◆第十八話『リッチキング戦・後編』
神や悪魔、竜に支配されていた太古の世界。
すべてを犠牲に戦い、人の居場所を勝ち取った……ただひとりの人間がいた。
ときに英雄として。
ときに化け物として。
神話にも描かれたその人物には、あるひとつの血統技術があった。
単独での戦闘に特化し、多くの血統技術の原点とも言われる、最古にして最強の血統技術。その名も――。
《ラスト・ブレイブ》
アッシュが受け継いだ血統技術だ。
発動はただ剣を持つのみで良かった。
白、黒、青、赤、緑……。
様々な色に彩られた幾層もの風が、同心円状に吹き荒れては辺りへと流れていく。やがて風が落ちついたとき、体が光の膜によって覆われた。
その最中、アッシュは自分の体であるにもかかわらず、自分の体ではないような感覚に見舞われていた。意識はあるが、感情が薄れている。
リッチキングが《シャドウボール》を放ってくるが、光の膜によってあっさりと四散した。さらにもう一発飛んでくるが、同様に弾け飛ぶ。次に放たれた昏睡魔法も同じ末路を辿った。
リッチキングが焦ったかのように両手を持ち上げ、振り下ろした。その両の掌が床に押し当てられたとき、黒い突風が噴出。広間全体へと流れてくる。《ダークバースト》だ。しかも敵はほぼ間を置かずに2度目を放ってくる。
どうやら《ダークバースト》は光の膜では防げないようだった。肌に切り傷が幾つも刻まれる。血が噴き出ては後方へ流れていく。だが、それらの切り傷はぽつぽつと現れた白い燐光群によってみるみるうちに塞がった。
昏睡状態の挑戦者たちが無防備なまま黒の突風に見舞われていた。その体に無数の傷を刻まれながら、広間の入口側へと転がるように追いやられていく。
傷つく味方の姿を見るのは痛ましいが……。
アッシュはかすかに残った感情の中、思う。
いまだけはこれで良かった、と。
リッチキングが手を払って《闇の衣》を展開したのち、すぐさま両の掌を天井へと突き上げた。すっきりとした広間のそこかしこから一斉にゾンビが湧き出てくる。ただ、その数はこれまでよりも圧倒的に多かった。
およそ2倍。
少なくとも200体はいるように見える。
――敵がたくさんいる。
そこに渇きや昂ぶりは存在しない。
あるのはただ倒さなければという使命感のみ。
体を包む光の膜が煌きを増した。
ひとりでも戦えるようにと、あらゆる補助魔法が肉体へと施されているのだ。
限界まで強化された肉体を得て、アッシュはゆらりと動き出した。床が抉れるほどまでに踏み出し、近場のゾンビへと肉迫。薙ぎの一撃を見舞う。と、あまりの振りの速さからか、付随して凄まじい突風が巻き起こった。幾体ものゾンビが宙を舞い、奥の壁へと叩きつけられていく。
後方から迫ったゾンビが肩にかみついてきた。当然、接近には気づいていた。それでも無視していたのは傷をつけられない絶対の自信があったからだ。噛みついた箇所にはまったく傷がついていない。
肩越しに剣を刺してゾンビを引っぺがす。そのまま振り向きざまに剣を振るい、後方にたまっていたゾンビを一気に弾き飛ばした。
ゾンビとの戦闘中にもリッチキングによる攻撃はもちろん続いていた。だが、すべては光の膜によって封殺され、障害にすらならなかった。
いまだにあちこちから聞こえる、ゾンビの声。
アッシュはほぼ無感情のまま、ただ視界に入ったゾンビの処理を再開した。
◆◆◆◆◆
ヴァネッサ・グランは当初の予定より大げさに距離をとって後退。入口付近の支柱に身を隠す形でもたれかかり、ずるずると腰を下ろした。
ここまで距離を置いた理由はただひとつ。
荒い息を整えたのち、支柱の陰から顔だけをそっと出して広間の様子を窺う。
いまもなお、そこでは凄惨な光景が広がっていた。
アッシュがリッチキングの攻撃を受けつつ、大量のゾンビを相手にしている。それも手こずっている様子はいっさいない。リッチキングの攻撃はまるで効いていないし、ゾンビの数もみるみるうちに減っている。
「なんだ、あれは……っ」
70階の主相手でも臆することはなかった自分が、いま、明らかに恐怖している。8等級階層に出現するドラゴンでさえも、あれほどの威圧は発していなかった。
アッシュが先ほど忠告してきた「絶対に目を合わせるな」という言葉。その意味がよくわかった。目が合えば間違いなく殺される。
体こそ人の形だが、あれは――。
ヴァネッサは出かけた言葉を呑み込んだ。
「アッシュ……あんたはいったい……」
ただ、ひとつ疑問が残る。
あれほどの力を持っていながら時間を稼ぐといった言葉だ。あの力ではリッチキングを倒せない理由があるのだ。
それはなにか。
ふと彼の持つ得物に目がいった。
以前、剣を使えないと言っていたはずだ。
しかし、現にいまの彼は剣を持っている。
なぜ、あんな嘘をついたのか。
およそ人とは言えない、いまの彼の姿と関係があるのではないか。たとえば剣を持てばあの状態に変化するといったような……。
だとすれば時間を稼ぐと口にした理由にも納得がいく。
リッチキングが再び展開した《闇の衣》。あそこにただの4等級の武器を、いまのアッシュの力で強引にぶつけたらどうなるか。想像に難くない。
だが、そう上手くいくだろうか。
初めは大量にいたゾンビもすでにその数を少なくしている。いつアッシュの標的がリッチキングに移ってもおかしくはない。
せめて全員が目を覚ますまでは――。
敵ながらゾンビを応援しつつ見守っていた、そのとき。
ヴァネッサは視界の端で動き出したあるものを捉えた。
◆◆◆◆◆
ゾンビの蹂躙はすでに終わりかけていた。
残っているのはあと6体。
アッシュは一振りで4体を屠り、残った2体はまとめて剣で串刺し状態にした。持ち上げてから乱雑に振り落とす。それをもってすべてのゾンビが消滅し――。
ついにリッチキングだけとなった。
近づくなとばかりにリッチキングが《シャドウボール》を放ってくるが、やはり光の膜によってあっけなく散った。
アッシュは敵をじっと見たあと、猛然と駆け出した。距離が詰まるなり、重い一撃を繰り出す。《闇の衣》によって阻まれ、弾かれるが、懲りずに何度も剣を打ち付けた。そのたびにガンガンと甲高い音が鳴り響く。
《闇の衣》には傷がまったく入っていなかった。白の属性石が足りないからだ。しかし裏の意識ではそれを理解できても、表の意識では理解できなかった。
――さらに強い力で攻撃を加えれば破壊できるはずだ。
ただそれだけを思って力の限り剣を振るう。
と、剣身が柄近くから折れ、後方へと飛んでいった。
その瞬間、《ラスト・ブレイブ》の効果が消滅した。
叩きつけるような感覚で意識が戻り、アッシュは眩暈に襲われた。さらに体の感覚も一気に戻り、立ちくらみのようにふらついてしまう。
頭を振ってなんとか正常を取り戻そうとする中、アッシュは悔やんでいた。思っていたよりも早く《ラスト・ブレイブ》が解けてしまったからだ。
加勢が来ないことからしても、まだ味方は昏睡状態から戻っていないようだ。《ラスト・ブレイブ》の発動中に味方が戻るよりはまだ良かったかもしれないが……。
それでも、いまもなお《シャドウボール》が向かってきている状況は、決して良い状況とは言えなかった。
一撃ぐらいなら受けられるだろうか。
いや、おそらく難しいだろう。
迫りくる黒球を目にしながら、そんなことを思ったとき――。
ドンッと何者かに体を弾かれた。
床を転がったのちにすぐさま立ち上がる。と、先ほどまで立っていた場所に《シャドウボール》が着弾していた。床に穴を作った《シャドウボール》弾け飛ぶと、身を守る形で大剣を構えたヴァネッサが姿を現した。
「ヴァネッサ!? どうして……!?」
「いまのあんたじゃ一撃ももたないだろうからね……それから、もう時間稼ぎは終わりだ」
その言葉の意味を理解する間もなく、さらにリッチキングの手から《シャドウボール》が放たれる。だが、それがヴァネッサに命中することはなかった。
「フンッ!」
ジュラル島一の巨体の持ち主。ドーリエが《シャドウボール》を阻んだ。
「ドーリエ……ッ!?」
「あとは任せなっ!」
にっと笑ったドーリエ、その隣で瀕死状態だったヴァネッサの体が光り輝きはじめた。振り返った先、クララ含む回復部隊が後方からヒールをかけていた。その両側からは昏睡魔法から復帰した味方が波のごとく向かってきている。
その中には「わたしの6ハメちゃんないんだけど! どこに行ったのッ!?」と嘆きながら頭を抱えるマキナもいた。……あとでどうにか詫びなければ。
と、挑戦者の復帰を遮るように《ダークバースト》が2連続で放たれた。アッシュは後退に間に合ったものの、やはり多少の損傷はまぬがれなかった。切り傷があちこちに出来上がる。だが、すぐに体が優しい光によって包まれた。ヒールだ。
すぐに振り向くと、オルヴィを見つけた。
どうやら彼女も無事だったようだ。
ふと、視界の中で多くの者が苦痛に顔を歪めているのが見えた。
昏睡時の傷も完全には癒えていないのだろう。
明らかに回復役が足りていない。
さらに追い討ちとばかりにゾンビが召喚される。
数はやはり200体ほど。リッチキングの《ダークバースト》も頻繁に放たれる状況だ。万全の状態ならともかく、いま、あの数のゾンビを相手にするのは非常にまずい。
「オルヴィ、ほかの奴の回復に回ってやってくれ!」
「ですが、わたくしはあなたの専属で……っ」
「《サンクチュアリ》って奴を置いといてくれ! あれでなんとかする!」
彼女も事態の深刻さを理解しているのだろう。
渋々ではあるが、《サンクチュアリ》を展開する。
「死なれると困りますから」
そう言い残して、オルヴィが広間中央へと向かった。
「いまからわたくしが全体の回復を見ます! ほかのヒーラーはわたくしのフォローをっ!」
オルヴィが杖をかざすと呼応するようにすべての味方が白い光に包まれる。委託販売所で売られているのを見たことがあるが、5等級の治癒魔法、《エリアヒール》だろうか。
ただ、あれは4人までだったはずだ。
さらに上の等級の治癒魔法か、それともオルヴィ自身の力か。いずれにせよ、いまは頼もしい限りだ。
アッシュはオルヴィの活躍を横目に新たに展開された《闇の衣》を破壊。攻勢に出るが、思わず顔をしかめてしまう。
ゾンビの処理に追われ、現在、リッチキングを攻撃しているのはほかにヴァネッサ、ドーリエ。そしてラピスのみ。
明らかに火力不足だ。
とはいえ、ゾンビの処理部隊から引っ張ってくるのも難しい。あちらはあちらで限界といったところだ。
オルヴィのほうも全体治癒魔法で相当に魔力を消費しているようだ。その顔がかなり歪んでいる。彼女の魔力が尽きる前に押し切れるかどうか、怪しいところだ。
「……貸しだから」
ふとラピスが大きく後退した。
どれだけ多くの攻撃を加えられるかが命運をわけるときに、いったいなにをしているのか。そう思ったが、なにやら様子がおかしい。
ラピスはリッチキングに対して横向きに槍を構えると、深く腰を落とした。長く息を吐いてから間もなく、彼女の槍から眩い黄金の光が発せられた。それはバチバチと炸裂音を鳴らしながら、渦巻く風とともに辺りへと流れはじめる。
ラピスの血統技術。
――限界突破か。
まるで放たれた矢のごとく、ラピスは一度の跳躍でリッチキングに接近。その光の渦を纏った槍をぶつけ、雷鳴のごとく凄まじい音を轟かせた。光は敵を包むように拡散し、弾けるように消滅する。
これまで損傷を受けても微動だにしなかったリッチキングが、その体を大きくよろめかせた。アッシュは思わず目を瞬いてしまう。
「なんつー威力だ……」
ただ、攻撃を終えたラピスは苦しそうに片膝をついていた。
おそらく先の《限界突破》によって体力を著しく消耗したのだろう。彼女がやけに使いたくなさそうにしていたのも、それが理由だったに違いない。
ラピスの一撃をもってしてもリッチキングはいまだに存在していた。だが、相当な損傷を与えたことは間違いない。しかも破けたローブの中、胸部の骨に包まれる形で心臓のように脈打つ赤い光があらわになっていた。
おそらく、あれが敵の核で間違いないだろう。
アッシュはヴァネッサとともに中央へと向かって駆け出した。その最中、《ダークバースト》の連撃が襲いくるが、構わずに突き進んだ。リッチキングが手を払い、《闇の衣》を展開する。
「俺が道を作るッ! だからお前が決めろ、ヴァネッサッ!」
「言われなくてもッ!」
アッシュはドーリエに放たれた《シャドウボール》の横を通り過ぎながら跳躍。交差する形で放った2発の属性攻撃に続いて、スティレットを《闇の衣》に突き立てた。
「ぉおおおおおお――ッ!」
この一撃で絶対に破壊する。
その意志が乗ったか、《闇の衣》に亀裂が走った。
アッシュは勢いそのままに体ごとぶつかる。
硝子のように砕けた《闇の衣》が光を反射しながら散っていく。その中を突き進んだヴァネッサがリッチキングの胸骨前へと到達。大上段から振り下ろした大剣で敵の胸骨を粉砕した。そして、その先で脈打つ核を捉える。
「ぁあああああああ――ッ!」
核も相当な硬さを持っていたのか。
一瞬の硬直はあったものの、ヴァネッサの一撃が上回った。二つに割れた核から大量の赤い光が漏れはじめる。リッチキングがもがき苦しみながら、まるで大きな鐘を鳴らしたような低い呻き声をあげる。
やがて赤い光がなくなると、その姿も薄れるようにして消えていった。主を失ったからか。処理しきれずに溢れていたゾンビたちも、空気に溶けるようにして煙となって消滅していく。
先ほどまで戦闘音で騒がしかった広間に静寂が満ちる。
本当に倒したのか。
そんな疑念が全員の顔にあらわれはじめたとき。
答えを示すように大量の宝石が玉座を彩るよう落ちてきた。
その瞬間、ヴァネッサはこちらへと勝ち気な顔を向けてきた。それからゆっくり振り返ると、右手に持った大剣を勢いよく掲げた。
「あたしたちの勝利だ……!」





