◆第九話『ユインの過去』
アッシュは青の塔29階を疾走していた。
あちこちに溜まった水溜りを踏むたび、ぴちゃぴちゃと音が鳴る。
足音はほかに3つ。
左後ろにひとつ、ユインのもの。
もうふたつは後方から追いかけてくるクララとルナのものだ。
前方に8滴の雫が落ち、跳ねた。
飛び散ったしぶきが煌きを放つ中、それぞれの雫からロブスター型の魔物が出現。ガチンガチンとハサミを打ち鳴らしながら飛びかかってくる。
アッシュは槍を突き出し、先頭の1体を串刺し。そのまま槍を一旦引き戻し、力任せに薙いだ。巻き込んだ3体を崖に思い切り押し当てる。と、甲殻が潰れ、グシャッと音を鳴らした。一気に4体が消滅する。
ほぼ間を置かずに残りの4体が横並びになって迫ってくる。
こちらは大振りの攻撃直後。大きな隙を見せた状態だが、問題はなかった。
「――やります」
ユインによって放たれた2本の氷の斬撃が両端の敵2体を切断。残った中央の2体には彼女自らが向かい、すれ違いざまに交差させたクローで引き裂いた。分解された殻の残骸が地面に落ち、その姿を宝石へと変えていく。
ロブスター型の魔物8体が綺麗に消滅した。
それを待っていたかのように間近に8滴の雫が落ちる。
飛沫が弾けるとともに現れたのはヘドロを纏った魔物たち。赤が6に青が2だ。敵は、ゆらりゆらりと地面を滑るように向かってくる。
「二人とも避けて!」
後方からクララの声が聞こえてきた。
アッシュはユインと逆方向に身を投げる。と、先ほどまでいた空間を貫くように青白い線が迸った。クララのフロストレイだ。その太さは初期とは違い、人間の胴回りほどにもなっている。
ファイターを2体、さらに奥のヒーラー1体を貫通し、フロストレイは消滅する。
空いた前線を埋めるようにファイターが中央に寄り始めるが、その間を縫うように1本の矢が抜けていった。ルナの矢だ。しゃらしゃらと煌く結晶を散らしながら、矢は奥のヒーラーへと突き刺さり、その命を奪う。
さらに続けて飛んできたルナの矢が2体のファイターを仕留める。
残るは2体のファイターのみ。
アッシュはユインと視線を交わし、どちらからともなく動き出した。互いの脇を通り抜けざま、得物を振るって敵を斬り裂いた。間抜けな声を残して、ヘドロの魔物たちが消滅していく。
魔物の出現が収まったのを機に、アッシュは槍を地面に突きつけた。
「少し休憩にしないか?」
へばったわけではないが、朝からぶっ通しだ。
集中力を維持するためにも適度に頭を休ませておきたい。
ユインが「はい」と頷く。口数の少なさは相変わらずだが、これが彼女だと思えるぐらいには共に多くの敵を狩った。
クララ、ルナも合流したのち、全員で脇に寄った。
「大分仕上がってきたな」
青の塔で属性石集め、もとい資金稼ぎを始めてから5日目。
装備が充実したおかげで戦闘が圧倒的に楽になっていた。
入手した青の属性石は3つ。
すでにクララとルナの武器に装着済みだ。
属性石収集は決して順調とは言えないが、代わりに3等級の防具、《ガーディアン》シリーズの交換石を2つ入手していた。部位は腕、足。
銀色の薄いプレートをあしらっただけの簡素な造りとなっている。正直、これで硬くなったのかと言われると疑問が残るところだが、ないよりはマシと思って装備している。きっと強化石をはめることで真価を発揮するのだろうが、さすがに防具に強化石を回すだけの余裕はなかった。
「ねー、属性石2つもはめるだけで、こんなに変わるなんて思わなかった。これ、5つとか6つとかはめたら、ほんとどうなるんだろ」
「それこそ人なんて簡単に呑み込んじゃうかもな」
「なんかそれ、大魔法使いみたい!」
興奮するクララだが、彼女の使うフロストレイは3等級の魔法。上層に行けば、さらに強力な魔法を入手する可能性があるのだ。つまりそれだけ伸び代があるということ。
これからクララの魔法がどれだけ強くなっていくのか。仲間として純粋に楽しみだった。
「あとはアッシュ分の属性石1つだけだね」
ルナがハルバードを見ながら言った。
「今日で出しちまおうぜ。もう周回は飽きてきたしな」
「でも、これを続けてたらクララの持久力は大幅に改善されそうだよね」
「だったら、もう少しやるのもありか」
「えぇっ! 最近、毎日毎日足パンパンできついのにっ。もう限界来てるよー!」
必死に懇願するクララを見て、アッシュはルナと笑い合う。
クララの体力問題は置いておくとしても、肉体的な疲労が溜まっていることはたしかだ。サラマンダーに挑む前に、一度休息をとったほうが賢明だろう。
そんなことを考えながら、アッシュは仲間内で盛り上がっている現状を反省した。脇で静かに待機するユインに声をかける。
「どうだ、ユイン。いまならやれそうか?」
「そうかも、ですね」
ユインは地面を見つめながら、そう返してきた。
心ここにあらずといった感じだ。
「ユイン……?」
そう問いかけると、彼女がこちらに向きなおった。
なにやら改まった様子で言ってくる。
「サラマンダーの討伐。本当はマス……ヴァネッサさんに頼まれたんですよね?」
いきなり斬りかかられたような気分だった。
だが、悟られないようにと平然を装う。
「いや、そんなことを頼まれた覚えはない」
「やっぱりそうなんですね」
動揺は見せていないはずだ。
なぜ気づかれたのか。
ふとユインの視線が違うところを見ていることに気づいた。追ってみると、動揺したクララの顔が映り込んだ。アッシュは思わず頭を抱えた。
「……すまない」
「いえ。なんとなく、そうじゃないかって思ってましたから」
「いつから?」
「初めからです」
「じゃあ、なんで受けたんだ?」
ヴァネッサ曰く、《ソレイユ》の助力は断られるとのことだった。
「このあたりが節目かなって……そう思ったんです」
ユインはどこか遠いところを見るように言った。
その瞳は悲しげに揺れ、消え入りそうな危うさを湛えている。
「いったいヴァネッサとなにがあったんだ?」
深く踏み入るべきではない。
そう思いながらも、アッシュは思わず訊いてしまった。
「知りたいのですか」
「言いたくなかったらいい」
「いいです。教えてあげます」
先ほどまで揺れていた彼女の瞳が真っ直ぐにこちらを射抜いてきた。彼女は下唇をひと噛みしたあと、まるで自身を戒めるかのような棘を伴った言葉を紡いだ。
「――わたしは、ヴァネッサさんの妹分を殺したんです」





