◆第十話『ある日の昼休み』
白の塔をあとにしたのち、真っ直ぐに中央広場へと戻ってきた。
これから塔に昇りに行く者や、昼食のためにと一時帰還した者が多くいるからか。いつものごとく活気に溢れた光景が広がっている。
「防具の交換石、どうするか」
「3等級だもんね。売っちゃう?」
「でもこれ、ガーディアンの脚なんだよな」
言いながら、アッシュは手に持った防具の交換石をかかげた。防具交換石は、表には武器交換石と同様、等級の数字が刻まれている。だが裏は違う。とても簡易な……なんとなくで部位がわかるような絵が描かれている。
ちなみに部位の種類は4つ。
胴、腕、脚、足だ。
「一応、アッシュが持ってる部位と被ってないし、置いておくってのも手だと思うよ。4等級で出るかは怪しいしね。もし出なかったとしてもボクが使うよ」
そんな相談をしながら、北側どおりを歩いていると――。
「あれ、アシュたん一行じゃん~」
後ろから覚えのある声が聞こえてきた。
振り向くと、2人の挑戦者が目に入る。ひとりは髪を片側で結った、垢抜けた雰囲気の少女。もうひとりは金髪に褐色肌の小柄な少女。
ギルド《ソレイユ》のメンバー。
マキナとユインだ。
「……マキナ。それにユインも」
「どうもです」
言って、ユインがちょこんと頭を下げる。
淡白なところは相変わらずのようだ。
「奇遇だねー。今日は狩りいってないの?」
「お昼からはお休みってことになったんだー」
マキナの問いに、クララが弾んだ声で応じる。
よほど休みが嬉しかったらしい。
「なるほどなるほど。わたしたちのほうは昼過ぎからってことになってるんだよね。だからそれまでブラブラ~」
「いいなぁ。あたしももう少し朝はゆっくりしたいかも」
「朝に弱い人間に早朝狩りはきついもんねー」
「うん、ほんとそれだよ。あたしもお願いしてみよっかなぁ」
「しちゃいなよ。ほら、アシュたんとか色仕掛けに弱そうだし」
「い、色仕掛けって……無理無理っ」
クララとマキナがその場で盛り上がりはじめた。
お調子者同士、きっと気が合うのだろう。
それにしても〝色仕掛けに弱そう〟とは……。
変な決めつけについては断固として否定したいが、下手に口を出せばマキナに餌をあげるようなものだ。ここは流しておくのが一番だろう。
目の前で繰り広げられる、〝女同士の会話〟にルナは混ざらないのかと思ったが、どうやらこのノリは苦手のようだ。彼女は苦笑しながら2人を見守っていた。
もうひとり、同じように距離をとっている者がいた。
ユインだ。
と、偶然にも彼女と目が合った。
ついでとばかりにアッシュは話しかける。
「ユイン、狩りのほうの調子はどうだ?」
「はい。おかげさまでなんとか」
そう答えたユインにマキナが抱きついた。
頬をすりつけながら、にししと笑う。
「いまはわたしと同じチームなんだよねー」
「非常に残念ですが」
「残念ってひどぉっ」
「冗談です」
「だ、だよねー。びっくりした……」
「と言いつつ半分本気です」
「えぇぇええっ」
なんとも忙しい会話だ。
そのやりとりから判断しづらいところもあるが、2人の仲はかなり良さそうだ。微笑ましいやら騒がしいやら複雑な気分で見守っていると、マキナがくいっとこちらに顔を向けてきた。
「そだっ。アシュたんたち、これから予定あるの?」
「いや、とくには決めてないな」
マキナが「ふーん」と生返事をしたあと、俯いて悩む素振りを見せた。それからなにか閃いたのか、がばっと顔を上げる。
「ねえねえ。わたしたちこれからお昼食べに行くんだけど、一緒にどうかな? この間のお詫びもしたいしさ」
どうする、と仲間に確認をとろうとするが、訊くまでもなかった。
「行きますっ!」
クララが手を挙げて即答していた。
◆◆◆◆◆
「どうぞ、ごゆっくり」
机に注文した品が並べられたあと、最後にゴンッと荒々しくカップが置かれた。なんとなく予想していた状況だけに、この《スカトリーゴ》に来ることは避けたかったのだが……今回は奢ってもらう身。場所選びに強く言えなかった。
店員――アイリスが去っていく。
終始笑顔の彼女だったが、攻撃的な感情が滲み出ていた。そこには全員も気づいていたようで場の空気が見事に固まっていた。マキナにいたっては怯えている始末だ。
「ア、アシュたん……なにか恨まれるようなことでもしたの?」
「いや、してない。してないはずだ」
「にしては凄い怒ってたみたいだけど」
本当に身に覚えがなかった。
一度、女癖が悪いことを指摘されたことはあるが、誤解としか言いようがない。そもそも、それ以前より嫌われていたのだ。もっとべつの理由があるに違いない。
「アッシュくんって色んな人に馴れ馴れしいから、きっと知らないうちに、ね」
「なるほどねー」
「納得するなよ」
なんとも不本意な印象を抱かれているようだ。
特別なことはしていないつもりだが、身の振り方を考えたほうがいいかもしれない。などと考えていると、マキナが「それにしても」と嘆くように声を荒げた。
「ユインちゃん、なんで一番遠いところなのっ。わたしの隣に座ればいいのにっ」
丸テーブルの席についているのだが、ユインの席はちょうどマキナの対面だった。マキナの熱烈な愛情表現に、ユインが淡々と応じる。
「マキナさんの隣だと抱きつかれて上手く食べられなさそうですし」
「そ、それはユインちゃんへの溢れる愛ゆえに……」
「そんな愛はいりません」
「はうぁっ」
マキナは衝撃を受けたように仰け反ったあと、こちらを睨んでくる。理由はもちろん、ユインの隣に座っているからだ。
「ぬぅ……どうやらアシュたんはわたしのライバルになりそうだね……」
「みなさん、マキナさんは放っておいて食べましょう」
「そうだな」
「うん、ボクもうお腹ぺこぺこ」
「はーい、いただきまーす」
「え、ちょ、ちょっと! わたしの扱いひどくないぃ~!?」
奇しくもマキナの嘆き声が食事開始の合図となった。
夜とは違って昼の《スカトリーゴ》は軽食がメインだ。中でも人気なのは海鮮サラダで女性陣も漏れずに注文していた。ほかにはサンドイッチとパンが幾つか置かれている。
肉ばかり食べたい人間としては物足りなかったが、これでも普段の食事に比べれば充分に豪勢なものだ。アッシュはありがたく口に放り込んでいく。
「塔のほうは順調に昇れてるのー?」
いつの間にやら機嫌を戻したマキナがそう訊いてきた。
クララが口内のものをごくんと呑み込んで答える。
「うんっ、さっき白の30階突破してきたところだよ」
「へ~、それはすごいね……って、はやっ!」
言って、くわっと目を見開くマキナ。
いちいち反応が大げさで見ていて飽きない。
「いや、マスターがいけるって言ったから突破は疑ってなかったけどさ……それにしても早くない? 白の塔、まだ全然昇ってなかったんでしょ?」
「ああ。でもほかは3等級まで行ってたしな」
「だとしても早いよ。早すぎるよっ」
マキナはなにやら顎に手を当てると、格好つけたように言う。
「これは久々に70階突破者が出るかもね……!」
「70階じゃなくて100階到達者だな」
すかさずそう言い返すと、マキナが目を瞬かせながら硬直した。
ルナがフォローとばかりに口を挟む。
「ごめん。アッシュはこういう人間なんだ」
「なんかその言い方だと俺が変な奴みたいだな」
「だって、ねぇ」
クララがルナと顔を見合わせながら頷く。
どうやら2人の間では〝変な奴〟で確定しているらしい。
「みんな100階目指して来てるんだし、別におかしくないだろ」
「まあ、それはね。でも島に来てから現実ってものを目の当たりにすると、アシュたんみたいになかなか言い切れないものだよ」
マキナの言葉に、うんうんと頷くクララ。
ルナも思うところがあるのか複雑な表情だ。
ただひとりユインだけは黙々とサンドイッチをかじっていた。かと思うや、咀嚼をやめて、ちらりと視線を向けてきた。
「わたしは良いと思います。アッシュさんみたいなの」
「お、さすがユインだな。わかってる」
そうおだてると、ユインはすっと視線をそらして食事を再開した。もしかしたら照れているのかもしれない。心なしか頬がほんのりと赤らんでいるように見えた。
「あ、あたしだってアッシュくんのそういうところ凄いって思ってるよ!」
「ボクも否定してるわけじゃないからね。むしろそういうアッシュだからこそ一緒に組みたいなって思ったわけだし」
と、クララに続いてルナも加勢してきた。
そんな2人を見て、マキナがおろおろしはじめる。
「あ、あれ。なんか一気に風向きが……」
「マキナ、今一度初心に帰るべきかもしれないぜ」
「うぐっ……わ、わたしだって昇れるなら昇りたいっていまでも思ってるし! 諦めたわけじゃないしっ」
マキナがふて腐れたようにぷくっと頬を膨らませたあと、ごくごくとジュースを飲んだ。彼女が頼んだのはクルナッツのジュース。甘さで癒されたのか、彼女の表情はみるみるうちに和らいでいく。
「でもさー、アシュたんって金欠じゃない?」
いきなりぶち込まれた質問に、アッシュは思わず固まってしまった。
「やっぱり……そんなとんとん拍子で昇ってたら金欠にもなるよ。普通はもっと時間をかけて昇るものだし」
金欠の原因は塔を昇るのが早いから。
わかってはいたことだが、なんとも複雑な気分だ。
とはいえ、昇れるのに昇らないのはなにか違うような気もした。きっと、この辺りは臨機応変にやっていくしかないのだろう。
「わたしだってやっとの思いで強化終わったところだし」
「白の属性石か?」
「そそ。ちょうど持ってきてるし、見てもらおっと」
マキナが腰に提げていた剣を鞘つきで取り出した。
横向けた状態で見せつけてくる。
「じゃーん、4等級6はめ! いいでしょー!」
正統的な長剣。
刀身が真っ直ぐな、なんとも〝使いやすそうな〟代物だ。
彼女の言葉どおり柄には白の属性石が6つはまっている。
オーバーエンチャントを2回成功させたというわけだ。
いまだにオーバーエンチャントの凄さはわからないが、彼女の自慢げな態度からも相当に良品であることは窺える。ただ、個人的にはほかに気になることがあった。
「っていうかマキナって4等級だったんだな。もっと進んでるかと思ってた」
「ぐっ」
得意気だったマキナの顔が一気に歪んだ。
どうやら禁句だったらしい。
ふいに、くいくいとユインから袖を引っ張られた。
「マキナさん、待っててくれたんです」
一瞬、意味がわからなかったが、すぐに答えに行きついた。つまりユインがソレイユに戻ってくることを見越して、一緒に昇れるようにと待っていた――そういうことだろう。
「なんだ、意外と優しいとこあるんだな」
「べ、べつにそういうんじゃないしっ。たまたま行き詰っててそれでっ。っていうか意外ってなんだよー! もーっ!」
どうやらマキナは褒められることに慣れていないようだ。顔を真っ赤にしながら、早口で言い訳をしはじめた。
「ほら、わたしってどんくさいっていうか、色々抜けてるとこあるしっ」
「たしかに、勘違いで俺たちに絡んできたもんな」
「あっ、それは言わない約束! ユインちゃんが連れていかれるって必死だっただけだしっ!」
立ち上がって暴れるように手を空中で踊らせるマキナ。そんな彼女の滑稽な姿を見てか、ユインがくすりと笑みを零していた。
ユインがソレイユで上手くやっているのか。
そんなことを思っていたのだが、どうやらいらぬ心配だったようだ。
アッシュはユインにだけ聞こえる声で言う。
「良い仲間だな」
「……はい。少し面倒で暑苦しいですけどね」
そんな言葉とは裏腹に、彼女の顔は幸せで満ちていた。





