◆第七話『ジュラル島の裏・前編』
ブランの止まり木で夕食をとったのち、アッシュは散歩がてら中央広場への通りを歩いていた。夜空に点々と描かれた星を見上げながら、今日の狩りのことを思い出す。
20階を攻略したあと、時間も余っていたので先へと進んだのだが……。
3等級階層の基本魔物であるハーピー。さらにスピリットの大型版に新種の魔物となかなかに厄介な敵が多く、思うように進めなかった。おかげで到達階はまだ23階だ。
ただ、だからといって悲観はしていない。むしろ歯ごたえある魔物相手に、明日はどのように立ち回ろうかと考えるだけで楽しくて仕方なかった。
「や、やめてってば」
「ひとりで出歩くたあ馬鹿な奴だぜ」
ふいにどこからか声が聞こえてきた。
少し遠いために聞き辛かったが、不穏な会話だった。
声を辿って路地裏に入り、角をひとつ曲がる。と、3人の男がひとりの女を囲んでいる場面を見つけた。アッシュは角に戻り、陰から様子を窺う。
「わたしに手を出したらマスターが黙ってないから……!」
「お前が喋れないぐらいのことすりゃ良い話だ」
「一夜限りの関係って奴だ。朝まで楽しもうぜ」
下卑た笑いが路地裏に響く。
なんともクズな野郎どもだ。
見ているだけでも吐き気がする。
女のほうは覚えのある顔だった。
たしか見たのはソレイユの酒場だ。
助けるか否かは考えるまでもない。
相手は3人。
等級は……ひとりの男が背負った斧に4つの属性石がはまっているのを確認できた。空の穴が見えないことからも4等級である可能性が高い。おそらくほかの男たちも同格だろう。
到達階では格上だが、こちらにはレリックがある。
武器の質で劣りさえしなければ負ける気はしない。
ただ、馬鹿正直に呼びかけてから仕掛けても余計な手間がかかる。ここは奇襲で一気に終わらせるべきだ。そう考えてから、アッシュは相手の武器の位置を把握後、2本の短剣を抜いて飛び出た。
まずは斧を背負っていた男に接近した。収める皮の帯を裂き、落ちはじめた斧をソードブレイカーで引っかくようにして路地の手前方向へ弾き飛ばした。
「な、なんだこいつっ」
ようやく気づいた斧の男が振り向いて右拳を繰り出してくる。さらりと回避しつつ、相手の甲へとスティレットを突き刺した。男が手を押さえて大声で呻きはじめる。
「このやろうっ!」
別の男が正統的な長剣を振り下ろしてきた。それを躱してまたも手の甲へとスティレットをぶっ刺す。開かれた手から零れ落ちた武器を蹴って敵から離す。
残った3人目がサーベル型の剣を振り上げていた。アッシュはスティレットを振って斬撃を放ち、サーベルを弾き飛ばした。さらに背後へと回り込み、首元へと剣先を突きつける。
「いきなりやってきてなんなんだよ、お前……!」
「言わなくても理由は大体わかるだろ」
「は、はは……女を助けて英雄気取りかよ」
「お前らと別扱いされるなら英雄も悪くないな」
くそが、と男が悪態をついた、その直後。
路地の手前のほうから凄まじい轟音が鳴り響いた。何事かとそちらを見れば先ほど弾いた敵の武器――斧が砕けていた。
そばには人影が見える。
暗くてはっきりとは見えないが、なにやら大剣らしき武器を掲げていた。人影はさらに大剣を振り下ろし、残りの長剣とサーベルもあっさり砕いてしまう。
「お、俺らの武器が……」
「遅いって聞いて捜しに来てみれば……!」
人影がこちらに向かってくると、その姿があらわになった。
「あたしの仲間を可愛がってくれたみたいだねえ」
「……ヴァネッサ!」
覚えのある声と喋りだとは思ったが、まさか彼女だとは。
ヴァネッサは挨拶でもするかのようにこちらを見たあと、ぎりりと鋭い目で男たちを睨みなおした。
「なにか言うことはあるかい」
「い、いや。これは違うんだ。ただ、俺たちはこの女に声をかけただけで――」
「だったらどうしてこんなに怯えてんのか説明してくれるかい? ええ?」
ヴァネッサは長さと幅が自分の体ほどもあろうかという大剣を片手で軽々持ち上げると、男たちの間に勢いよく振り下ろした。地面を豪快に抉ったその光景に男たちが揃って絶句する。
「今度またあたしのギルドに手を出したら本気で殺すよ」
ひどく冷め切った目と声は威圧としてこれ以上なかった。
男たちは示し合わせたように無言で逃げていく。
それを見送ったあと、ヴァネッサは壁際でずっと怯えていた女に近寄った。その頭を撫でながら優しく声をかける。
「大丈夫だったかい」
「あの、マスター。わたし……っ」
「これに懲りたらひとりで出歩くんじゃないよ。仲間が心配してたぞ」
「……はい」
女性はヴァネッサから離れ、こちらに向きなおった。視線を合わせては外しを繰り返したのち、頭を下げてくる。
「あ、ありがとう」
「ああ。無事で良かった」
アッシュはそう答えながら武器を剣帯に収めた。
「マスター」
ふと路地の手前から野太い声が聞こえてきた。
そちらを見ると、やたらと巨大な人影が映り込んだ。人にしてはあまりに大きすぎると思ったが、正体が判明して納得した。ソレイユ……いや、島一の巨体の持ち主ドーリエだった。
どうやらヴァネッサとともに行動していたようだ。
「この子を送ってやってくれるかい」
「了解」
そう短く返事をすると、ドーリエは保護した女性を連れて来た道を戻っていった。
二人きりになったところで、ようやくヴァネッサがこちらに向いた。
「うちの奴が世話になったね。礼を言うよ」
「たまたま通りかかっただけだ」
「それでも集団に、それも格上に突っ込む奴はそうそういないだろうけどね」
「俺にはこれがあるからな」
アッシュはレリックの柄尻に手を当てながら得意気に言った。
「そういうことにしておくよ」
ヴァネッサは含み笑いを見せると、路地の入口へと視線を向けた。それから呆れたようにため息をついて、ぼそりとこぼす。
「極力、夜はひとりで出歩くなって言いつけてたんだけどね」
「よくあることなのか?」
返事はなかった。
しばらくしてから彼女は振り返らずに訊いてくる。
「いま……暇かい?」
「まあ、散歩してたぐらいだからな」
気分が乗れば《喚く大豚亭》に行こうかと思っていたぐらいだ。
とくに予定はない。
ヴァネッサがゆっくり振り返ると、らしくない控えめな笑みを浮かべながらカップを傾けるしぐさを見せた。
「礼がしたい。あたしの奢りで少し飲みに行かないか」