◆第七話『初めての塔』
翌日、アッシュは陽が昇るより早くに宿を発った。
中央広場を囲む密林に入り、西へと進む。
しばらくして密林を抜けると、一変して荒野が待ち受けていた。
木々だけでなく水場もない。
地面には湿り、黒ずんだ土。
ちりちりと音をたてながら、かすかな熱を放出している。
体が熱い。
これも、この先にあるものを意識してのことだろうか。
視線を上げると、とてつもなく巨大な塔が映り込んだ。
火炎のような赤で染められ、何者をも阻む威圧がふんだんに感じられる。
――赤の塔。
本日、挑もうと思っている塔だ。
荒野を進み、塔の前に到着する。
すでに20人ほどの挑戦者が待機していた。
おそらくチームで分かれているのだろう。
3、4人で固まって武器の手入れをしたり、話し合いをしたりしている。
全員が物々しい装備を身につけ、いかにもこれから狩りといった様相だ。
「新人のアッシュさんですね」
ふいに妙齢と思しきミルマから声をかけられた。
「そうだけど……あんたは?」
「ここ、赤の塔の管理人です」
彼女の髪は塔と同じように赤い。
偶然かもしれないが、なんともわかりやすい。
「ちなみに、ほかの塔にも管理人がいるのか?」
「はい。ただ管理人と言っても塔には干渉はしません。主な仕事は……そうですね。新人さんへの説明ぐらいでしょうか」
「退屈じゃないか?」
「いいえ。ボロボロになって帰ってきた挑戦者を見ながら、今日はどんな酷い目にあったのだろうと想像するのはとても楽しいですよ」
「……なかなか良い趣味をしてるな」
笑顔でさらりと言っているあたり冗談ではなさそうだ。
今後、塔から帰還した際はどれだけ辛くても元気な顔を見せることにしよう。
「それで説明ってのは? 悪いけど手短に頼む。早く昇りたくて仕方ないんだ」
「ご安心ください。そう長い時間はとらせませんので。……塔入口に、円形の陣があるのが見えますでしょうか」
「ああ。左右にひとつずつ」
塔に入るための大きな門の手前。
両側の地面に六芒星の魔法陣が描かれていた。
いまもかすかに青い光を放ち続けている。
「まずは右側からご説明を。あちらはリフトゲートと呼ばれるものです。あれを使えば、ご自身が到達した階まで一瞬で移動できます」
「それは助かるが……えらく楽をさせてくれるんだな」
「試練の塔のように一気に昇るなんてことはとうていできませんので」
つまり、それだけ一階一階が険しいということだろう。
「挑戦者がどの階まで昇ったかは踏破印と呼ばれるもので判断されます。踏破印は各階の入口に置かれている水晶に手をかざせば刻めますので、くれぐれも忘れないようご注意ください」
「了解だ」
あまりに便利な気もするが、リフトゲートを使ってもいまだ塔は誰にも攻略されていないのだ。使わない手はない。
「それからご帰還の際は塔から飛び下りてください」
「えーと……神の御許に帰れってことか?」
「そうではありません。――あっ。ちょうど来ますね。左側の陣を見ていてください」
言われたとおり、リフトゲートとは反対の魔法陣に視線を向ける。
と、魔法陣の上に四人の男がふっと現れた。
尻餅や膝をついた者。
腰に手を当てた者と格好は様々だが、総じて肩で息をしている。
「だから言ったろ! あの階はレイスが出るから俺らじゃきついって」
「でも、あいつのほうが稼ぎが良いし――」
「死んだら元も子もねぇだろうがっ」
会話の内容はいまいちわからない。
が、その様は直前まで魔物と戦っていたかのようだ。
いや、実際にそうなのだろう。
「これは驚いたな……」
「と、あのように戻ってくることができます。……チームの仲は戻りそうにないですが」
嬉しそうに付け足した管理人の言葉は聞き流すとして。
ひとまず飛び下りれば簡単に帰還できることはわかった。
ただ――。
アッシュは塔を見上げる。
外から見ても相当に天井高な造りだ。
2階辺りで、すでに常人が飛び下りれば死ぬ高さに達している。
「怖いのは最初だけです。中には飛び下りることに快感を覚える方もいるぐらいですし」
「……物好きな奴もいたもんだ」
「ひとまず説明は以上です。助言も含め、もっと細かい説明はできますが」
それはいい、とアッシュは即答する。
管理人は目を瞬かせたあと、かすかに笑みを零した。
「わかりました。10階ごと――試練の階だけは少し勝手が違うので無事に辿りつけたらまた声をかけてください」
――無事に辿りつけたら。
口ぶりから察するに辿りつけない者も少なくないのだろう。
「それでは、神アイティエルへの道が切り開けるよう祈っております」
門へと誘うよう管理人が体を横に開く。
アッシュは勇んで歩き出し、門の前に立った。
門は両開きで高さは常人の3倍。
横幅も両手を伸ばしても届かないほど、とかなり大きい。
この先にいったいどんな光景が待ち受けているのか。
胸を高鳴らせながら門を押し開けようとした、そのとき――。
左側の魔法陣から漏れていた光が強くなり、新たな帰還者が出現した。
その姿を見て、アッシュは思わず手を止める。
「お、ラピスじゃねぇか。昨日ぶりだな」
衣装は浜辺で出逢ったときと同じだが、今回はその手に身の丈よりも長いウィングドスピアを持っていた。刺々しい言動の多い彼女にぴったりの武器だ。
「ラピス?」
少し話でもと思ったが、ラピスは見向きもせずに通り過ぎていく。
どうやら無視する気らしい。
なら、こちらにも考えはある。
「おーい……ねこみ――」
続きを口にすることはできなかった。
ラピスの槍が鼻先に突きつけられたからだ。
「次、猫耳の人って言ったら刺すから」
「……わかった。だから、これを収めてくれ」
降参の態度をとっていると、ラピスは渋々ながら槍を下げてくれた。
だが、その目からは依然として鋭い視線を向けられている。
今後は「猫耳の人」と言わないよう本気で注意したほうがよさそうだ。
「いま帰りか?」
「そう見えるなら、そうなんじゃないの」
「聞いたぜ、上位陣なんだってな。すげぇじゃねえか」
「べつに。わたしなんかよりすごい人はいるから……」
ラピスは胸元に左手を持っていくと、なにかを握るように拳を作った。
ペンダントでも提げているのだろうか。
「お、新人が行くのか?」
ふと後ろで待機していた挑戦者たちから声があがった。
どうやら塔に入ろうとしていることに気づいたらしい。
「死んだら教えろよー。酒場で奢ってやるからよ!」
「ははっ、そりゃいい! 俺もだ。俺も奢ってやるよ!」
「おーおー、声援ありがとなー」
次々に飛んでくる冷やかしの言葉にアッシュは手をあげて応じる。
幼い頃から多くの酒場を回ってきた身として、こんな歓迎は慣れたものだ。
ラピスがくだらないとばかりに息をつく。
「呑気なものね」
「先は長いらしいし、適当に気を抜いてかないとな」
アッシュがそう言い終えた直後、ラピスが見開いた目を向けてきた。
異様な驚き方だ。
おかしなことを言ったつもりはないが――。
「おい、どうした?」
「い、いえ。なんでもないわ。ええ、なんでもないの……」
まるで自身に言い聞かせるような口ぶりだ。
何度も頷きながら呼吸を整えている。
「寝不足か?」
「それはない。けど、今日は早く寝ることにするわ」
ラピスはその長い金髪をふわりと舞わせながら身を翻す。
「……せいぜい最初の洗礼で殺されないことね」
そう言い残して、挑戦者の注目を集めながら去っていく。
しかし嫌そうにしながら忠告を残すとは、やはり面倒見のいい人間だ。
ラピスを見送ったのち、アッシュは改めて塔の門へと向かう。
「さて、行くとするか」
やっとだ。
やっとこのときが来た。
抱いた興奮を手に乗せて門を開き、ついに塔の中へと踏み入った。