◆第十四話『昼下がりの雑談』
ぽかぽかと温かな陽射しが落ちる昼下がり。
アッシュはひとり《スカトリーゴ》を訪れていた。ぶらぶらとあてもなく島内を歩いていたところ、自然と足が向いてしまったのだ。
リッチキング戦を明後日に。
作戦会議を明日に控えた、本日。
疲労回復も兼ねて塔昇りは休みということになっていた。
この休みを利用して、クララとルナは服飾屋に行くと言っていた。
そんな洒落た場所が島にあるのかと初めは疑ったものだが、実際に存在する。
しかも4店舗だ。
おそらくはミルマがいるからだろう。
種類も豊富で女性挑戦者には大好評だ。
アッシュは彼女たちに一緒に行こうと誘われはしたが、断った。せっかくの休日だ。女性だけのほうがいいだろうと思ったのだ。
「今日はひとりなのですね」
そんな言葉とともにテーブルにカップが置かれた。
置いたのは、この店の顔とも言うべきミルマ――アイリスだ。
青い給仕服に包まれたその体は、ほかのミルマ同様に女性らしさがふんだんに感じられる。ただ、ほかのミルマにはない品が彼女にはあった。後ろで高く結い上げられた長く美しい髪がまたそれを手伝っているのかもしれない。
「いつも誰かと一緒ってわけでもないしな」
「誰かというより女性と、ではないですか」
アイリスはトレイを胸に抱くと、軽蔑するような目を向けてきた。
「その棘、どうにか抜けないか?」
「棘なんてどこにもありません」
「だったらほかの客と同じに扱ってほしいところだな」
そう願ったところ、なぜかより警戒された。
「言っておきますけど、わたしはほかの方と違ってあなたの毒牙にかかることは絶対にありませんから」
「毒牙って……俺をなんだと思ってるんだ」
「店に来るたび違う女性を連れてくる色情魔です」
即座にそんな回答が返ってきた。
偏見に満ちあふれているが、〝色情魔〟を除けばあながち間違っていないのがなんとも反論しにくいところだ。
「まったく、どうしてこんな人を気にかけているのか。わたしはベヌス様のことがわかりません……」
「ベヌスが俺を気にかけてる?」
アイリスの口からため息交じりにこぼれた言葉。
それは、聞き逃すには少々疑問だらけのものだった。
しまったとばかりにアイリスがまぶたを跳ね上げる。
だが、すぐさま取り繕うように真顔になった。
「……いまのは忘れてください。わたしの独り言です」
「ベヌスってミルマの長だよな。俺、会った覚えないぜ? どうしてそんな奴が俺を気にかけるんだ?」
「わたしは忘れてくださいと言いました」
アイリスは胸に抱いたトレイをぎゅっと握りながら、威圧を込めて言ってくる。どうやら彼女にとってかなり都合が悪いことのようだ。
「わかったよ。アイリスが俺を敵視する理由もわかったし、それで満足だ」
「……はい?」
「理由はわからないが、ベヌスが俺を気にかけてる。それが面白くないから俺にきつく当たってるんだろ?」
彼女の口振りから、そのように判断したのだが……違ったのだろうか。そう思いながら様子を窺っていると、まさにそのとおりだとばかりに彼女は言葉を失っていた。
「やっぱりそうか」
「ち、違います! わたしはそんなことで嫉妬したりは――」
必死になって否定しはじめるアイリス。
そんな彼女を見て、アッシュは思わず笑みをこぼしてしまった。
それが気に障ったのか、アイリスが眉根を寄せる。
「……なんですか」
「いや、アイリスもそんな風に取り乱したりするんだなって」
そう告げた途端、アイリスが一気に顔を赤くした。
顔をトレイで素早く隠したのち、目だけを覗かせてぎりりと睨んでくる。
「帰ってください」
「まだジュースが残ってる」
「あなたが客でなければ、いますぐにでも叩き出していたところです……」
口惜しいとばかりにトレイの縁を握る。
みしりと軋むような音が鳴った気がしたが、聞かなかったことにした。
「まったく……レリックを手に入れて少し調子に乗っているのではないですか」
「レリックのこと、知ってたのか」
漏れたところでとくに問題はないことだ。だが、知られているとは思っていない相手だったこともあって、思わず警戒心を強めてしまった。
「当然です。ミルマの情報網を甘くみないでください。あなたがソレイユとリッチキングに挑もうとしていることだって知っています」
「マジかよ」
どこから漏れたのか。
そんな疑問が湧いたものの、考えるだけ無意味だということに気づいた。なにしろ相手は神の使いだ。そして、この島は彼女たちの領域でもある。
「なあ、アイリス。そのことは――」
「わかっています。いくら色情魔のこととはいえ、言いふらすようなことはしません」
「助かる。色情魔ってのは余計だけどな」
「余計どころか必須です」
先ほどのやり取りを根に持っているのか、彼女は不機嫌な様子で言った。かと思えば、なにやら息を吐いて怒気を抜き、じっと見つめてくる。
「勝てると思っているのですか?」
「……リッチキングにか?」
一瞬なんのことかと思ったが、それしか思いつかなかった。
アイリスは答えずに話を続ける。
「大型のレア種は等級を無視して配置された魔物です。38階だからといって4等級というわけではありません」
「つまり10等級相当かもしれないってことか?」
「……レリックの有無に関わらず簡単に倒せるような敵でないということ。ただそれだけです」
あまり感情がこもっていない。
だからこそ真に迫ったように感じられた。
「ま、そう言われたところで止めるつもりはないんだけどな」
「わたしは忠告しました。あとはお好きにどうぞ」
あっさりと引いたように見えて、彼女はわずかに不機嫌な顔をしていた。
「心配してくれてありがとな」
「……そんなつもりで言ったわけではありません。ただ、塔の中に無駄な死体を作りたくないだけです」
「それでも充分だ」
こちらの気の抜けた態度に勢いをそがれたか。
アイリスは呆れたように息をはいた。
「本当になんなのですか、あなたは……」
「とりあえず色情魔じゃないことはたしかだ」
そう答えたのち、アッシュはカップの中を一気に飲み干した。中に入っていたのは初日に飲んでから癖になってしまったクルナッツのジュースだ。口内に残った粒を噛み砕きながら席を立つ。
「今日は話に付き合ってくれてありがとな」
「べつに付き合ったわけではありません。ただ、追い返そうとしていただけです」
最後まで棘は鋭いままのようだ。ただ、今日の会話で彼女のことを少しは知れたからか、以前のようにいやな気分にはならなかった。むしろ、面白いと感じる自分がいるぐらいだった。
「また来る」
そう言い残して、アッシュは店をあとにした。