◆第四話『アミリアにて』
中央広場から南西に抜けた通りにケーキ屋があった。緑を多くあしらった落ちついた雰囲気の内装が特徴的で女性挑戦者やミルマに大人気の店だ。購入しての持ち帰りが基本だが、わずかな客席もあり中で食べることもできる。
そんなケーキ屋『アミリア』の客席に、なぜかアッシュは座っていた。
テーブルをくっつけての6人席。
正面には左からオルヴィ、ドーリエ、クララ。
左隣にはヴァン、右隣にはルナといった構図だ。
どうしてこんなことになったのか。
すべての始まりは、いまも左隣でそわそわしているヴァンだ。彼に「女を紹介してほしい」と泣きつかれたのが3日前のこと。一度は断ったものの、あまりに必死だったうえに周囲の目もあって聞き入れることにしたのだ。
その後、参加者の予定をすり合わせ――。
本日の正午、昼食を兼ねての食事会を開くことになったというわけだ。
ルナが小声で訊いてくる。
「事情は聞いてるけど……どうしてこの人選なの?」
「それに関しては完全にヴァンの好みだ」
「クララも?」
「そこは数合わせだ」
クララは窓から外を見ている。ケーキがタダで食べられるとあってか、その顔は最近では見ないほどに満面の笑みだ。いま机の下を覗けば足をぶらぶらしているに違いない。
「もうひとつ。一番訊きたいことなんだけど……どうしてボクがこっち側?」
「それも数合わせだ。でもいいだろ、すこし前まで男としてやってたんだから」
「あ、そういうこというんだ」
ルナはムッとしたかと思うや、にやりと笑って指先で脇腹をつんと突いてきた。さらに円を描くように動かしはじめる。
「そんなアッシュには悪戯しちゃおうかなー」
「ってもうしてるじゃねえかっ。やめろっ」
「いやだよ。そっちが悪いんだから」
にししと笑いながら悪戯を続けるルナ。
アッシュは身をよじったり手で弾いたりしながら凌いでいると――。
「ちょっと兄貴。イチャイチャしてないで例の頼みますよ」
ヴァンが肘で突いてきた。
気づけば正面のオルヴィやドーリエから冷めた目を向けられていた。どうやらルナとのやり取りは筒抜けだったようだ。居心地の悪さを感じつつ、アッシュは咳払いをして話を始める。
「あ~、こいつはヴァン。俺の知り合い……でいいのか?」
「やだなあ、兄貴。知り合いなんて水臭い。俺と兄貴の仲じゃないっすか」
十年来の付き合いだとでも言うような馴れ馴れしさだ。女性と仲良くなりたい一心でここまでできる精神には素直に感心する。
オルヴィが冷酷な目をヴァンに向ける。
「お山の大将ベイマンズの腰巾着でしょう? 知っています」
「こ、腰巾着っ。さすが悪魔のオルヴィ。たまらねぇ口撃だぜ……っ」
蔑まれたというのになぜかヴァンは喜んでいた。
彼の呼んでほしい女性候補を聞いたとき、初めは耳を疑ったが……いまようやく理解した。どうやらヴァンは変わった嗜好の持ち主のようだ。
「でも、意外だね。あんたたちが知り合いだったなんて」
ドーリエが興味深そうに訊いてきた。
「少し前、知り合いと飲んでたときに偶然席が近くなって、そのときにな」
「もう気が合っちまって。そっからはもう兄弟の関係って奴よ!」
そうヴァンが意気揚々と補足する。
事実半分、嘘半分といったところだが、とくに疑われることはなかった。
「共通点はわかりましたけど、どうしてわたくしたちが誘われたのですか? それにこの店というのも疑問が残ります」
この質問についてはあらかじめ返答を考えていた。
ヴァンと目を合わせたのち、アッシュは答える。
「前から入りたかったらしいけど、こういう店だろ。男だけじゃなかなか入りにくいって頼まれたんだよ」
「そ、そうなんだよ。俺、昔っから甘いもんが好きでさ~」
ヴァンが大げさに照れ笑いをしながら頭をかく。
なんとも下手な演技だったが、オルヴィから詰問されることはなかった。というより完全に興味を失くしたようで、「そうですか」とこぼすだけに終わった。
本当の理由は《レッドファング》のメンバーの目につきにくい場所がここ以外になかったからだ。ヴァン曰く、「女と食事してるとこなんて見られたらボスにシメられる!」らしい。
「とりあえず今日はこいつの奢りだ」
「ああ、付き合ってもらうんだからな。遠慮せずにじゃんじゃん食べてくれ!」
任せろとばかりにヴァンは力強く胸を叩いた。
と言っても、すでに入店直後に頼んでいたので、そう時間はかからずに注文の品が運ばれてきた。テーブルの上にケーキが並べられていく。
多くはスポンジ生地だが、中には焼き菓子風のものもあった。クリームを塗ったり、果物を乗せたりといずれも綺麗に彩られている。
ちなみに品を運んできた店員はウルだった。
入店時に軽く話したが、案の定助っ人で来たらしい。
ウルが去り際ににっこりと笑いながら、両手を顔の高さまで持っていき、指を軽く折り曲げた。ミルマが気に入った相手にだけする挨拶だ。
横合いからヴァンが驚愕しつつ羨望の眼差しを向けてくる。
「さすが兄貴っす。店員のミルマも攻略済みなんて」
「ウルはただの友人同士だ。変な誤解するなよ」
そんなやり取りをする最中、女性陣が運ばれたケーキの品々を前に感嘆していた。
ここのケーキは切り分けられたものでも500ジュリーとなかなかに割高だ。にもかかわらずドーリエは異なる種類の品を10個も頼んでホール状にしていた。つまり5000ジュリーだ。それを見た瞬間、ヴァンの顔が歪んでいたのは言うまでもない。
オルヴィのほうは一切れだけの注文で淑やかに食している。その美貌もあいまって絵になる存在だ。本当に絵だったなら毒も吐かないので今頃万人に好かれていたに違いない。
入店以来、ヴァンの視線はもっぱらオルヴィとドーリエに向けられていた。どうやらクララにはまったく興味がないらしい。
そんな彼女のほうもヴァンは眼中にないようで、鼻歌混じりにフォークでケーキをつついていた。小さな口を開けて「あーむ」とかじっては幸せそうに笑みをこぼしている。
「おい、クララ。口にクリームついてるぞ」
「え、どこ?」
「じっとしてろ」
各人に綺麗な手拭が配られていた。それを手にとって、アッシュは身を乗り出した。彼女の口元に当て、柔らかな頬を歪ませながら拭き取る。
「んぅっ……あ、ありがと」
ブランの止まり木でもこうしたことをたまにするのだが、普段とは違ってクララは少しはにかんでいた。周囲に子供っぽいところを見られたからだろうか。今後はもう少し彼女の体面も考えたほうが良さそうだ、とアッシュは思う。
「あの、アッシュさん……っ」
オルヴィから声をかけられた。
「どうした? ってオルヴィも頬にクリームついてるぞ」
「ど、どこですか」
「ここだここ」
指差しで示すだけに留めると、オルヴィが不満そうに睨んできた。言わんとしていることはわかるが、さすがに大人の彼女にまでするのは気が引ける。ため息をついたオルヴィの肩をドーリエが気にするなとばかりに叩いていた。
「な、なるほど。相手によって使い分けるんすね。さすが兄貴。数多の女を泣かしてきただけありますね!」
「……人聞きの悪いこと言うなよ」
ヴァンにはいったいどんなイメージを持たれているのか。
ひとまず真っ当な人間でないことはたしかだろう。
と、オルヴィを慰めるドーリエの頬にもクリームがついていた。どうやらヴァンも気づいたらしい。そわそわしたあと、手拭を取って勢いよく立ち上がった。
「ド、ドーリエ! ここにクリームついてるぜ。よ、良かったら俺が――」
言い終える前にドーリエが自身の腕で豪快に口元を拭った。
「取れたかい?」
「あ、ああ……」
ヴァンはしょんぼりと肩を落とし、すとんと座りなおした。
「まあなんだ……頑張れよ」
「いや、いいんすこれで。あれでこそ俺の惚れた女っすから」
すでに知らされていたが、実はヴァンの本命はドーリエだった。男にしては小柄なヴァンと女にしては大柄なドーリエ。このデコボコなカップルが誕生する日はいつか来るのか。……先のやり取りを見る分には難しいかもしれない。
「塔のほうは順調なのですか?」
オルヴィが丁寧に口元を拭ったあと、そう訊いてきた。
「攻略済みは36、34、39、39、38だ」
答えた瞬間、オルヴィやドーリエの目が変わった。
「……相変わらず早いですね」
「これでも最近は遅くなったぐらいなんだよ。アッシュくん、最初の頃はもっとガンガン飛ばしてたし。はむっ」
クララがケーキを食べる合間に口を挟んできた。
ふむ、とドーリエが神妙な面持ちで頷く。
「そんだけ早いのはアルビオンのニゲルチーム以来かもね」
ニゲル・グロリア。
アルビオンのマスターの名だ。
彼のチームとなると、やはりあのシビラという女剣士も混ざっているのだろうか。いずれにせよ、上と比べられると少しばかり対抗心が湧いてしまう。
「ま、早いのが理由で絡まれることもあったりだけどね」
呆れ気味に口にしたルナの言葉に、オルヴィとドーリエが首を傾げる。
アッシュは肩を竦めながら説明する。
「ダリオンって奴にどっちが先に赤青緑の40階を突破するか勝負を挑まれたんだ。レッドファングのとこの奴だ。ヴァン、知ってるだろ?」
「あ~……あー! いたような気がする、そんな奴」
ヴァンが目をそらしたあと、わざとらしく声をあげた。
なにか様子がおかしい。
こちらの怪訝な顔を受けてか、ヴァンがあたふたと取りつくろいはじめる。
「あ~、ほら。うちって人数多いじゃないっすか。だから覚えるのも大変なんすよ」
レッドファングは最高規模のギルドで在籍数は約100人と聞いている。たしかにその数なら名前と顔を覚えるのは面倒かもしれない。
「自分のギルドメンバーのことも覚えていないなんて。最低な男ですね」
オルヴィの罵倒に、ヴァンがまるで矢に撃たれたかのような反応を見せる。
「なんて破壊力だよ……け、けど俺にはドーリエという女が……っ」
いったいなにと戦っているのかはわからないが――。
彼の本命であるドーリエはケーキに骨抜きのようだ。
いまも先のケーキを平らげ、ウルを呼び止めんとしている。
「店員さん、いいかい?」
「はい、ご注文ですねっ!」
「同じの、追加で頼むよ」
「かしこまりましたですっ」
ヴァンが目を瞬かせながら、ドーリエに話しかける。
「よ、よく食べるんだな」
「今日は奢りなんだろう? 満足するまで食べさせてもらうよ」
「あ、ああ。もちろんだ! 男に二言はねぇっ!」
もうあとには引けないといったところか。
これは恋仲になるよりもガマルの代わりになるほうが早そうだ。





