◆第五話『今後の方針』
夕食後、アッシュは自室の床に座り込みながら武器を磨いていた。ジュラル島の装備は不思議なことに刃こぼれしない。だから布で剣身や柄を磨くだけの簡単な手入れだ。
ふいに、こんこんと扉が小突かれた。
「アッシュ、いいかな?」
聞こえてきたのはルナの声だ。
「おう、いいぜ」
そう答えると、ルナが扉を開けて入ってきた。
いつでも寝られるようにか、彼女は布着姿だった。普段より露出は少ないが、滲み出る生活感のせいか、どこか新鮮に感じた。
「どうしたんだ? 集合はもう少しあとだろ」
後ほどチームで話し合いを行うことになっている。
内容は、リッチキング討伐戦に参加するにあたって、効率よく準備するためにはどうするかといったもの。言ってしまえば今後の方針決めだ。
「暇だったから、ちょっと構ってもらおうかなって」
ルナは扉を閉めると、勝手知ったる場所といったようにベッドに腰を下ろした。しなを作り、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「あとはー、久しぶりにいちゃいちゃしたいなって」
「前はしてたみたいな言い方はやめろ」
「つれないなぁ」
ルナが残念そうにため息をつく。
そんな彼女から視線を外して、アッシュはまた武器の手入れに戻った。いまはソードブレイカーの刃を磨いているところだ。
「武器の手入れ?」
「ここのは磨く必要もないみたいだけどな。ただ、いつもやってたからつい癖でさ」
「ふーん」
感心しているのか、興味がないのか判断しづらい声を出しながら、彼女は後ろから覗き込んできた。
「塔昇り、順調だよね」
「だな」
「……ちょっと不満ある感じ?」
返答に感情を入れたつもりはなかった。
だが、ルナはなにか微細な変化を感じ取ったようだ。
アッシュはソードブレイカーの手入れを終え、今度はスティレットを手に取った。刃部分を丁寧に拭きはじめる。
「いや、不満ってわけじゃないんだ。ただ、レリックっていまでもかなり強力だろ。これで属性石も揃ったら、どうなっちまうのかなって思ってさ」
「ずるみたいに感じてるってこと?」
「そんな感じだ」
見事に言い当ててくる辺り、さすがはルナといったところだ。
「う~ん、レリックで昇る速度が上がってるのは間違いないと思うけど、でもレリックがなかったからって詰まることはないと思うな。少なくとも現状はね」
「まあたしかにほかにやりようはいくらでもあるしな。それだけの選択肢がある」
「そう、そこだよ。そもそも神が求めてるのって単純な力だけじゃないと思うんだ。そうじゃなかったら装備とか道具をわざわざ挑戦者に渡さないでしょ」
加えて、他者と協力して昇ることも認められている。
単純な強さだけを見たいなら、それらは余計なものだ。そういう意味では神が挑戦者に求めるものが〝単純な強さ〟でないと言うのはたしかに頷ける。
「それにさ、アッシュが目指してるのって80階や90階じゃなくて天辺だよね」
「ああ。もちろんだ」
「だったらいいんじゃないかな。そこまで行くとレリックは使えなくなる気がするし」
「属性石はともかくとして質は7等級相当だしな」
「うん。おそらくだけど、いけても8等級階層までだと思う。黒の塔に関してはもう少しいけるかもだけど」
なるほどな、とルナの見解を聞いてアッシュは零す。
だが、靄はいまだにある。ただ、それは〝神が用意した舞台〟という時点で免れないものかもしれないとも思った。
「アッシュでも迷うことあるんだね」
「そりゃあな。って、俺をなんだと思ってるんだ」
「ん~。強い相手を求めるただの戦闘狂?」
「間違っちゃいないかもしれないが、悪意を感じる言い回しだな」
「ただ、困ってる人を放っておけない優しい人でもあるかな」
なんとも反応に困る評価だ。
「それはたまたまだ」
「実際に助けてもらったボクが言うんだから間違いないよ」
言って、ルナが背中にもたれかかってきた。
さらに両腕を首に回し、顔を肩に乗せてくる。
「アッシュのそういうとこ、すごい好きだよ」
まるで息を吹きかけるように囁いてきた。
漂ってくる彼女の独特な緑の匂い。背中に押し当てられた控えめな胸が潰れる感触。そこに淫靡な空気はないものの、彼女を意識せずにはいられなかった。
「ルナ、遊びが過ぎるんじゃないか」
「遊びじゃないかも」
「俺も男だぞ」
「知ってる」
ルナは細い腕でぎゅっと締めてくると、耳たぶに唇を触れる形でまた囁いてきた。
「マリハバの女は強くて優しい男が好きなんだ」
少し遊びに付き合ってやろうか。
そんなことを思いながら、ルナの腕を握ろうとしたとき――。
「アッシュく~ん、来たよ~。入ってい~い~?」
扉の向こうからクララの声が聞こえてきた。
「残念。いいところだったんだけどな」
ルナは盛大にため息をつくと、あっさりと離れてベッドに座りなおした。
かすかに名残惜しく感じてしまったが、それは背中が少し涼しくなったからだろう。そう思いながらアッシュは気持ちを切り替え、扉の向こうへと応じた。
「ああ、いいぞ」
返事をしてからすぐに扉が開けられた。
少し照れ笑いをしながら、クララが入ってくる。
「えへへ、することなかったし早くきちゃった。ってあれ、ルナさんもう来てたんだ」
「うん、ボクもクララと同じでね。さっきまでアッシュと遊んでたんだ」
「遊んでた……?」
部屋にほんのりと残った微妙な空気を感じ取ったのか、クララの目が段々と細くなり、やがて訝るようなものに変化していく。
このままだと面倒なことになりそうだ。
アッシュは空気を入れ替えるように声をあげた。
「そんじゃ始めるか」
◆◆◆◆◆
「すごく充実してきたよねー」
「上層の奴らに比べれば全然なんだろうけどな」
「でも着実に整ってきてるよね」
各々の装備を床に並べていた。
アッシュはスティレットにソードブレイカー。
鞭にハンマーアクスにハルバード。
クララは杖1本に腕輪3本。
ルナは弓が3本。
部屋があまり広くないこともあり、床がほとんど埋まってしまっていた。
「ジュリーのほうは? 俺は5500ジュリーだ」
「あたしは7千ジュリー」
「ボクは約4万ジュリーかな」
ひとりだけ桁が違っていた。
「さすがにルナは持ってるな」
「アッシュより長く島にいるしね」
「俺より長くても変わらない奴もいるぜ」
「うぐっ」
クララが無言で頬を膨らませながら抗議してくるが、構わずに話を続ける。
「あとは今日出たヒールの魔石がうまく売れればひとり頭大体3千ジュリーずつか。初期に比べればかなり余裕が出てきたな」
1等級階層をうろついていた頃は千ジュリー以上を持つことなんてほぼなかった。それがいまや超えることが普通になっている。上層に行けばもっと余裕が出るに違いない。
「ただ、それでも装備を買い揃えるってことは難しいから。やっぱり削れるところは削っていかないとね。たとえば属性石の装着とか」
「っていうと?」
「ほら、38階ってことは4等級の武器が使えるようになるわけでしょ。だったらいまの3等級の武器につけると損するよねってこと」
「あ~そういうことか。装着も解除費用もばかにならないしな」
うん、と頷いてルナは話を継ぐ。
「だからボクの属性石は後回しで、アッシュのレリックを優先的に強化しよう。当面は一線級の装備だから強化しても損はない。クララもそれでいいかな?」
「うんうん。今日出た2つはアッシュくんが使って」
レリックの強化がチームのためになることは明白だ。ただ、自分の装備とあって言い出しにくかったので、ルナとクララから提案してくれたのは助かった。
「わかった。いつも悪いな」
「その分の働きは期待してるからね」
「任せてくれ」
2つの属性石をレリックにはめれば実質6つ分。
つまり斬撃を放つための5つの属性石という条件を満たすことになる。
いったいどんな風に放てるのか。
明日からの狩りが楽しみだ。
「あたしはどうしようかなぁ」
クララが杖を持ち上げ、そこにはめたヒールの魔石をさすっていた。
「リッチキング討伐を目標に入れて装備を整えるなら、火力はそこまで求めなくていいかもね。ソレイユのメンバーもいるし」
「じゃあ、ヒールの回復力を上げるとかかな?」
クララが首を傾げながら訊くと、ルナがうーんと唸りはじめた。
「それも良いかもだけど、指輪……補助系の魔法を集めるほうがいいかも」
「白の塔でしか入手できないって奴だったか」
「うん。2等級階層では物理被害軽減の《プロテクション》が、3等級階層では魔法被害軽減の《マジックシールド》が手に入るね」
ルナの説明を受けて、クララが眉尻を大きく下げた。
「それ委託販売所で見たから知ってる。結構するよね……」
「ヒールと一緒で必須とも言われてるものだしね。どっちも2、3万前後だったかな」
「う、うぅ……あたしのガマルちゃんがぁ……」
言いながら、クララはいつの間にやら両手で抱いていたガマルを握った。「グェッ」という声とともに舌が飛び出る。
「その辺りは出なかったら共同で購入してこうぜ」
「だね。ボクもそれがいいと思う」
「アッシュくん、ルナさん……!」
感激のあまりクララは涙目になっていた。
大げさな気もするが、誰よりもジュリーで苦労してきた彼女だ。ジュリーが少なくなることに恐怖感を抱いていても不思議ではない。単純に貧乏な性質が染みついているだけな気もするが。
「あと問題は防具かな。リッチキングがどれぐらいの強さなのか想像もつかないけど、あのアルビオンを敗走させるほどの敵だからね。良い防具に越したことはないはずだ」
ルナがなにかを思い出すように指を顎に当てる。
「4等級だと……ボクとアッシュは《ブラッディ》シリーズ。クララはローブの《ディバイン》シリーズかな。相場は大体1部位7千から8千ジュリーだったはず」
「さすが4等級。人が多いだけあって高いな」
買い揃えるのはとても現実的ではない。
買えたとしても1、2部位ぐらいだろう。
「理想としては白の4等級階層まで行って、そこで装備集め。白の属性石が充分に集まったところで黒の塔を一気に昇るって感じかな」
「それが良さそうだな。もし白で詰まりそうなら、そんときゃ黒を昇ればいい。臨機応変にやってこう」
「はーい、あたしもそれで異論ありませんっ」
手を挙げて元気よく賛同するクララ。
そんな彼女を見て、アッシュはルナと顔を見合わせて笑い合った。
「そんじゃ方針も決まったことだし、明日からも張り切って昇っていくぞ!」





