う。とはいえ、この組み合わせが一番しっくりくるのだから仕方ない。
広間の奥に目を向けると、またも門が待ち受けていた。
燃え盛る火炎のようなレリーフが施されている。
見たところほかに道はないし、あそこが次の道で間違いないようだ。
門の前まで行くと、アッシュは違和感を覚えた。
――奥に、なにかがいる。
長年、試練の塔で魔物と戦ってきたこの体が異変に気づいたのだ。
どれだけ冷静な思考よりも、よっぽど信頼できる。
手は自由にしていたいので右足の裏で慎重に門の片側を押していく。
やがて隙間が人間の頭一つ分まで開いた、そのとき――。
顔面目がけて火矢が飛んできた。
とっさに顔をそらし、空いた左手で火矢を掴んだ。
「洗礼ってこれのことか」
たしかにこれで死ぬ者は多そうだ。
いまも燃える矢尻を見ていると、門に衝撃が走った。
「ゴフッ、ゴフゴフッ!!」
緑の肌に尖った耳を持つ小型の魔物。
ゴブリンが門の隙間から顔を出していた。
ただ、絶妙に通り抜けられないらしい。
ガチガチと歯をかち合わせるだけになっている。
敵ながら哀れだが、容赦するつもりはない。
「お前が持ち主かは知らないが、これはお返しするぜ」
火矢を口内にぶち込んだ。
ゴブリンが奇声をあげながら暴れ、門から顔を引き抜く。
合わせて門が一気に奥側へと開け放たれると、待機していたゴブリンが映った。
全部で4体。弓が1、剣が3だ。
彼らは火矢の刺さったゴブリンが倒れた瞬間、一斉に動き出した。
アーチャーから放たれた矢に中空で火が灯る。
原始的に着火するのかと思ったが、どうやら魔法の類らしい。
アッシュは門の手前へと引き、壁に身を隠して射線を切った。
あの程度の矢なら受けるのも避けるのも造作はないが、いま相手にしているのはアーチャーだけではない。
通り過ぎた火矢に続いて、1体のファイターが勢いよく飛び出てくる。
スティレットをその額に突き刺すと、けたたましい声をあげてファイターが白目を剥いた。まずは1体。
だが、息つく暇はない。
白目を剥いたファイターを押しのけ、べつのファイターが剣を突き出してきた。アッシュは体を後ろへそらしてそれを避け、相手の剣を蹴り上げながら後退する。
体勢を立て直したと同時、3体目のファイターも躍り出てきた。
剣がなくなったゴブリンを踏み台にして跳躍後、くるくると宙空を舞っていた剣を掴み、双剣で襲い掛かってくる。
「ここのゴブリンはそんなこともできるのかっ」
素直に感心しながら、跳ねるようにして後ろへ下がる。
と、先ほどまで立っていた床にファイターの短い剣が叩きつけられた。
高い跳躍からの反動か、ファイターが着地後に硬直する。
アッシュはすかさず踵を振り上げ、その脳天へと落として沈めた。
隙ありとばかりに剣なしのファイターも飛びかかってきたが、すっと身を横にずらして避けた。すれ違いざまにその背中をスティレットで刺し、ぐいと持ち上げる。
息はあるが、ぐったりしている。
すでに戦闘不能といった様子だ。
「ゴ、ゴフッ、ゴフ……」
「悪いけど盾になってもらうぜ」
ファイターを串刺しにしたまま、ゴブリンたちの待機していた部屋へと顔を出す。と、やはり火矢が飛んできた。ファイターを盾にして受けたのち、そのままアーチャーのほうへと放り投げた。
アーチャーがファイターの下敷きになり、弓をこぼす。
必死に拾おうとしていたが、その手が届く前にスティレットで息の根を止めた。
アーチャーの姿がぼやけ、空気に溶け込むよう消滅する。
と、青色の小さな宝石がふっと出現し、カランカランと音と鳴らして床に落ちた。
見ればほかのゴブリンも同様に青い宝石を残して消滅している。
おそらく、この宝石がジュリーと呼ばれるジュラル塔の通貨だろう。
それを証明するようにいつの間にか姿を現したガマルが、長い舌を伸ばして宝石を呑み込んでいた。明らかに胃袋の容量を超えているが、きっと気にしても無駄だろう。
「グェップ」
「……まいったな、ゲップもするのかよ」
勝手に拾ってくれるのはありがたいが、もう少し外見や挙動をなんとかできなかったのかと切に思う。
「って、おい。食べ残してるぞ」
宝石がひとつだけ床に転がったままだった。
赤色なうえ、ほかよりも少し大きめだ。
拾って差し出してみると、いらないとばかりにぷいと顔をそらされた。
そのまま太腿に飛びついてきたのち、また姿を消してしまう。
財布代わりとして渡されたのだ。
さすがにこれだけで満腹になったわけではないだろう。
もしかすると、この赤色の宝石は通貨ではないのかもしれない。
ふと、なにか描かれていることに気づいた。
剣の絵だ。
試しに裏も確認すると、「1」と刻まれていた。
「とりあえず持ち帰って誰かに訊いてみるか……」
アッシュはベルトに提げたポーチに赤色の宝石を入れる。
ふいに、かすかな足音が遠くのほうから聞こえてきた。
すぐさま地べたに這いつくばり、床に片耳を当てる。
駆歩。軽い音から察するにゴブリンだろう。
数は……5体前後といったところか。
充分に対応できる範囲だ。
どこか隠れるところは――。
先と同様、この部屋にもめぼしい置物はない。
だが、ちょうどいい場所を見つけた。
おそらくゴブリンたちが出てくるであろう部屋の最奥にある門。
その上部の縁がわずかに手前へと突き出していた。
アッシュは急いで縁へと飛び乗る。
踵しか乗せられなかったが、体勢は安定している。
壁の至る所がボロボロなおかげで手をかける場所に困らなかったのだ。
足音が近づいてきた。
緑の小人たちがぞろぞろと部屋に入ってくる。
予想通り5体だ。
剣が4に弓が1と先ほどと同様の構成だ。
全員が侵入者の姿を捜して首を振っている。
ゴブリンは体が小さいこともあって俊敏性が高い。
だが、間抜けだ。
アッシュは飛び下り、最後に入ってきたアーチャーの延髄をスティレットで貫いた。ほぼ音をたてずに着地したのち、前へと踏み出て、さらにもう1体を背後から排除する。
残りの3体がこちらの存在に気づいたようだ。
正面、左右から一斉に襲い掛かってくる。
アッシュは腰に差したもう1本の短剣――ソードブレイカーを左手で抜きながら前方へと踏み出した。正面のゴブリンが持つ剣へと櫛部分を勢いよく押し付ける。相手が剣を離そうともがくが、逃がすまいと押しながらひねり、へし折った。
さらに櫛側ではない通常の刃先を敵に向け、そのまま喉を斬り裂く。目の前の敵が血を噴きながら崩れ落ちる中、背後から荒々しい声が近づいてきた。残りの2体だ。
身を翻すと、ゴブリンたちは涎まみれの口を大きく開けながら、いまにも剣を振り下ろそうとしていた。
アッシュは瞬時に身を低くし、両手に持った短剣を左右に構える。そのまま駆け抜け、すれ違いざまにゴブリンたちの喉を撫でるよう剣を交差させた。
どさり、と背後で音が鳴る。
振り返ったときには、すでにゴブリンたちは宝石へと姿を変えていた。
宝石を呑み込むガマルを見ながら、アッシュは短剣を収める。
「まだ1階だし、こんなもんか」
充分に通用しているが、まだゴブリンしか出ていない。
塔の難度を実感するためには、まだまだ先へと進む必要がありそうだ。
「うっし、一気に行くか……!」