◆第二十話『戦いの後に②』
「悪いね、呼び出して」
「いや、こっちも話さないとって思ってたしな」
アッシュは店の入口前の階段に座り込んだ。
ヴァネッサのほうは立ったまま、そばの手すりにもたれかかる。
ひゅぅと風が吹いた。
陽のない時間とあってか、少し冷たい。
ただ、酒で火照った体にはそれがちょうど良かった。
周辺の建物から漏れる山吹色の光。
それらを目にしながらアッシュはゆっくりと口を開く。
「俺がリッチキング戦で見せた姿について、だよな」
「……あれは血統技術なのかい?」
その問いに、アッシュは「ああ」と頷く。
「多くの血統技術の原点となったものだ」
「原点……どおりであたしのものと同じ力を持ってたわけだ。いや、こっちが派生したんだから、この場合は逆か」
ヴァネッサはそうひとり話しながら、納得したように頷く。
「それにしても初めて聞いた血統技術だね。あれだけの力を持ってるんだ。広く知られていないのは違和感がある」
「基本的に俺たちの家系は表舞台に出ないからな。たぶん、派手に暴れたのは初めのひとりぐらいだ」
「……たったひとりの英雄」
ヴァネッサの口から零れたのは、世界に広く知られた神話の登場人物のことだ。
そして――。
「俺の先祖だ」
「はは……これは驚いたね」
あまりに衝撃的だったのか。
ヴァネッサは乾いた笑みを浮かべていた。
「あの力があれば、ここの塔をすべて制覇できるんじゃないか?」
「かもしれないな」
「だったらなぜ使わない?」
彼女の疑問はもっともだ。
アッシュは両手に拳を作って答える。
「俺はあの力を使わずに、自分の力でどこまで昇れるのかを試したいんだ」
「その理屈だと、血統技術を使ってるあたしは自分の力で昇ってないってことになるね」
「俺のは一要素じゃない。ほかの血統技術とはわけが違う」
「たしかにあんたのは、それひとつで完結してるね」
「それにあれを使ってるときは自我もほとんどないんだ。自分が自分じゃなくなる」
アッシュは次いで口にする。
――あれは俺じゃない、と。
《ラスト・ブレイブ》を発動してなにかを成しても、そこに達成感はいっさいない。
今回のリッチキング戦だってそうだ。
あの力を使ってしまったがゆえに討伐成功の気分を味わえなかった。いまも胸中には靄が残ったままだ。もし今回の戦闘が〝寄り道〟の要素でなければ、自分に罰を科していたかもしれない。
「チームを組んだのは戒めかい」
「もしかすると、それもあったかもな。ただ、本当に初めはひとりで昇るつもりだったんだ。けど、考えが変わって……誰かと協力して昇るのも悪くないなって。そう思った」
力不足ながら精一杯頑張るクララ。
仲間のために常に気を配るルナ。
自身の境遇と照らし合わせたとき、彼女たちの姿を見て心に響くものがあった。
この2人となら……と。
「ま、ひとりじゃなくても力試しはできるしな」
「そもそも、ここの塔はひとりで昇ることを想定していないようだからね」
「やっぱラピスは例外ってことか」
「……どうだろうね。少なくとも神の意図ってのを誰よりも痛感してるんじゃないか」
まるでラピスが行き詰っているといった風な言い方だ。……いや、実際にそうなのかもしれない。
この短い間、ヴァネッサとオルヴィ、ドーリエの戦いぶりを見てきたが、いずれも相当な実力者であることがわかった。だが、その3人が協力しても80階は突破できていないのだ。いくらラピスでもひとりでは限界が来ているに違いない。
「アッシュ、このことは?」
ヴァネッサが短く訊いてきた。
おそらく《ラストブレイブ》のことだろう。
「この島じゃ、ヴァネッサしか知らない」
「ってことは二人だけの秘密って奴か」
「そういうことだ。……黙っててもらえるか?」
当然とばかりにヴァネッサが笑う。
「さっきの話を聞いて言いふらすなんて野暮な真似するわけないだろう。安心しな」
「助かる」
ヴァネッサは初対面こそ食えない相手だと思ったが、いまでは気の合う友人のひとりだ。最近は酒を飲み交わす間柄でもあるからか。いまも無言が続いていたが、不思議と苦にはならなかった。
「アッシュ、やっぱりうちに来ないか?」
「冗談はやめてくれ。女になる気はない」
「ハーレムギルドでもいいじゃないか」
「それはそれで島の男と敵対することになりそうだな」
なにしろソレイユは美人揃いだ。
普段は〝オトコオンナ〟と揶揄する男たちも、内心では心惹かれているに違いない。個人的にも多くの美女に囲まれる環境は悪くないどころか最高だとも思う。だが――。
「誘ってくれるのは嬉しいが、やっぱり俺は自由にやりたい」
「残念だ。まあ、そう言うだろうと思ってたけどね」
言葉ほど残念そうに見えないのは、やはり冗談だからだろう。
アッシュはゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ戻るとするか」
「あたしはもう少し風に当たっていくよ。誰かさんにフラれたせいで、そういう気分だからね」
仕返しだ、とばかりにヴァネッサが笑う。
アッシュは苦笑しつつ、店内へと戻った。
◆◆◆◆◆
ラピスはひとり酒場の端でちびちびとジュースを飲んでいた。賑やかなところは好きではない。今回の祝勝会も断るつもりでいた。だが、あることが知りたくて仕方なく参加したのだ。
と、先ほど酒場の外へと出て行ったアッシュが戻ってきた。
知りたいことの答えは彼が持っている。
ラピスは勇んで歩み出すが、瞬く間に彼の周囲に複数の女性が群がり、たどり着けなくなってしまった。
「アシュたん~! ねえ、聞いてよ! ユインちゃんがさ、わたしのこと鬱陶しいって言うんだよ! いくらなんでもひどくない~?」
「常に後ろから抱きついたり、キスをしようとしたりされれば誰でも思います」
「アッシュさん、飲み物をお持ちでないようですね。どれがいいですか? 良ければ、わたくしが頼んできますが――」
アッシュのほうも女性たちに詰め寄られてまんざらでもないようだ。困惑しつつも、ひとりずつ対応していた。
あんな状況ではいつ声をかけられるかわかったものではない。
気は進まないが、答えを知るもうひとりのところに向かうしかない。
ラピスはため息を吐いたのち、酒場の外へと出る。
と、すぐに目的の人物――ヴァネッサを見つけた。カップを片手に持ちながら、入口の階段脇に施された手すりに寄りかかっている。
「ラピスか……どうしたんだい」
少し驚いたように目を開きながら、そう訊いてきた。
「みんなが昏睡してたとき、本当はなにがあったの」
無駄な話はしたくない。
その思いから単刀直入に訊いた。
ヴァネッサが察したように表情を素に戻した。
カップに一度口をつけたのち、微笑を浮かべる。
「アッシュに訊けばいいじゃないか」
「女に囲まれて鼻の下を伸ばしてたわ」
「うちの奴らも、アッシュのことは気に入ってるみたいだからねえ。アッシュ次第で島に初めての子供ができるかもね」
ヴァネッサはおどけた風にそう言った。
この女のこういうところが好きになれない。
「それでどうなの?」
「アッシュが言ったとおりさ。あたしが敵の攻撃を受けた。すべてね」
彼女はまったく動じずにそう答えた。
表情から読み取れるなんて初めから思っていない。
「あなたのことは認めてる」
「あんたがそんな風に思ってたなんて驚きだね」
「でも、あの状況をひとりで凌ぎきれるとはとても思えない」
仮にアッシュがレリックでゾンビの処理をしていたとしても、リッチキングの攻撃はべつだ。いくらヴァネッサでもせいぜい3発程度。アッシュは1発受けられるかどうか。
明らかに受ける駒が足りていない。
そんな状況にもかかわらず、2人は生存していた。
「あの男がなにかしたの?」
勘から導き出した答えだが、それ以外に考えられなかった。
こちらの質問を、ヴァネッサが鼻で笑う。
「たしかにアッシュは腕が立つうえにレリックを持ってる。けど、いまはまだ4等級程度の挑戦者だ。できることなんて限られてる」
「そんなことはわかってる」
「……叩いてもなにも出やしないよ」
隠し事はないとばかりに空いた手を広げると、彼女は楽しげに話を継いだ。
「ただ、あんたがアッシュを気にするのも無理ないかもしれないね」
「わたしはべつにそういうつもりで言ったわけじゃ――」
「アッシュ・ブレイブ……あんな男は初めてだよ。見てるところが違う。あたしとも……きっとあんたとも」
ヴァネッサが意味深な発言をしたあと、じっと目を見据えてきた。
「なにが言いたいの」
「ラピス。あの男、あたしがもらってもいいかい?」
にやりと笑いながら、そんなことを訊いてきた。
「……どうしてわたしに確認するの」
「随分と入れ込んでるみたいだからね」
「目、腐ってるんじゃない?」
「あんたより良い自信はあるよ」
売り言葉に買い言葉。
ヴァネッサと会えばいつもこうだ。
ラピスは大きなため息をついて答える。
「好きにすればいい。わたしには関係ない」
「そうだね。好きにさせてもらうよ」
知りたいことは聞けなかった。
これ以上、ここにいてもヴァネッサの戯言に付き合わされるだけだ。ラピスは店に戻らず、通りのほうへと出た。
「ラピス」
後ろから呼ばれ、足を止めた。
肩越しに振り返って無言で続きを促す。
「そろそろひとりじゃ厳しくなってきたんじゃないかい」
からかうような口振りではなく、気遣うような言葉だったからか。余計に腹が立ってしまった。ラピスは沸き立つ感情を呑み込んだのち、なにも言い返さずに帰路についた。
ただ、その怒りはすぐに収まった。……いや、収まったというよりはべつの気になることで頭が一杯だったというべきかもしれない。
「……アッシュ・ブレイブ」
彼が発する言葉。
時折、見せる笑顔。
記憶の中に残った、ある人物との出逢いを思い出しながら、ラピスは服の下に隠れた首飾りを握りしめた。





