◆第九話『白の塔30階』
「アッシュくん、ほんとに良かったの?」
白の塔20階を突破してから2日目のこと。
朝一番に寄った鍛冶屋から出てきたところで、クララが不安そうに訊いてきた。
「良かったってなにがだ?」
「武器のことだよ」
とクララの代わりにルナが答えた。
「ああ……良いもなにも、こうするのが一番だと思ったからな」
実は昨日、白の塔30階に挑戦したのだが、あえなく撤退した。これまで以上に敵が手強いこともあったが、一番の敗因は単純な火力不足だ。
レリックは質こそ上等だが、低階層ではそれも過剰でしかない。特徴の属性攻撃も同属性が相手では効果薄。白の塔において、レリックを使うことはむしろ枷になっているとも言える状態だった。
そこで今回、新たに3等級の武器に黒の属性石を3つはめることにしたわけである。形状はいつものごとくスティレットだ。
「でも、お金……」
クララが申し訳なさそうに口にする。
3等級の武器交換石は道中で入手したものを使わせてもらったが、黒の属性石は委託販売所で購入した。かかった費用は1万8千ジュリー。最近の狩りで貯まっていたすべてが綺麗に消し飛んだ。まさに本日の狩りで今夜のおかずが決まる状態だ。
「どうせ30階を突破したらしばらくは腰を据えて白の塔で狩ることになるんだ。黒の属性石をはめた武器を持ってても損はない」
レリックという現状最高の武器を譲ってもらったのだ。これぐらいの負担は自分でしたい。それに属性石はオーバーエンチャントで溶かしさえしなければ使い回しできるものだ。先行投資として考えれば悪くはない。
アッシュは新武器に手を当てながら、北にそびえる白の塔を視界に収めた。
「とにもかくにも、これで準備は整ったことだし、今日こそ30階を突破するぞ……!」
◆◆◆◆◆
ぺたりぺたりと素足で歩きながら、それは姿を現した。
ローブを羽織っただけの齢12歳程度の少年。真っ白な姿でいかにも聖属性といった外見だ。手には魔導書らしき本を持っている。
白の塔30階の主。
――ラフス・アロス。
ルナ曰く、マリハバがある北東大陸のとある地方の神話に出てくる魔法使いの少年らしい。
悪魔として迫害されながら、ついぞ少年の心が穢れることはなかったという。そして、その純粋な心が世代を越えて評価され、いまでは信仰の対象となっている、と。
つまり元となったのは神とも言える存在。
力のほうも、相応しいものを擁していた。
敵は片手で魔導書を開きながら、空いた手を払うように振るった。応じて雲のような霧状の光が飛んでくる。見た目こそ迫力はないが――。
「避けろッ!」
アッシュは声をかけ、クララやルナと別方向へ駆け出した。と、虚空を貫いた霧状の光が後ろの壁に激突。凄まじい轟音を響かせる。
昨日、一度だけあれに当たってしまったが、意識が飛びそうなほどの衝撃だった。もう二度と喰らいたくはない。
接近者がいなければ、敵はいつまでも先の攻撃を繰り返す。アッシュはスティレット、ソードブレイカーを後ろへ流す格好で構え、疾駆。敵へと瞬時に肉迫し、飛びかかる。
が、繰り出したスティレットの尖端は黄金色をかすかに帯びた透明の壁によって阻まれた。その壁は球状に敵を囲んでいて穴はどこにもない。
敵が掌を床に押し当てると、連動するようにこちらの足下に六芒星の魔法陣がふっと現れた。アッシュは魔法陣の上からすかさず飛び退いた。
直後、魔法陣から先端の尖った光柱が勢いよく飛び出てきた。もし留まっていたら串刺しになっていたことは間違いない。
なおも足下に魔法陣が描かれ、光の柱が連続して襲ってくる。この攻撃は、接近中は常に放たれることを前回の挑戦で確認している。アッシュは柱を躱すために走り続けながら、敵の障壁へと2本の短剣を振るう。隙間を縫うようにクララ、ルナも攻撃を浴びせ続ける。
と、壁にひびが入った。
さらに根のように亀裂が走り、ついには硝子が割れたように散った。
――敵を守る壁はなくなった。
「いまだ!」
3人揃って総攻撃をしかける。敵のローブが裂け、その肉体に傷が刻まれていく。外見が少年の姿とあってあまり良い気分ではないが、あくまでこれは神に敵として造られた虚構の存在。構うことはない。
少年が悲鳴を上げながら魔導書を天へと放り投げた。
ぱらぱらとページがめくられる音が広間に響く。
「アッシュくん、来るよ!」
クララがそう叫んだ直後、天井から4本の柱が降ってくると、方形を組むように敵を囲んだ。それらは眩い光を中央の敵に向かって照射した。その瞬間から、みるみるうちに敵の傷が治まっていく。
「急げ!」
4本の柱を素早く壊さなければ、敵は全回復してしまう。前回、撤退を余儀なくされたのはこれが理由だ。一定時間内に柱を壊せなかった。
ちなみに柱を無視して押し切れないか一度試したが、結果は回復力のほうが圧倒的に上回っていたために失敗に終わった。
後衛の2人が同じ柱に集中して攻撃する中、アッシュはひとりで別の柱を攻撃しつづける。近接攻撃しかないので移動距離を省くためだ。
2人が2本の柱を壊す間になんとか1本を破壊できた。昨日はもっと時間がかかっていただけに、黒の属性石の効果がいかに大きいかが実感できた。
――なにはともあれ、残るは1本。
「アッシュは敵のところへ!」
「あとはあたしたちがやるよ!」
「わかった!」
アッシュは敵との距離を詰める。間近まで迫ったとき、がらがらと柱が崩れ落ちる音が聞こえてきた。同時、敵がもがき苦しむように悲鳴をあげ、まるで首だけを糸で吊られたように脱力した。
ここからは未知の領域だ。
ただ、いまがトドメを刺す最大の機会だと感じた。アッシュは迷うことなく敵へと向かい、スティレットの尖端を顔面に刺し込んだ。敵の口から奇声が漏れたところでさらに首を飛ばした。
頭部がごろごろと転がる中、胴体のほうもどさりと倒れる。
「た、倒した……!?」
クララが不安げに訊いてくる。
さすがに倒したと思いたいが、やけにあっさりとした終わりだった。アッシュは警戒を緩めずに待っていると、周囲に散らばった柱の破片が敵の肉体に勢い良く集まりだした。
見る間に合流を果たした敵の肉体と柱の破片は、先の少年をそのまま成人化したような人型へと変貌した。〝神話ではなかった少年の怒り〟を表現しているのか。その顔はひどく険しく描かれている。
と、なにやら敵がローブの上半身を破くと、その隆々とした筋肉を見せつけるように両腕を広げた。
「えぇっ、脱いだぁっ!?」
クララが悲鳴にも似た声をあげる中、敵がこちらに向かって拳を真っ直ぐに突き出してきた。だが、充分な距離がある。届くはずもないのにいったいなにを――。
と思った瞬間、敵の拳と腕をそのまま巨大化したような白い虚像に全身を叩かれた。アッシュは勢いよく後方へ吹き飛ばされ、壁に激突。むせ返りながら崩れ落ちる。
「アッシュくんっ」
「くそっ、なんだいまのは……っ」
手も足も痛むが、感覚はある。
視界のほうは少し揺れていた。
首を振りながら視線を上げると、またも拳を突き出そうとしている敵が映り込んだ。が、その拳が振られる直前、横合いから敵のこめかみにルナの矢が刺さった。かくんと敵の頭部が傾く。
「クララ、いまのうちにアッシュを!」
「う、うんっ」
敵はルナのほうへと完全に標的を定めたようだ。その拳を幾度も突き出しながら、ルナへと攻撃を繰り出しはじめる。ルナは軽やかな身のこなしで敵の攻撃を予測しながら避けていく。さすがだが、余裕はあまりないように見える。
「アッシュくん、大丈夫?」
「ああ」
駆け寄ってきたクララがヒールをかけてくれる。
温かい光に包まれる中、アッシュは思わず口の端を吊り上げてしまった。
「え、なんで笑ってるの?」
「いや……この島で、ここまででかい一撃もらったのは初めてだったからな」
「それで笑うのアッシュくんだけだよ……」
「はっ、そうかもな。けど、面白くなってきたんだから仕方ない」
アッシュは立ち上がった。
ヒールのおかげで痛みはほぼない。
揺れていた視界ももう収まった。
「もう大丈夫だ。ありがとな、クララ」
「う、うん」
「よし、仕返ししてくるぜっ」
「仕返しって……喧嘩じゃないんだからっ」
クララの呆れ声を聞きながら、アッシュは短剣を握りなおして駆け出した。敵も接近に気づいてか、標的をこちらに戻した。拳を突き出してくるが、二度も食らうほど複雑ではない攻撃だ。限界まで待ってから床を蹴りつけ、真横へと回避する。巨大な虚像の拳がすぐそばを突き抜けていく。
敵を見れば、今度はハンマーのように振り下ろそうとしていた。動作こそ違うが、攻撃範囲は〝突き〟と変わらない。またも同様の回避でやり過ごす。
――あと少しで肉迫できる。
そう思った矢先、敵がフックを繰り出そうとしていた。
虚像の攻撃は巨大なために上下の回避場所はない。
このままでは間違いなく直撃を受ける。
アッシュは左手に持っていたソードブレイカーを敵の頭上めがけて放り投げた。その後、素早く鞭を手に取って攻撃を繰り出す。と、麻痺の効果で敵の拳が一瞬だけ止まった。
その間を利用して敵との距離を詰め――鞭を捨てて、上空を舞っていたソードブレイカーをキャッチ。2本の短剣を敵の胸元へと思い切り刺し込んだ。
スティレットのほうが深く突き刺さったが、ソードブレイカーのほうも充分なほどめり込んだ。敵が雄叫びのような慟哭をあげる。これで決まるかと思いきや、敵の両手はこちらを掴もうと動いていた。慌てて短剣を抜いて離脱する。
と、敵の胸元につけた傷がみるみるうちに塞がっていった。
高い自然治癒能力を有しているのか。
それとも魔法によるものか。
いずれにせよ――。
「だったらもっと喰らわせるまでだッ!」
アッシュは血気盛んに敵へと飛びかかった。
敵が応戦しようとまたも右拳を振ろうとする。が、動き出した瞬間にスティレットを肩に刺して止めた。今度は無事な左腕を動かそうとしていたが、すぐさま抜いたスティレットでまたも止める。もがこうと地団駄を踏みはじめた両脚にも短剣をぶっ刺し、静かにさせた。
その瞬間を境に、アッシュは止めどない攻撃を浴びせた。敵が崩れ落ちはじめたところで背後から力の限りスティレットを突き刺す。
「クララ、ルナ!」
そう呼びかけながら、スティレットから抜くようにして敵を蹴り飛ばした。よたよたと前に歩みだし、倒れかけた敵にルナの矢が幾本も刺さる。その場で体を躍らせた敵に、トドメとばかりにクララのフロトスレイが見事に命中した。
さすがにやりすぎだったのか。
敵は最期の声を残すこともなく、その場で溶けるように消滅していった。
無呼吸で連撃を繰り出したので息がひどく乱れてしまった。アッシュは短剣を収めながら、ゆっくりと呼吸を整えていく。一緒に興奮していた感情も抑えたのち、先ほど放った鞭を拾った。
「さすが30階。タフな敵だったな」
「って言っても、ほとんどアッシュがやっちゃったけどね」
合流したルナが呆れ半分にそうこぼすと、続けて言った。
「今日ほどアッシュを恐ろしいと思ったことはないよ」
「うん、今日のはいつも以上に凄かった感じ」
こくこく、とクララも頷く。
二人とも本気で怖がっているわけではなく、冗談交じりといった様子だった。島の外でこんな戦い方をすれば間違いなく化け物扱いを受けていただろう。しかし、ここはジュラル島。超人、英雄級が集う場所とあって強さには寛容のようだ。
「じゃあ、もっと上に行ったら、もっと怖がられるかもな」
「それはちょっと興味があるね」
アッシュは肩をすくめてルナの言葉を躱すと、敵が消滅した場所――戦利品が落ちている場所へと視線を戻した。
「さて、戦利品確認といくか」
「はーいっ」
3人揃ってしゃがみ込み、戦利品を確認する。すでにガマルが食べはじめていたのでジュリー以外を特定しやすい状況だ。そんな中、誰よりも早く手を伸ばしたのはさすがのクララだった。
「これって魔石だよねっ!?」
「3等級だから……《マジックシールド》かな」
「やった! 3万ジュリー浮いた!」
すぐにジュリーに換算するところがなんともクララらしい。
ルナが「あっ」と言って手を伸ばした。
「属性石が出てるね」
「これでアッシュくんのレリックがようやく完成だね」
「ほかは防具の交換石が1つか……大収穫だな」
「うん、ほくほくだよっ」
クララは久しぶりの魔石入手で嬉しさ爆発といった様子だ。こちらも3つめの属性石をレリックにはめられるとあって、他人のことを言えないほどには高揚していた。
アッシュは立ち上がって、受け取った属性石をポーチに入れる。
「ひとまず、これで中間の目標は達成だな」
「ここからは装備収集のためにひたすら狩りだね」
ルナの発言後、クララが恐る恐るといったように訊いてくる。
「ね、もしかしていまから次の階層で狩りするの?」
「時間的にはまだ昼にもなってないしな」
「でも、最近狩りっぱなしじゃない?」
そう口にするクララは少し涙目だった。
「たしかにほとんど休みなしで塔を昇ってたね」
とルナも同調するように言う。
振り返ってみると、まさにそのとおりだった。
言うほど疲労は感じないが、自分でも気づいていない可能性もある。
「そうだな。今日は思い切って休むか」
「やったーっ!」
「その代わり明日からは夜までたっぷり狩るからな」
「うん、わかってる! 久しぶりのお休みーっ」
休みが決まった途端にはしゃぎはじめるクララ。
その姿からは疲労なんてものは微塵も感じられなかったが、それを指摘するのはいまさら野暮というものだろう。アッシュはルナと苦笑し合ったのち、塔の縁からいち早く飛び下りようとするクララのあとを追った。





