◆第六話『もうひとつの出逢い』
まいったな、とアッシュは人知れずため息を漏らした。
ウルに紹介してもらった宿屋『ブランの止まり木』を捜すため、大通りから外れて細い通りを歩いているのだが、一向に見つからないのだ。
宿を探すついでに道も覚えられればと思ったが……。
これは素直に誰かに訊いたほうが良さそうだ。
ただ、その前にやることがある。
「さっきからつけてるみたいだが、俺になにか用か?」
いきなり足を止め、振り返る。
少し離れたところにひとりの少女が立っていた。
年の頃は16ぐらいか。
赤線で少し模様づけされただけの、安っぽい白ローブを羽織っている。
彼女はこちらと目が合った直後、「うぇっ」と変な声を出した。
慌てて左右に首を振ると、一目散に近くの路地へと逃げ込んでいく。
凄まじく挙動不審だ。
路地角から、ほんのり赤みを帯びた一輪の白花がちょこんと出てきた。
もちろん花がひとりでに動くわけがない
あれは先の少女がつけていた髪飾りだ。
少女が角から顔を覗かせた。
肩口まで伸びた髪がさらりと垂れる。
「べ、べつにつけてたわけじゃないからね」
「こっちは責めてるわけじゃない。ただ、理由を知りたいだけだ」
うぅ~、とひとしきり唸ったあと、少女はゆっくりと出てきた。
ばつが悪いのか、目はそらしたままだ。
いったいどんな理由でつけていたのか。
しばらく話を聞く態勢で待っていると、彼女がちらちらと視線を向けてきた。
辿った先にあるのは負傷した右手だ。
「あ、あのっ! それ……」
「あぁ~……ちょっとな」
「見てたから」
どうやらあの場にいたらしい。
アッシュは右手を見ながら自嘲する。
「自分から煽っといてこのざまだ」
「ほんとバカだよ。あの人、力だけはすごいんだから」
「あいつのこと知ってるのか?」
「うん……少しだけ」
なんだか意味深な返答だ。
「その手、ちょっとそのままにしてて」
彼女は背中側に手を回すと、自身の背より少し短い杖を取り出した。
杖と言っても、なんの装飾もない木の棒だが。
杖の先端が負傷した右手に翳されると、柔らかな光が生まれた。
心地良い熱が右手に満ちたのを機に光は無数の燐光となって散りゆく。
気づけば右手の腫れが引いていた。
開いたり閉じたりしても痛みはない。
「ヒール……治癒師なのか? すごいな」
「そ、そうでしょ~! ……と言いたいところだけど、これは杖のおかげ」
彼女は得意気に胸を張ったかと思うや、控えめに杖を見せ付けてきた。
ジュラル島では様々な道具が手に入ると言っていたが、この杖もそうなのだろうか。
いずれにせよ――。
「治してもらったことには変わりない。ありがとな。えーと……」
「クララだよ。あたしの名前」
「こっちはアッシュだ。アッシュ・ブレイブ」
完治した右手を差し出したところ、杖の端を握らされた。
当然ながら女性のものとは程遠いざらついた肌だ。
「杖と握手したのは初めてだ」
「ごめん。初対面の人とは……」
警戒心が薄れているように思えたが、気のせいだったらしい。
「代わりにこの杖と仲良くしとくか」
「ね、よく変な人って言われない?」
「まあ、年に一度くらいは」
「……絶対もっと多いよ」
なんとも遠慮がない。
大人しい子、という最初の印象を改めたほうがよさそうだ。
「もしかして治してくれるためにつけてたのか?」
「だ、だからべつにつけてたわけじゃないってばっ。ただ散歩してて、そしたら目の前にあなたがいて……」
あくまで偶然を装うようだ。
とくに問題もないので、こちらも追求する気はなかった。
「あぁ、そうだ。『ブランの止まり木』って宿、知らないか? さっきから捜してんだけど、なかなか見つからなくてさ」
ついでに訊いてみたのだが、いきなり怪訝な目を向けられた。
「どうしてあそこに?」
「ウルってミルマに勧めてもらったんだ」
「……ふーん」
少しの間、クララはじっと見つめてくると、背を向けて歩き出した。
「ついてきて。案内してあげる」
◆◆◆◆◆
中央広場に群がる建物の中、もっとも端の区画。
人一人がやっと通れるほど狭い路地からしか辿りつけない場所に、『ブランの止まり木』はあった。
これは見つからないわけだ、とアッシュは思う。
クララに続いて玄関をくぐると、濃厚な木の匂いが漂ってきた。
中のロビーはお世辞にも広いとは言えなかった。
にもかかわらず、幾つかの机や椅子によって大半が占領されている。
それに少し薄暗い。
窓から射し込む陽光を頼りにするしかない状態だ。
「あの人が女将のブランさん」
クララが部屋の隅に目を向ける。
そこには受付と思しき台があり、奥に老婆のミルマが座っていた。
なにか本を読んでいるようでこちらに目も向けない。
ブランのそばへ向かうと、刺々しい言葉が飛んできた。
「冷やかしなら帰りな」
「ウルに紹介してもらって来たんだ。ここに泊まれないか?」
「目は正常かい?」
ブランは本を閉じると、疑念の目を向けてきた。
どうやら自身の宿を卑下しているらしい。
アッシュは今一度、宿の中を見回す。
たしかに古臭いのは否定しないが、雨風は充分に凌げる。
「良い宿だと思うぜ。ベッドはあるんだよな」
「当然さ。そりゃもうあたしの胸よりフカフカのがね」
「……地面で寝るのは慣れてるから問題ない」
「生意気なガキだね」
言うほど不快には思っていないようだ。
むしろ少し楽しげに口の端を吊り上げている。
ほかのミルマを見る限り、このブランも若い頃はきっと美人だったに違いない。
胸のほうもさぞかし豊満だったことだろう。
だが、過ぎゆく時間には勝てない。
萎れた胸からそらした目を、直面する問題へと向ける。
「ただ、ジュラル島に来たばっかで金なくてさ。支払いは――」
「あとでいいよ」
「……頼んでる身で言うのもなんだが、そんなにあっさりいいのか?」
「新人は珍しくないからね。それにウルの紹介とあっちゃ無下にはできんさ」
ウルの身内かなにかだろうか。
一瞬、ブランの顔が優しくなったように見えた。
「あとでウルに礼をしないとだな」
「クルナッツの実を二つぐらい投げつけときな。そうすりゃ泣いて喜ぶよ」
どうやらウルの好物は周知されているようだ。
無事に金を稼いだら購入品として第一に考えておこう。
「二階の一番奥以外、部屋は好きなところ使いな」
「ありがとう」
フンッと鼻を鳴らすと、ブランはまた本を読みはじめた。
態度はあれだが、悪い人ではない。
あのウルの知人なのだから、当然と言えば当然かもしれないが。
アッシュは振り返ると、ここまでの案内人――クララのほうを向いた。
「クララもありがとな。おかげで今日はフカフカのベッドで寝られそうだ」
「う、ううん。大したことじゃないから気にしないで」
なんだか歯切れが悪かった。
きょろきょろと視線を巡らせているあたり、居心地が悪いのかもしれない。
「それじゃ俺は部屋探しにでも行ってくる。手のことも、今日は本当に助かった」
「あ、あのね!」
背を向けたところで呼び止められた。
「……ここなの」
「ん?」
「あたしも、ここなの!」
意を決したように叫ぶクララ。
なんとも曖昧な告白だが、言わんとしていることをようやく理解できた。
「あ~、もしかして二階の一番奥の部屋って……」
「……うん、あたしの部屋」
クララが消え入りそうな声でそう呟いた。
まさか利用者だったとは。
道理で、こんな隠れ家みたいな宿にすんなり辿りつけるわけだ。
「この宿に住んでるのが恥ずかしいなら、さっさと出ていきな」
「えぇ、ここ追い出されたら行くとこないのに!」
ブランの無情な声にクララは涙目だ。
どうやら彼女の懐事情は芳しくないらしい。
「じゃあ、これからは同じ屋根の下ってわけか」
「そういうことになる、ね」
追い出されなければ、と最後に一言。
明らかに冗談だったブランの言葉を真に受けているようだ。
思った以上に純粋な子かもしれない。
「色々教えてもらうかもしれないが、そんときゃ頼むぜ、先輩」
「せ、先輩……!」
クララがいきなり目を輝かせた。
嬉しいのか恥ずかしいのか。
どちらとも取れるような浮かれた様子で胸を張る。
「そ、そうね。そうするといいと思う。なんたって、あたし先輩だから」
よほど先輩という呼称が気に入ったらしい。
「それじゃ先輩として、まずは塔に出てくる魔物から教えてあげ――」
「待った」
どうしてとばかりに、クララが目をぱちくりとさせる。
これから命の危険がある場所に繰り出そうというのだ。
事前に情報を掴んだところで損はない。だが――。
「最初は自分の目でたしかめたい」
「そ、そう」
さも残念そうにクララが目を落とした。
悪いことをしたが、こればかりは譲れない。
「まっ、行き詰ったときは頼むぜ、先輩」
「う、うん……っ!」
立ち直りが早いというかなんというか。
ころころと表情が変わって面白い子だ。
なにはともあれ、無事に宿は見つけた。
あとは――。
塔を昇るだけだ。