◆第一話『再びの勝負』
ふっくらとした雲たちに彩られた青空の下、広がるのは険しい山が連なる大自然。相変わらず塔の中とは思えないような光景が広がっていた。
――緑の塔38階。
「足を止めるな! 一気に貫かれるぞ!」
アッシュは叫びながら、蛇のようにうねる山岳路を必死に走る。
相手にしているのはグリフォン。
鷲の上半身と獅子の下半身を持つ魔物だ。
グリフォンは口笛を吹くかのように高い鳴き声をあげた。その巨躯を持ち上げた大きな翼で、さらに力強く虚空を叩く。弾かれるようにして一直線にこちらへと向かってくる。
先ほど通り過ぎた地面にグリフォンの嘴が突き刺さる。地面が抉れ、細かい破片となって飛び散った。あの嘴はスティレットのような鋭さを持つ。当たれば体に穴が空くこと間違いなしだ。
グリフォンがすぐさま飛び立とうとする。だが、ルナの放った矢に片翼を射抜かれ、体勢を崩した。空でこそ俊敏なグリフォンだが、地上ではひどくのろまだ。
アッシュは一気に接近した。鋭い嘴で応戦してくるが、体を少しずらしてするりと回避。駆け抜けざまに敵の左前足と後ろ足を切断した。すぐに振り向くと、片側に倒れたグリフォンが映り込む。
「クララ!」
「任せて!」
後方で控えていたクララがすでに右手を突き出していた。呼応するようにグリフォンが倒れた地面に赤で彩られた魔法陣が出現。人の腰回りと同程度の太さの火炎が噴き上がった。最近、赤の塔で入手した魔法。《フレイムピラー》だ。
見上げるほどまで噴出したそれが消滅したとき、グリフォンの姿はなかった。カランカランと音をたてて幾つかのジュリーが落ちる。10ジュリーの赤が1つに、1ジュリーの青が5つ。合計15ジュリーだ。
「相変わらず良い威力だな」
「これで強化なし状態だもんね。最大強化したら凄そうだ」
「えへへー。もう強化しちゃおうか悩んでるんだよね」
クララが上機嫌に答えながら、《フレイムピラー》の魔石をはめた腕輪を撫でた。
リッチキング討伐から10日後。
赤、青、緑の塔30階を突破していた。レリックのおかげもあるが、対リッチキング用に装備を整えたことで大した苦戦もなく突破できたのだ。
じゃり、と音がした。
なにかの気配もある。
「追加かっ」
慌てて音のほうを確認したところ、岩の角からこちらを覗く愛らしい見た目の魔物がいた。猫を模しているものの、ぬいぐるみのように毛は短いうえに二頭身。おまけに人のように二足で立っている。
弓を構えたルナが目を細める。
「ケットシー……?」
「たぶんな」
幾つかの試練の塔でも出現する魔物だ。
ケットシーはとてとてと歩いて出てくると、無防備な姿をさらした。大きな黒目を潤ませながら、ゆっくりと口を動かす。
「コロサ……ナイ、デ……ッ!」
「しゃ、喋った!?」
クララが目を瞬かせていた。
彼女は知らないようだが、ケットシーは喋る。
あんな片言だけでなく、会話も可能なはずだ。おそらく目の前の個体は〝弱さ〟を強調するためにあえてあんな喋り方をしているのだろう。
「ね、ねえ。アッシュくん。あの子逃がしてあげ――」
クララが懇願するような目を向けてくる中、アッシュは地面を思い切り蹴ってケットシーに肉迫。その首を刎ねた。ころころと転がった頭と残った体。どちらも膨れ上がるとパンッと音をたてて破裂する。
少しの間呆然としていたクララが、はっとなって抗議の目を向けてきた。
「ア、アッシュくんひどいっ!」
「ここにいる以上は魔物だ」
「で、でも可愛かったのに……」
「逃がしでもしてみろ。後ろから食われるぞ。こう、がぶっとな。そしたらさっき俺がやったようにクララも胴体だけが残るぜ」
「うっ」
想像したのか、クララが青ざめていた。
「それでも良いってんなら次回は逃がす。もちろん、最後尾はクララな」
「どうぞ、やっちゃってください」
真顔で言ってきた。
さすがに彼女も自分の身のほうが可愛いようだ。
ふと、クララを挟んだ向こう側に見覚えのある集団が見えた。額に巻いたバンダナが特徴的な、町のならず者風味な大男――ダリオンだ。彼の後ろにはチームメンバーと思しき者が3人続いている。
クララもダリオンの存在に気づいたようだ。「ひっ」と短い悲鳴のような声を漏らしたあと、たたたっとこちらに駆け寄ってきた。まるで人見知りの小さな子供のように背中に隠れてしまう。どうやら苦手意識はまだ顕在らしい。
「どうしてお前たちがここに……?」
近くまで来たダリオンが険しい目つきでそう訊いてきた。後ろのメンバーたちもダリオンと同じような表情でこちらを見ている。
「どうしてって、そりゃあ昇ってきたからに決まってるだろ」
「この前1等級を越えたばかりだったはずだ」
「ズルできないことはよく知ってるだろ」
そもそもそんな〝ズル〟があるのかも知らない。
仮にあったとしても、ここは神の管理下だ。
認められていない行為はできないだろう。
「こんなのありえねぇ……俺たちがここまで来るのにどんだけかかったか……」
ダリオンが瞳孔を開きながら、小さく首を振った。
信じたくないならそれでいいが、こちらから言えることはただひとつ――。
「そんなの知るかよ。俺たちは普通に昇ってただけだ」
これのみだ。
その瞬間、ダリオンが息を呑んだように上半身を強張らせた。次いで両手に拳を作り、ぷるぷると体を震わしはじめる。
「……俺と勝負しろ」
ぼそりと口にした言葉に、彼はさらに続ける。
「赤、青、緑の40階をどっちが早く突破できるか……俺と勝負しろっ!」
まるで喧嘩でも売るかのような熱の入った言葉だった。どうやら彼のメンバーも予想外の行動だったようで、ひどく驚いている。
「悪いけど、断る」
アッシュはそう告げた。
リッチキング戦のために白と黒の塔を集中して昇っていたとき、少し窮屈に感じてしまったのだ。当分は気が向くままに昇りたい。
「……なんだと? 逃げるのかっ!?」
「逃げるもなにも受ける理由がない」
「はっ、負けるのが怖いんだろう」
「なんとでも言ってくれ」
こちらの張り合いのない態度を前にしてか、ダリオンが怒りをあらわにした。
「いいぜ、俺が負けたらこの島を出てってやる! それが条件だ!」
「ちょ、ちょっとダリオンさんっ」
ダリオンの暴走にさすがのチームメンバーも焦ったようだ。ただ、当の本人に止まる気はなさそうだった。こちらに血走った眼を向けながら返答を待っている。
「お前と違って、そういうことに俺は興味がない」
ダリオンが出て行ったところでとくに得することはない。せいぜいクララがいまみたいに怯えることがなくなるぐらいか。と、そばにいたルナが囁いてくる。
「アッシュ、無駄に煽るのは良くないよ」
「べつに煽ったつもりはないんだけどな」
とはいえ、いまにも噴火しそうなダリオンの顔を見れば、ルナが正しいのは間違いないだろう。クララとの問題は解決したのだ。いまさら揉めるつもりはないのだが……。
「お前が受けなくても勝負はする」
どうやらあちらの意志は固いようだ。
これ以上、付き合っても意味はない。
「勝手にしろ。……行こうぜ」
アッシュはクララとルナに声をかけたのち、ダリオン一行に背を向けて歩き出した。おそらく、あと少しで38階を攻略できる。さっさと終わらせて今日中に40階の踏破印を刻んでおきたかった。
「絶対に俺が勝ってやるからな……ッ!!」
後方から聞こえてきたダリオンの叫び声。
アッシュは盛大にため息をつきながら、次の魔物を捜しはじめた。





