◆第十二話『サラマンダー戦・後編』
もっとも早く動いたのはユインだった。
身を低くし、地を這うように疾駆。距離が縮まるなりクローで虚空を斬り上げた。三本の爪を離れた光が氷の斬撃となってサラマンダーの眉間へと向かう。
斬撃が炎へと呑み込まれると、敵が衝撃を受けたように頭を揺らした。だが、それもほんのわずか。損傷は見られない。むしろ怒ったように狙いをユインに定めていた。側面へ回ろうとする彼女を追いかけ、その場で旋回しながら前足を大振りで繰り出しはじめる。
それらを機敏に回避しては攻撃を返していくユイン。氷の斬撃を主軸に、隙あらば青の属性石の耐性を活かした接近戦を挑んでは後退といった動きを織り交ぜている。
鬼気迫る猛攻だ。
その戦いぶりをずっと眺めていたいところだが、そうもいかない。
アッシュは駆けた。
敵の注意は完全にユインへと向いている。
視界の中、無防備にさらされた敵の横腹。そこを目掛けて跳躍、全体重を乗せた振り下ろしの一撃を見舞う。
と、ガンッと音が鳴った。
まるで岩でも叩いたかのような感触だ。
思わず手がしびれたが、いまはそれどころではない。
敵の体から放たれる熱気に体が焼けそうだった。
アッシュは慌てて敵から距離をとった。
「話には聞いてたけど、想像以上だな……っ」
短剣で挑んでいたらどうなっていたか。
考えたくはないが、まずい焼肉ができていたことは間違いない。
敵がこちらを向いた。どうやら先の攻撃で怒りを買ったようだ。その特徴的な目をぐりぐり動かすと、口から凄まじい勢いで舌を撃ち出してきた。身を横に投げて避ける。と、先ほどまで立っていた地面に舌が命中。大きく抉られた。
その光景に戦慄する間もなく、敵が前足を右、左と交互に繰り出してくる。遠くで見ていたよりずっと速い。だが、対応できないほどではない。
アッシュはかいくぐるように抜け、斧頭の刃部分を勢いよく敵の横腹にぶち当てた。肉を斬り裂いた感触はない。やはり伝わってきたのは硬い感触のみだ。漂ってくる熱気もあいまって、思わず顔を歪めてしまう。
「炎でわかりにくいですが、攻撃はちゃんと通っています!」
「それを聞いて安心した――ぜッ!」
アッシュは敵の舌突きを回避したのち、再び肉迫。槍で突きを放った。そのとき、視界に煌きが走った。アッシュは半ば反射的に後退する。直後、先の煌きが閃光を放った。ドンッと腹に響くような音を鳴らして人大の炎を巻き起こす。
これが燐光爆炎か。まともに当たれば肉は吹き飛びそうな威力だ。ただ、やはりわざわざ発動前に光が知らせてくれるので避けるのはたやすい。
燐光爆炎が薄れゆく中、一筋の光が敵を包む炎に吸い込まれていった。ルナの矢だ。続けて2、3本があとを追ったが、やはりその程度では大きな損傷は与えられないらしい。敵は鬱陶しがる程度で後衛に見向きもしない。
今度はユインのほうへと向きなおろうとした、瞬間。横腹を叩くようにしてクララのフロストレイが直撃した。ずずず、と敵が地面をこするように押しのけられていく。だが、それも一瞬のこと。フロストレイはその線を細くし、消滅してしまった。
クララは諦めずに「このっ」とフロストレイをまた放つ。今度も貫通することはなかったが……。さすがにほかの攻撃より効いたのか。敵が前衛を無視してクララへと顔を向けた。
「うぇ、うそっ!?」
クララが動揺の声をあげる。
敵はいまからお前のところへ行ってやるとばかりに咆える。
「お前の相手はこっちだ!」
アッシュは即座に敵の頭部の至るところに槍を撃ちつけた。ユインも呼応するように反対側で攻撃を仕掛け、注意を引こうとする。その甲斐あってか、敵は再び前衛側に注意を戻した。
「フロストレイを連続で撃つのはやめたほうがよさそうだ!」
「わ、わかった!」
そう返事をするクララの隣では、ルナが黙々と位置を変えながら矢を射ていた。普段よりも射る数が少なめだが、それも標的にされないためだろう。さすがは熟練の戦士。頼もしい限りだ。
と、サラマンダーが大きく飛び退いた。
奥の壁に尻尾がつきそうなほどの場所に立つと、頭部を引き、持ち上げた。その口が大きく膨らみはじめる。
「来るっ、走って!」
ユインの叫びに応じて、アッシュは全力で駆けた。
最奥の壁に飛び込んだと同時、敵が頭を勢いよく突き出し、口から火炎のブレスを放った。とめどなく流れ出るように吐かれたそれは、瞬く間に広間のほとんどを覆い尽くす。
「まるで火の海だな……」
目が痛くなるほどの赤さだ。
反対側では、クララとルナが壁に貼り付く形でなんとか凌いでいる。そして遠くてよく見えないが、クララが騒いでいることだけははっきりとわかった。
「炎が消える!」
ブレスが止むと、敵の体を覆っていた炎も消滅した。赤黒く、見るからに分厚そうな皮膚があらわになる。
炎で隠れて見えなかったが、どうやらこれまでの攻撃はしっかりと届いていたようだ。あちこちに斬り傷が入っている。ただ、どれも浅い。
予め聞いていた情報だ。アッシュはユインとほぼ同時に動き出し、敵に肉迫した。振り下ろしから斬り上げ。勢いを次なる一撃へと乗せ、ただ一点を集中して攻撃し続ける。斬り傷が徐々に開いていき、溶岩のような血が垂れはじめる。
当然ながら、その最中も敵からの攻撃は絶え間なく続いていた。舌突き、前足や尻尾。さらに燐光爆炎が執拗に襲ってくる。そのたびに一旦後退しなくてはならなかったので鬱陶しいことこのうえなかったが、隙を埋めるようにルナが矢を射てくれていた。
こちらの猛攻撃に敵が慟哭のような声をあげる。
「いまのうちにやれるだけやるぞ!」
「もう炎が戻ってきています!」
まるで焚き木に火がつくように敵の体から炎が燃え上がり始めていた。できればこのまま仕留めたかったが、次の機会に回すしかなさそうだ。そう思ったとき――。
「アッシュくん、ユインさんっ!!」
クララの声が後方から聞こえてきた。
示し合わせたように敵から距離をとる。
と、敵の右横腹にクララのフロストレイが轟音とともに直撃した。敵の皮膚が爛れたように剥がれ、どろどろと血が流れだす。貫通とまではいかなかったが、さすがの威力だ。
「よくやった!」
すでに敵の炎の鎧は戻りはじめているため、いまから仕留めるのは厳しい。だが、次にブレスを吐いたとき、あの傷口に集中攻撃をすれば仕留められそうだ。
となれば、あとは耐え凌ぐのみ――。
突然、敵が奇声をあげだした。
地団駄を踏み、広間を揺らしはじめる。
初めは傷の痛みに悶えているのかと思ったが、様子がおかしい。元通りになった炎の鎧が勢いを増しているうえ、地面を踏む足の力が増している。
ふと視界に光がちらついた。
燐光爆炎だ。
これまで幾度となく経験した攻撃だ。
アッシュは即座に後退。難なく躱した。が、視界の中でユインにも燐光爆炎が放たれていることに気づいた。彼女は危なげなく回避していたが……これまで燐光爆炎は対象1体にのみ放たれていたはずだ。なのに、なぜ――。
ふいに後方で短い悲鳴があがった。
「クララ、ルナッ!」
二人が倒れていた。
おそらく全員に燐光爆炎が放たれたのだろう。これまで前衛にしか放たれなかったこともあり、後衛の二人は完全に不意を突かれた形となったわけだ。
「ぁ……ぁっ……ぁああああああああ!」
ふとユインが悲鳴のような叫び声をあげた。
彼女は、この場所で大切な友人を失っている。そのときの記憶を現状の光景から鮮明に思い出してしまったのか。狂騒状態のまま敵へと突撃をはじめた。
「待て、ユインっ!」
彼女に止まる気配はない。
全速力で敵へと向かっていく。
敵が咆哮と地団駄を止めると、ユインのほうを向いた。かと思うや、これまでとは比較にならないほどの速さで右前足を繰り出した。間一髪で避けたユインだったが、次に繰り出された左前足で大きく体勢を崩してしまう。
そこへ地面上を滑るように迫った尻尾が命中。鈍い音とともにユインは弾かれ、壁にぶつかった。どさり、とくずおれてしまう。
かなりの衝撃だった。だが、ユインはふらふらと立ち上がり、またも突撃を開始しようと駆けはじめる。
アッシュは急いで彼女のもとへと向かった。サラマンダーの舌突きがユインに当たる直前。ユインの体を掴み、引っ張るようにして救出した。さらにユインを肩に担ぎ、なおも襲いくる敵から距離をとって逃げる。
「放して! 放して下さい! 私はみんなの仇を――ッ!」
「いいか!? 俺たちは死んでないし、これからも死なない!」
暴れるユインに向かって、アッシュは力の限り叫ぶ。
「クララ、ルナ! いけるか!?」
燐光爆炎はまともに食らえば、その肉体は飛び散っていてもおかしくない。だが、後衛二人の体に欠損は見られなかった。最低限の回避行動はとっていたと踏んでいたが、どうやら当たりだったようだ。彼女たちは起き上がって態勢を整えていた。
「うぅ、ひりひりするぅ……!」
「こっちも、なんとか」
先ほどは見えた軽い負傷もない。
どうやらすでにクララのヒールで回復済みのようだ。
と、先ほどまで肩の上で暴れていたユインがぴたりと動きを止めた。
「無事……だった……?」
「そうだ。落ちついたか?」
「は、はい……なので、あの。できれば下ろしてくれると……もう暴れないので」
ユインを下ろした瞬間、敵が飛び退いた。
頭を引き、頬を大きく膨らませる。
この挙動は――。
「ブレスが来るぞ!」
アッシュはユインとともに最奥の壁にぶつかる勢いで飛び込んだ。
ほぼ同時、ブレスが吐かれた。
ふたたび火の海と化した広間を横目に槍を構える。
動きが機敏になったことと関係しているのか。
ブレスは早々に終わり、敵の身を覆う炎は消え失せた。
敵は弱っているはずだ。
――ここで仕留める。
そう覚悟を決めて駆け出した。
直後、目の前に光がちらついた。
燐光爆炎だ。
アッシュはたまらず右側にあった最奥の壁を蹴り、飛び退いた。ほぼ間を置かずに爆炎が発現。壁をえぐるように炎を巻き上げた。
視界の中、やはりユインにも燐光爆炎が放たれていた。となれば、また後衛にも放たれているかもしれない。その思いから急いで後方を確認してみたところ、後衛二人組はけろっとしていた。
「こっちには来てないよ!」
「さっきとは違うみたいだ!」
先ほどの燐光爆炎との違いはよくわからないが……。
後衛に危害が及ばないのなら、なんとかなる。
そう思ったとき、燐光が目の前に出現した。
「なっ!?」
あまりに早い2発目。アッシュは虚を突かれつつも、槍を地面に打ちつけることでなんとか躱した。が、その後も1拍程度の間隔で絶えず燐光爆炎が襲ってくる。ユインも同じく狙われ続けていた。二人して敵の周りを駆け続ける。
足を止めたら最後、肉片と化すこと間違いなしの状態だ。
「近くにいるやつにだけ撃ってくるのかっ」
「この頻度ではまともに近づけませんっ」
先ほどと違って敵の動きは遅いが、燐光爆炎が邪魔でとても攻撃できる状況ではない。これなら炎を纏っている間のほうがまだ可能性はある。
ただ、あちらはあちらでかなり素早い。
攻撃する機会なんて――。
いや、ある。
硬直する瞬間はたしかにあった。
あそこを狙えば……!
アッシュはなおも襲ってくる燐光爆炎を避けながら、ユインに向かって叫ぶ。
「奴が炎を纏ってるときに俺が動きを止める。ユインはその間にクララがつけたあの傷を狙って仕留めてくれ!」
「待ってください! あの動きです! 止めるっていったいどうやって!?」
「仲間と協力して、だ」
アッシュはにやりと笑ってから後衛の二人に向かって指示を飛ばす。
「クララ、ルナ! 奴の鼻柱をいまのうちに狙ってくれ! クララは充分に加減してな!」
「は、鼻? よくわからないけど……わかったよ!」
「了解っ!」
ルナが執拗に敵の鼻柱を狙いはじめた。敵が向かう気にならない絶妙なところを維持して削り続けている。
「いいか、ユイン! お前がやるんだ! お前がトドメを刺すんだ!」
敵が炎を纏っているときに攻撃をするのだ。青の属性石をふんだんにつけて火耐性を高めている彼女でなくてはならない。理由は、それ以上でもそれ以下でもない。
だが、そこにユインはなにかを思うところがあったようだ。
その瞳に強い意志と決意を宿していた。
と、クララによって放たれたフロストレイが敵の鼻柱に命中した。相変わらずの威力で、その皮膚が爛れたように削れる。
敵が足を止め、威嚇するように咆え出した。
呼応するように敵の全身を炎が包み込む。
「来るぞ!」
先ほど炎を纏った瞬間に放っていたが、やはり今回も同じだった。燐光爆炎が全員に放たれる。だが、後衛二人も二度目とあって無事に回避できたようだ。
だが、安堵する暇などなかった。
炎を纏った敵は、先ほどとは別個体かと思うほど機敏な動きで攻撃をしかけてきた。舌突き、前足による叩きつけ。さらには尻尾の鞭打ち。あらゆる攻撃が速く、まるで隙がない。回避に専念してやっと凌げるといったところだ。
と、敵の脚が深く沈み込んだのを捉えた。
もう何度も見た予備動作。
――それを待っていた。
アッシュは弾かれるようにして最奥の壁へと駆け出した。ほぼ同時、敵が大きく飛び退き、目の前へと着地した。その頬を膨らませ、ブレスの挙動をはじめる。
ブレスを吐くとき、敵は硬直する。
狙いを定めていたのは、その瞬間だ。
「ぉおおおおおお――!」
アッシュは跳躍し、槍を大きく振り上げた。クララ、ルナによって削られた敵の鼻柱。そこへと槍を突き立てる。勢い余った穂先は敵の鼻柱を貫いて口内へと侵入。下顎へと届いた。敵がブレスを止めると、苦しみ悶えながら奇声をあげる。
槍が貫通したことにより、敵を包む炎が肌に触れていた。
熱い。
体が燃えそうだ。
だが、槍を放すわけにはいかない。
彼女がトドメを刺すまでは。
「いまだ! ユインッ! やれぇえええええ――!」
彼女もまた機会を待っていたようだった。
暗殺者のごとく静かに疾走し、序盤にクララがフロストレイで爛れさせた横腹へと氷の斬撃を放った。あらわになった肉に対属性の攻撃を撃ち込まれたからか、敵がさらにもがき苦しむ。
だが、それで沈む敵でないことは彼女も充分にわかっていたようだ。斬撃を追って肉迫すると、長い爪を持ったクローを突き出し、敵の肉をほじるように抉る。さらに抉る。普段は物静かな彼女だが、途中から感情を爆発させていた。
「ぁああああああああ――ッ!」
叫びながら攻撃を続ける。
幾度目かの突きのあと、深く抉りこまれたクローが引き戻された。
その瞬間、ついにサラマンダーが膝を折った。ずしんと腹を地面に打ちつける。その身を纏っていた炎がすっと消えた。あとを追うようにサラマンダーの体が燐光と化し、まるで風に吹かれた砂のように散っていく。
煌きを残し、消え行く光の中――。
「やったよ…………リィス……わたし、やったよ……」
ユインが天を見上げながら、ひとりそう呟いていた。





