◆第五話『挑戦者の実力』
「向かい合うのが好きなんだね」
「隣に座ったらなにされるかわからないからな」
「これは第一印象の構築に失敗したようだね」
失敗と言うわりに落ち込んだ様子はない。
それどころか笑っている。
本当になにを考えているかわからない男だ。
「ご注文の品をお持ちしました。こちらクルナッツジュースとエールになります」
着席前に頼んでいた品をミルマが運んできた。
アッシュは自身の前に置かれた白色のジュースを見たのち、奥の泡立つ黄色い飲料を見やる。
「まだ陽が落ちてないってのに早いんじゃないか?」
「いま、みんなが一生懸命塔を昇ってる。そんなときに飲むからこそいいんじゃないか。……くぅ~、やっぱり最高だねぇ。生きてるって感じがするよ」
レオは早速エールを飲むと、立派な白髭をつけた。
口ぶりに反して荒々しい感じがしないのは彼だからか。
「……良い性格してるぜ」
こちらもクルナッツジュースをぐいと飲む。
ウルが美味しかったというクルナッツゼリーが気になったので試しにそのジュース版を頼むことにしたのだが……少し甘い。
それになにか小さな粒が入っている。
弾力があって噛むと甘い汁が出てくる。
不思議な飲み物だが、なかなか悪くない。
ただ、次からはデザートとして考えたほうが良さそうだ。
そう思いながらグラスを置くと、レオが話を切り出してきた。
「ここにはなにをしに?」
「そんなの、ひとつだけだろ」
レオはぺろりと白髭を舐め取ると、もったいぶるように言う。
「塔の天辺に行くつもりなんだね」
「むしろ、それ以外にあるのか?」
「たしかにその通りだ。でも、願いの種類はひとつじゃない」
彼が言っているのは〝神からの挑戦〟をクリアしたのち、叶えてもらう願いのことだ。アッシュは口内に残っていた粒を呑み込む。
「願いか……考えてないな」
「秘密ってことかい?」
「いや、俺はただ力を試しにきただけなんだ」
「うんうん、男の子だねぇ。いいよ、そういうの好きだよ僕は」
感心したように頷いたあと、レオはまたごくごくとエールを飲んだ。
もう半分以上なくなっている。
「……そっちはただのおっさんだな」
「ひどいね。これでも若く見えるってよく言われるんだよ」
たしかに年齢詐欺の部類に入るぐらい老いの見えない顔だ。
知らずに近づいた女はその実年齢を知ったら驚くに違いない。
「そういうあんたは考えてるのか? 神様への願い事をさ」
「……実は僕もアッシュくんと同じでね。願いなんてどうでもいいんだ。ただ、生まれ変わるために、このジュラル島に来た」
「生まれ変わった先で男の尻を追うのはどうかと思うぜ」
「残念かもだけど、それは僕の基盤なんだ。つまり変われない部分だよ」
ふざけた空気から一変、レオは過去をしのぶように遠い目をしたあと――。
「ま、過去に色々あってね。逃げてきたんだ」
こわばった笑みを浮かべた。
どうやら思った以上に複雑な事情のようだ。
「軽蔑したかい?」
「いや、そういう理由もあるんだなって思っただけだ。いいんじゃないか、幸いここは住みやすそうだしな」
「ははは、やっぱりきみとは親友になれそうだよ」
きっと詮索しなかったからだろう。
こちらもレオの人間味を知れたからか、出逢ったときよりは「親友」への拒絶感は減っていた。
「あ、でも勘違いしないでほしいのは僕みたいな人間はほんの一部ってこと。ここに来ているみんなは本気で上を目指してるからね」
「のわりに、まだ塔のひとつも攻略されてないんだよな」
その瞬間、周囲の空気が一変した。
構わずにあえて声を張り、続きを口にする。
「……本気でやってるのか?」
「言うねぇ、アッシュくん。けど、場所を選んで言うべきだったかな」
無表情のレオが目線を少し上げる。
ほぼ同時、クルナッツジュースを含めたテーブルの半分に影が差した。
「おい、てめぇ。さっきから聞いてりゃ、ナメた口利きやがって」
すぐ後ろから低く濁った声が飛んできた。
アッシュは立ち上がり、振り返る。
目の前にバンダナを巻いた大男が立っていた。
いかにもごろつきといった印象だ。
大男は怒り爆発といった様子でこちらを睨んできている。
アッシュは口の端を吊り上げながら問いかける。
「そんなに怒るってことは、もしかして図星だったのか?」
「なにも知らねぇ新人がッ!」
大男が振りかぶった拳を容赦なく放ってきた。
その巨躯に見合った大きな拳とあって威圧感は相当だが――。
アッシュは逃げずに右掌で大男の拳を受け止めた。
凄まじい衝撃に腕を飛ばされそうになるが、歯を食いしばり、その場に留める。
わずかに遅れて顔を叩いた風とともに大男が顔を寄せてくる。
「ただの見学ってわけじゃなさそうだな」
「そういうあんたは見学に来てるのか?」
互いに体を震わせながら、強気な顔を突き合わせる。
「……いまのはほんの挨拶代わりだ」
大男が拳を引き、また突き出そうとする。
「今度は本気でやってやるよッ――」
「そこまでです」
その声は静かながら空気を割るように響いた。
直後、大男の拳がぴたりと止まる。
声の主は、いつの間にか近くに立っていたミルマだ。
ここの店員なのだろう。
他店員と同じく、ヘッドドレスに青の給仕服を纏っている。
「ここは食事をする場所であって喧嘩をする場所ではありません。……これ以上はわたしも怒りますよ」
形の良い眉を吊り上げながら、彼女が警告してくる。
貫禄はたっぷりだ。
大男が「チッ」と舌打ちをする。
「ミルマに感謝するんだな」
そう吐き捨てると、肩を怒らせながら去っていった。
やけにあっさり引いたが、それほどミルマが怖かったのだろうか。
当のミルマは大きく息を吐いて、レオに詰め寄っていた。
「まったくもう……レオさん、あなたがついていながらなんですか、この状況は」
「いやぁ、僕もこんな騒ぎになるとは思ってなくてね」
「本当にそうでしょうか」
彼女はぷくっと頬を膨らませる。
ウルよりも年上に見えるからか、少し不釣合いなしぐさだ。
思わず笑いそうになったとき、怒りの矛先がこちらに向けられた。
「それから新人さん、あなたもあなたです。あんな挑発するようなことを言って。揉め事になるとは考えなかったのですか?」
「ほんの冗談のつもりだったんだ。まさかあんなに噛み付かれるとは思ってなくてな」
その返答に納得がいかなかったのか。
ミルマが顔を寄せ、まじまじと見てきた。
長い睫毛がはっきりと見えるほど近い。
柔らかくて甘い香気がふわりと漂ってくる。
「なんだかレオさんみたいな厄介なニオイがします」
「頼む。それだけは勘弁してくれ」
切実な願いだ。
彼女は最後に一睨みすると、ようやく離れてくれた。
「ねえ、アッシュくん。同じニオイだって」
レオが嬉しそうになにか言っているが、当然ながら聞き流した。
ミルマが淑やかに一礼するや、ぎろりと睨んでくる。
「それでは、わたしはお仕事に戻ります。……くれぐれも、ここでは騒ぎは起こさないようにしてくださいね」
最後に鋭い釘を刺して仕事に戻っていった。
高く結い上げられた彼女の長い髪。
それが揺れる様をしばらく見ていると、レオが訊いてもいない情報を伝えてくる。
「彼女はアイリス。ここの店員で見ての通りミルマだ」
美人なのは認めるが、べつに見惚れていたわけではない。
先ほどの大男が彼女――アイリスの言葉にすんなり従ったことが気になったのだ。
「強いのか?」
「怒らせるとここで食べられない」
「……それは大問題だ」
誰しも飢えには勝てないということか。
さて、とレオが席を立った。
その前に置かれたグラスはもう空だ。
「アイリス嬢に目をつけられてしまったことだし、ここらで解散としようか」
「了解だ」
アッシュはグラスを右手で掴もうとして、左手に差し替えた。
一気にジュースを流し込むと、少し口に残った粒を噛み砕く。
「なあ、レオ。さっきのでかい奴、あいつの到達階は幾つなんだ?」
「たぶん一番進んでるのが赤の塔で……30階を越したぐらいじゃないかな」
「そうか、そのぐらいか」
アッシュは淡々と応じるが、胸中は穏やかではなかった。
沸々と込み上げる感情を抑えながら、レオへと告げる。
「今日は声かけてくれてありがとな。色々と参考になった」
「少しでも助けになれたなら良かった。美味しいお酒も飲めたしね」
「ほどほどにな」
「これから別の場所で二回戦さ」
まだ飲む気らしい。
飄々としたレオが酔ったらどうなるのか。
まったく想像はつかないが、ろくなことにならないのはたしかだろう。
「それじゃ、お大事にね」
レオはそう言い残すと、背を向けて去っていった。
終始笑顔の変人だったが、悪い人間ではなかったように思う。
あれで尻を触ってこなければ、彼の希望通り親友になれたかもしれない。
それにしても――。
「お大事に……か」
どうやら右手首を痛めたことに気づかれていたらしい。
原因は先ほど受け止めた大男の拳だ。
折れてはいないが、しばらく満足に使えないだろう。
ほんの腕試しのつもりで適当な挑戦者を煽ったが、予想以上だった。
あんな奴が100階中のまだ30階程度とは――。
アッシュは顔を上げ、天高く伸びる塔の一つを視界に入れる。
「楽しみだ……!」